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六段の調べ 序 四段 五、亡き王女のための

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四段一話へ

序・初段一話へ


 シャシャテンに仇がどうのなどと耳にした翌日、美央は学校から帰宅してすぐ、自室で再び炎の輪を見つけた。以前招かれた時と同じく、畳の風景が見える。伊勢が呼んでいるのだろうと思って中へ入ると、案の定彼女が待っていた。何もしなかったことを軽く責められたが、美央は聞き流した。元々やる気などなかったのだから、仕方がない。
 話が変わり、六段姫がどうしているか尋ねられる。率直に、昨日彼女が騒いでいたと教えた。居候は伊勢を母の仇として、殺そうとしている。
「その姫は、呼んだら来てくれるでしょうか?」
「どうでしょう……。殺しに行くには都合がよいと思うかもしれません」
 美央の答えに、伊勢の口元が歪む。事件そのものに危機感を抱いてもらう予想とは違ったが、作戦自体は上手くいった。それを喜ぶ伊勢の笑みは、さらに深まる。
 六段姫の興味を引かせることには成功した。次に会う際は短刀を返してほしいとの頼みを、美央は受け入れる。もう隠す必要がなくなると考え、胸がすっとする。
「それで、あなたは何に悩んでいましたっけ。――ああ、気に入らない人がどうのと。あの姫は、わたしにとっても敵に違いありません。陛下がなさろうとされていることを、阻もうとしています」
 そこから続いたのは、「建国回帰」なる小難しい話だった。半分ほどは理解できなかったが、ある一点だけは妙に美央の頭に引っ掛かった。伊勢やその仲間たちは、不老不死を望んでいるそうだ。そうなることも周りの人とは違う――まさに「人でなし」となることではないか。いつまでも生きられるなど、ただの人間にはあり得ない。
 伊勢は「人でなし」になりたいのか。美央が尋ねると、彼女は少し眉をひそめた。
「そう呼ばれるのは、どうも好きになれませんね。そもそもあなたの言うそれは、本当に『人でなし』を指すのでしょうか?」
 予想もしなかった問いに、美央の言葉は詰まる。自分の思う「人でなし」とは何か、説明しようとしても出来ない。身近にいる「人でなし」として浮かぶのは、シャシャテンだ。あの女は明らかに周りと違う体質を持つ。では自分はどうだろうか。大勢と少しずれている気がする自分は、「人でなし」なのか。
 周りと違って、他人に興味はない。長く美央は、そう思ってきた。だが今は、人の形をした居候の在り方に心を捕らえられている。そしてもう一人、どうしても頭から離れない者がいた。彼らは自分を変えつつある。そのせいで、自分が今までとは別の存在になってしまったら。湧いてくる不安を、美央は再び意図せず漏らしていた。
「……わたし、どうかしています。こんなことなかったのに、どうして」
「それは心苦しい。では、あの方々のせいで壊れてしまいそうなら――消してしまえば、もう気に病みもしなくなるのでは?」
 言葉を聞くなり、美央の体が強張る。心臓の辺りが冷たい。何かが自分を止めようとしているような気がする。
 動かない美央を見かねてか、伊勢は次に会う時まで考えてほしいと言って手を払い、日本への帰り道を作る。自室に入っても、美央はしばらくその場に立ち尽くしていた。
 
