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六段の調べ 破 四段 六、きみは林檎の樹を植える

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序・初段一話へ


 シャシャテンに隠し持っていた原稿を封筒に入れ、清隆は以前にも倉橋と話をした喫茶店へ向かった。予定が変わってしまい謝る清隆に、倉橋は笑い掛ける。その服装は独特で、ジッパー合わせのシャツに羽織るだけのジャケット、膝が隠れるスカートの下には長ズボンを履き、靴には若干のヒールがあった。
 倉橋の向かいに座った清隆は、まず原稿が見つかって以降の事情を話してからシャシャテンの所業を謝罪し、封筒を渡した。ばらばらになった用紙に倉橋は顔を曇らせたが、半分になった破片同士を合わせることを何度か繰り返していた。しばらくそれを続け、ようやく気が済んだか大きく頷く。特にひどい損傷ではなく、繋ぎ合わせれば何とか読めるという。
「これくらい気に病むことはありませんよ。しかし六段姫がこうした点は見過ごせませんね。あの人、怒っていましたか?」
「はい、主家と聞いていたのに分家だと言われて……。そもそも、瑞香の王家は分かれていたんですか。それに分家だからって、怒るほどのことでもない気がしますが」
 清隆の問いに、倉橋は打てば響くように答える。シャシャテンの家は、ある事情で一度は政治と関わらないと決めていた家系であった。長く国を治めていたこともあり、瑞香では王族の中でも主家の格が高い。また民は、今も主家から女王が出ていると思っているようだ。
 思えば清隆は、シャシャテンに一族がどうといった話は聞いていなかった。それもあってか、倉橋の語りが本当か分からない。シャシャテンも知らなかった件をどう調べたのか尋ねると、意外な名が出てきた。
「父の遺した資料です。朝重さんの家とやり取りをしていたので、確証はあると思いますよ」
「それは、朝重れいのいる所ですか」
「嗚呼、そういえば貴方は、れいさんと色々あったみたいですね」
 朝重家は元々、瑞香で歴史家として名を馳せていたとは清隆も聞いていた。日本へ移る際にも、瑞香の歴史に関する膨大な資料を持ち出し、瑞香在住時から親しかった菅に時々貸し出していた。そして朝重れいが瑞香に行く前、身寄りのない彼女が持っているのも大変だろうと、それらの資料は全て倉橋が預かった。
「れいさんとは、今も手紙をやり取りしています。でも何だか、最近は元気がないようで。前よりも中身が短くなって、筆跡が弱々しくなってきたんです」
 倉橋は朝重を案じている様子で、わずかに顔を伏せる。山住への失恋が尾を引いているのか、別の何かが朝重を苦しめているのか。清隆は考えを巡らせた末に呟く。
「朝重は、瑞香に変わってほしくないと言っていました」
 大友の思惑を砕こうと、操られながらも抗った少女の姿が浮かぶ。彼女は不死鳥の消えた憧れの国に、心を痛めているのではないか。そう話すと、倉橋は置かれたカップを両手で包み込んで息をついた。
「何事も変わらないと、やっていけないでしょうに。れいさんも、その辺りは妥協してもらわないと」
 どうやら倉橋と朝重では、瑞香の変化に関する考え方が違うらしい。今は親しい関係を続けられているようだが、今後すれ違いでも生まれたら。いつの間にか清隆は、自分が深く入り込むべきでもない二人の仲を懸念していた。
 今回したかったのは別の話だったと、倉橋は慌てて封筒を鞄に仕舞う。どうやらこの人が清隆を誘ったのには、また理由があるようだ。
「前からこれが聞きたかったのですが、清隆さんはいつから吹奏楽を始められましたか?」
 なぜいきなりそれを聞くのか。清隆は不思議に思いながらも答える。実際に演奏を始めたのは中学時代だが、それよりずっと前から両親が吹奏楽をやっていた。幼少期はほとんど毎週のように市民楽団の練習を見に行き、大人の合奏を聴いていたことを覚えている。
「自分で始めてみてどうでしたか? 男子が少なくて心細かったでしょう」
「心細いっていうほどでもなかったですが……」
 確かに男子生徒は、吹奏楽部においては浮いた存在だった。両親の入っている吹奏楽団では、微妙に男の方が多かったのに。
 軽く頷いてから、倉橋は鞄に手を入れつつ、周囲に座る客の様子を気にしていた。瑞香の話も大声で語っていた人にしては、珍しい態度だ。そして取り出した手紙を清隆に渡し、すぐ仕舞うよう促してきた。帰ってから誰もいない場所で読んでほしいそうだ。言われた通りに清隆が封を片付けた後、倉橋は尋ねてきた。
「あんな環境で吹奏楽を続けるには、辛いことがあったでしょうに。なぜ、今も続けているのですか?」
 苦い記憶を思い出すまいと努め、清隆は口を開く。
「俺は……音楽が好きみたいです。どうしたって、捨てられないみたいです」
 高校に入った後、改めて思い知らされた。長く親しんできた音楽から、もう離れられない。部活でやる吹奏楽も、シャシャテンが和室で弾く箏も、生活の一部となっている。それは刷り込まれたというより、むしろ進んで受け入れられていた。あるはずの嫌な思い出が塗り替えられそうなほどに。話しているうちに気恥ずかしくなり、清隆はそっと正面から目を逸らす。
「私も同感ですよ。音楽をやる同士として、これからも清隆さんを応援していくつもりです。それによく見れば、割と良いお顔立ちをされているではないですか」
 倉橋から顔を背けたまま、清隆はカップを手に取る。軽々しく容姿を褒める意図はどこにあるのか。お世辞を言われても嬉しくない。加えてなぜ倉橋が自分とだけ話をしたいと思い、励ましまでしてくるのか分からなかった。
 
