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六段の調べ 破 四段 五、死んだ男の残したものは

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「第一、倉橋の物腰からしておかしかったのじゃ! そして菅宗三か? あやつは瑞香で何を見てきた?」
 シャシャテンが声を荒げる中、清隆は畳に散らばった原稿を拾い集めた。自分はまだ見ていない、手書きの文字が並ぶ紙面をじっと眺める。シャシャテンが読んだのがどの部分であるかは分からないが、わずか数ページだったはずだ。その内容だけで大事な原稿を破るのはどうなのか。
「そこに書かれてあるのは空事じゃ。清隆に美央よ、二度と倉橋に関わるでないぞ。あやつも菅も、人の心を弄ぶ『人でなし』よ」
「……その『人でなし』ってのは、なんでそう呼べるの?」
 抑揚に乏しい声で尋ねる美央に、シャシャテンはきっぱりと告げる。
「人を考えることなく、己の思うままに操らんとしておるからよ。倉橋に周りへ言い難きものがあることとは関わりがないぞ」
 人を利用して誑かしてきた点では、大友や伊勢、何も知らぬ者を禁忌へ誘い込む賢順も同じだ。そう言い切るシャシャテンに、賢順は冷ややかな目を向けた。
「わたしは望みを叶えるため、そして兄の『建国回帰』を支えるため不老不死の術を探していました。むしろ人を思っています。それに、人は誰でも人を弄ぶもの。四辻姫も、昨春にあなたが襲われたこと、伊勢千鶴子が殺されたことを兄になすり付けました」
 ちょうど去年の今ごろ、大友が四辻姫に罪をなすり付けられたと語っていたことを清隆は思い出す。複数の者が言っているなら事実なのか、それとも口裏を合わせているだけか。清隆が迷っている隣で、シャシャテンは相変わらずの反応をする。
「シャシャテン。お前は四辻姫のことになると、いつも感情的だな」
 清隆が指摘しても、彼女の憤りは収まらなかった。
「なら、そなたは瑞香の女王である伯母上が辱められても良いのか?」
 恩義もないとはいえない四辻姫を思うと、清隆は言葉が出ない。その間にも、シャシャテンは騒ぎ立てていた。
「誓って言うぞ。伯母上は優しき方じゃ。人を己のままに使うはずがない! 『人でなし』であるはずがないのじゃ!」
 声は裏返らんばかりで、情緒不安定なようにも聞こえる。これでは何を言っても反論されるのではないか。そんな諦めがよぎり、清隆はすぐに宥められなかった。そこに、それまで黙ってシャシャテンの後方にいた妹が動く。
「うるさい」
 美央はシャシャテンの襟裏を掴む。そして彼女の振り向きざまにそれを後ろへと強く引っ張り、相手の背を床に叩き付けた。呆然とするシャシャテンに、妹は低い声で言う。
「あの人がいい人なわけがない。ぱっと見た時も嫌そうな感じがしたし、シャシャテンを殺そうとしたし」
 向こうが反論する隙も与えず、妹は続ける。
「それに、わたしは人を思ってなんかない。だったら、『人でなし』に入る? 言っておくけど、あいつのことは癪に障るだけで、思ってなんかないから」
 美央の話す「あいつ」が誰か、清隆の中で定まる前に話は進む。
「賢順の話はもっともでしょう。そもそもシャシャテンが、神器とやらの回収にわたしたちを使っていたんじゃないの?」
 問い詰める美央にシャシャテンは答えず、別の話題に持っていった。
「そなた、私に怒りを覚えてここまで動いたな? 如何に悪しき情であれ、そなたが何らかの形で人を思っておるのは変わらぬよ。あやつのこともそうじゃろう? そなたは『人でなし』などではないわ」
 美央は何も言わず顔を上げ、賢順に向き合う。そのまままっすぐ彼の方へ、迷う様子なく歩いていく。
「あんたの言葉を信じるくらいなら、わたしは根本から『人でなし』になる」
 人なんぞと関わったから、自分は変わってしまったのだ。完全な「人でなし」になれば、厄介な人間と付き合わなくて済む。そう告げて、妹は足を進める。まさか梧桐宗に入るつもりなのか。突然の行動に、清隆が声を掛けようとした時だった。
「そうしたお考えで不老不死を得てほしくはありませんね。死に恐れを持たなければ、死を免れた甲斐がない」
 美央が足を止めたのを見てから、賢順は自身が死を厭うようになった理由を語りだした。彼は四歳で母を亡くしたことで、初めて死を意識した。いずれ死んで無と化すのに、生きていても意味があるのか。そして賢順は、母が不老不死でなかった――「化け物」でなかったことを喜ぶ父の姿に疑問を覚えた。彼は涙を見せず笑っていたが、それは本心なのか。寂しくないのか、悲しくないのか。もしそう思っていなかったらと考えると、怒りさえ込み上げてきたのだと。
「あなたも近しき人の死を見て、何か感じたはずではありませんか?」
 清隆はこれまでに参列した通夜や葬儀を振り返る。最近で身内のことといえば実の祖父母であろうが、彼らとあまり関わりがなかったからか、強く悲しみはしなかった。それは妹も同じようで、賢順の問いにも否定的だった。
「別に、何も思いませんでした。元からこうなんです」
 本を読んだ時などに感想を聞かれるのが嫌いだ。何を見聞きしても感情が湧かず、答えられない。感受性の乏しい自分は、死が恐ろしいと聞かされてもぴんと来ない。そう言い続ける美央に、賢順は悲しそうな表情を浮かべた。
「死に恐れのない者は、不老不死となるに足りません」
 そう美央を突き放してから、彼はシャシャテンに視線を移す。
「あなたも正しき瑞香の史を学べば、王家の真実も分かるでしょう。あの紙に書かれてあったことも、間違いではありません」
「何を言う!」
 シャシャテンが怒鳴りに近い声で返すのも聞かず、賢順は部屋を去ろうとする。その姿が廊下に消えかけたところで、彼はまだ六段姫以外の名を知らなかったと振り向いて立ち止まった。
 シャシャテンがそれぞれを申し訳程度に紹介する。そこで清隆の名を聞いた瞬間、賢順の顔色が変わった。僧侶はわずかに吊り上がった目で清隆を睨み、手を小刻みに震わせている。その足をこちらに踏み出そうとして、賢順は急に向きを転じた。何事もなかったかのように廊下を歩いていった彼の呟きが、風に乗って聞こえる。
「人の不死を望む者が、人を手に掛けてどうする……」
 賢順は自分を憎んでいると、清隆はかつて耳にした。今の反応も、そうした思いの表れなのか。憎んでいるとしたら、なぜ。
 シャシャテンが清隆の抱えていた原稿の束を一瞥し、機嫌悪そうに吐き捨ててから部屋を出た。
「斯様なものが世に出回るくらいなら、焼き捨てよ」
 清隆はシャシャテンにすぐ続かず、破れて無様な姿となった紙束を見下ろす。今は何が書いてあるのか分かりづらくなってしまったが、これが活字となったものを読んでみたい。シャシャテンは嘘と切り捨てたものが事実か知りたい。原稿を一枚も落とすまいと固く持ち、清隆は歩き始めた。

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