 
 シャシャテンに伊勢から手紙が来たのは、桜台高校で新学期が始まってすぐだった。木曜日の夜、居候に呼ばれて和室に入った清隆は文の内容を聞かされた。三日後、指定した時刻に「越界衆」の借りている部屋に来てほしい。その部屋こそ箏教室の跡にあったあの一室だと、清隆は手紙に描いてあった地図で理解した。
「わざわざ向こうから呼ぶくらいだ。何か企んでいるんじゃないのか」
「何を言う。これは仇討ちの好機ではないか」
 ぱっと浮かんだ清隆の懸念も、シャシャテンは突き放した。いくら言っても、彼女は聞こうとしない。その頑なな態度は、自分だけではどうにもならないだろう。清隆は信に翌日、シャシャテンの様子を伝えた。宮部に捕まった時と同じ事態になってはたまらない。食い付いた信も協力を決め、清隆はそれで充分だと思っていた。
 その日の夜、スマートフォンの着信画面にあった名は意外なものだった。箏教室を案内した後、何かあったらと連絡先を交換した北だ。通話を始めると、聞き取りにくい高めの声で確かに相手が本人だと分かった。信から事情を耳にしたとして、明後日に同行したがる彼をすぐに止める。北も忙しいだろうに、わざわざ自分たちのことで手を掛けさせるわけにもいかない。しかし通話相手はなかなか聞かなかった。「越界衆」が願っている不老不死に、思うところがあるのだと。
『それにね。ぼくは清隆くんたちの役に立ちたいんだよ。今まで迷惑ばかりかけてきたからね』
 はっきり届いた声が、清隆の耳に残る。北は否応なく神器を巡る事件に翻弄され、心を痛めてきた。また知らないうちに物事が進み、後で聞かされて悔やむのはもう嫌だとも。直接的には無縁だと思うような事情にも、自分と結び付けて責める彼のことだ。どれほど遠いことであれ、少しでも関わったからにはきちんと見届けたいのだろう。
 清隆は信と決めたものと同じ予定を北に伝えた。そして約束の日、地図があっても不安がるシャシャテンの案内を買って出て目的のビルへ向かい、既に来ていた信と北と合流した。二人の存在に、シャシャテンは怪訝な顔をする。
「仇討ちに手助けなどいらぬのじゃが……まぁ、本当に危うくなった時は頼むとするかのぅ」
 ビルの入り口は自動ドアになっていた。北が前に立っても動かないそれに、故障を危惧して清隆が近付くとすぐに開いた。入って目の前にある階段を上り、三階へ向かう。複数の足音が鈍く響く中、清隆はこの時点で「越界衆」が何か罠を張っていないか警戒する。
 無事に三階へ着き、引き戸の前に並んで立つ。信が以前言っていた通り、部屋は静まり返っているが妙な気配がある。向こうで「越界衆」の面々が、息を潜めて待っているのだろう。清隆が開けようとしたが、北が先立って取っ手に触れた。
「何かあったら、まだ若いきみたちより、ぼくのほうがいいからね」
 四人で顔を見合わせた後、北が一気に戸を横へ引いた。窓には赤い紙が内側から貼られていて、外光を幾分遮っている。かつて箏を弾く生徒たちが並んで座っていた床の上には、簡素な机や書類の束など事務的な道具が置かれていた。広い部屋をぱっと見て、人の姿はない。だが向かって左奥に、扉で区切られていた部屋があったはずだ。清隆がそこへ目をやると、既に扉の外されていた空間から伊勢が現れた。シャシャテンが懐に手を入れて武器を取り出すが、伊勢はすぐに引っ込む。
「ほら、ちょうどあなたが消すべき人がいますよ」
 そう言って、伊勢は再び姿を見せる。遅れてゆっくりと出てきた人物に清隆は意表を突かれ、他の三人も動揺を見せた。やがてシャシャテンが、戸惑いを隠し切れない声で問う。
「……美央、なぜそなたがここに?」
「わたしが呼びました、六段姫。あなたと縁のあるこの方と、日本で騒ぎを起こそうとしていましたから」
 両手を後ろで組み、表情を変えない妹を前に押し出して伊勢が語る。彼女は日本でシャシャテンと縁のある者を探し、瑞香で接点を得なかった美央を使うことにした。そして妹の持つ不満を見抜き、黒髪の女を襲う通り魔を考案したのだと。