 
 倉橋と別れてから、清隆は自分の言葉を思い返し、急に不安を覚えた。あの時口にしたのは、自分の本心だったのか。深く考えずに言っていた気がする。
 胸騒ぎを抱えたまま乗り込んだ地下鉄は、休日の昼にもかかわらず乗客が少なかった。鞄に入れていた封筒を取り出し、座っている両隣に人がいないと確かめる。どうしても気になっていた中身を、周りに見られないよう注意し読み始める。
 そこに書かれていたのは、倉橋がデビューした時の雑誌にも明かされていなかったことだった。倉橋が一番触れてほしくないという話題――性別の詳細が細かく記されている。複雑な経緯を辿り、その人は男でも女でもない存在として生きようと決めていた。そんな思いからか、「少数派」だった清隆を激励するような文面が続く。男だからどうなどと言われても、「らしさ」を求められても気にするなと。
 手紙を仕舞い、清隆はスマートフォンで倉橋を検索した。どこにも性別の記載はなく、非公表を貫いている。「ジェンダーレス」として注目されており、批判的な意見にも屈していないようだった。
 喫茶店での倉橋は、ほとんど周囲の反応を見ず堂々としていた。その人が伝えたかったのは、何があっても自分らしさを貫けという鼓舞か。そんな生き方が自分に出来るか、清隆は己に問い掛ける。ここでふと、手紙を引っ張り出して再び読み返した。
 ――あなたは人にからかわれ、裏切られてさぞ苦しかったでしょう。人を疑いたくなってしまうのも、やむを得ないことです。
 誰にも教えていない過去を知っているかのような記述に、清隆の目は釘付けとなる。以前北に昔を語ろうとしたが、結局やめた。あの人は、黙っていても相手の考えを見通してしまうのか。どこかで清隆の隠していた不安を勘付いていたのかもしれない。それに恐れが湧き上がるのを感じながら、降車駅に着いたと分かって清隆は慌てて電車を出た。

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