「気に食わない人を困らせたらどうかと言ったら乗ってくれて、美央さんも手を貸してくれました。その方々を早く消してしまいましょう。どちらの方でございましたか、確か――」
 伊勢が上げようとした手を、別の手が掴む。美央は下を向いたまま、彼女を誘ったのであろう女の動きを封じ込んでいた。
「何かおっしゃいましたか? 美央さん」
「――やめてください!」
 叫ぶと同時に、妹は体ごと倒れるように伊勢を突き飛ばした。裏返らんばかりの大声が、部屋を震わせる。清隆も聞いたことがなかった声量から打って変わり、姿勢を立て直した妹は低く呟く。
「気に食わないのは確かです。でも、直接何かをするのは……」
 思い留まろうとする美央に視線を合わせんと、伊勢は起き上がって顔を上げる。爪先で立つ姿は、わずかに左右へ揺れている。
「それでもあなたは、あの方々の胸を潰れさせる策に乗ってくれたでしょう。今さらやめようとしても、わたしが困ってしまいます」
「私の恩人に向かって、甘くそそのかすとはな。やはり母上の仇は違うのぅ、伊勢千鶴子よ」
 短刀を手にしたシャシャテンが、毅然と伊勢へ踏み出す。美央を引き込んだ怒りを滲ませて柄を握る彼女を、思わぬ高い声が止めた。
「伊勢さんだっけ? ぼくにはどうしてもわからないことがあってね」
 清隆たちにはその場にいるよう手で合図し、北がシャシャテンの横を通り過ぎる。そしてズボンのポケットから紙を出し、広げて伊勢に見せる。
「こんなことを書いて空から落としていたみたいだけど、そもそもなんで不老不死になりたいと思っているのかな?」
「それが陛下――大友正衡さまのお役に立つゆえに」
 美央が顔を上げ、食い入るように伊勢を見つめる。不老不死が尊いと考えられていた時代と同じような状況になれば、大友の望みは叶う。その上、人は誰でも死を恐れ、逃れたいと思っているものだと伊勢は言う。
「わたしの師匠は、そんな死を恐れる者を救おうと動いていらっしゃります。箏を教えるかたわら、人々に教えを説いては不老不死のすばらしさを伝える、まさに僧侶のかがみと呼べましょう。ああ、わたしも宮部さんも、その方から箏と不老不死を教わりました。それでわたしも、あのようになりたいと」
「矛盾していないか」
 すかさず浮かんだ疑問を、清隆はぶつける。大友と同じく全ての瑞香国民を不老不死にしたいのなら、彼女はなぜ拷問吏としてシャシャテンの母を殺したのか。伊勢は虚を突かれたように口を噤み、しばらくして語りだした。
「……わたしだって、殺したくなかったのに……」
 代々拷問吏の家に生まれた彼女は、卑賤の民として忌み嫌われていた。当初は都の一角に住むことを許されていたが、幼少期に当時の女王・三橋姫の政策で追い出され、一方的に居住地を定められた。立ち入ることが出来ない都の医者に、家の誰もが診てもらえない。故に病に倒れた母は亡くなった。寺子屋へ行くのも向こうに断られ、読み書きはほぼ独学で覚えている。嫁入りは早々に諦め、幼くして立て続けに世を去った兄弟たちの代わりに拷問吏を継いだ。大友と親交を深めて宮廷女官にもなっても、かつての身分を隠そうと必死だった。
「女王は、わたしたちを追いつめるのみ。しかし陛下は目をかけてくださった。あの方のために、わたしはどうしても不老不死を成しとげたい。『死は恐ろしいもの』というのが師匠の口ぐせで」
 伊勢が奥の部屋から、鞭を取って戻ってくる。人を傷付ける際に使うそれを手にする彼女の顔は、どこか微笑んでいるようにも見える。
「試しに、死がどれほど恐ろしいか確かめてもらいましょうか。まずは……わたしにつらい昔を思い出させたあなたから」
 自分のことだと清隆が理解した瞬間、眼前に鞭の先端が風を切って飛び込んできた。

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