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六段の調べ 序 六段 三、猛き者も

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 そもそも四辻姫は、幽閉で屋敷を出られないはずだ。シャシャテンも日本に来るまでは外出が出来なかったと言っていた。それなのになぜ、四辻姫がこの御所にいるのか。
「見舞いのために許されたのじゃよ。今日だけの別儀じゃ」
「元々来るつもりだったのなら、大友がまだ死んでいなかったと知っていたんですか」
「いや、私も初めは死んだと聞いておったのじゃが、どうやら使者が慌てておったそうでの」
 シャシャテンに嘘を伝えていたのではないか。清隆の推測も、四辻姫は否定する。倒れた大友を見た者が、早とちりをして屋敷に伝えてしまったのだろうか。その可能性も浮かびながら、清隆はなぜか元女王の言葉をそのまま受け止められなかった。伊勢や大友から聞いた四辻姫の評が、心の奥で彼女を素直に信じることを拒んでいるようだ。
 清隆は元女王に負担を与えられていたという大友を見下ろした。布団から出た腕は痩せて骨が目立ち、青白い顔には王の威厳さえ見当たらない。ここから彼が再び「建国回帰」へと動きだしていく気力は、もうないように思えた。
 そんな王が口を動かし、ほとんど息しか出ていないような声を途切れ途切れに発した。真っ先に四辻姫が耳を近付け、大友の言葉を理解したように頷くと、後ろの女官に声を掛ける。いったん去った女官は、紫色の布にくるまれた大きな横長のものを持ってきて布団のそばに置いた。布が取られるより前にその形状から、清隆は正体にすぐ気付いた。シャシャテンと五色姫が平井家に託した、あの鳳凰の箏が姿を見せる。
「これは……この宮にあったのか? 伯母上のもとではなく?」
 シャシャテンが目を見張るのも、当然であった。彼女は大友の王位を挫くため、神器である箏を得るべく日本へ来たのだ。王権の象徴である神器が大友の手元にあるというのは、彼を正式な王と認めているようなものでもある。
 さらに女官が、妻戸で区切られた隣室に移り、すぐ戻ってきた。その手に握られている巻物の外観にも、清隆は覚えがある。北の家で受け取り、宮部と共に燃えたものと全く変わらない。
「それってまさか、『芽生書』じゃ?」
 信が巻物を目で追って声を上げると、女官は平然と答えた。
「もちろん、これこそが我が国で昔から伝わる正史・『芽生書』でございます。何をそこまで驚かれますか?」
 迷わず清隆は、少しだけその書を見せてほしいと女官に頼んだ。シャシャテンが叱責しようとするが、四辻姫がすかさず了承する。大友は首も動かさず、ただ巻物をじっと眺めていた。
 渡された書は、いくらか紙面の汚れが目立っていた。何重にも巻かれた紐を清隆が解こうとした時、信が慌ててスマートフォンをズボンのポケットから取り出した。新調されたそれには、バックアップのおかげで壊された端末に入っていた画像データも保存されていると自慢してくる。
「ちょっとこれで、その『芽生書』が本物か確かめてみようよ。ほら清隆、前のやつは偽物じゃないかって気にしてたよね?」
 清隆の視界にいた四辻姫の眉が、ぴくりと動いた気がした。早速信が、巻物を確認していく。清隆たちも画面を覗き込み、表紙自体には特に大きな違いはなさそうだと認めた。題箋の筆跡も、ほとんど同じようだ。
 続いて紙を引き出し、本文へと入っていく。初めはじっと紙面を睨んでいたシャシャテンも、次第に顔から強気が薄れていった。以前のものでは見たことのない場面が挿入されており、シャシャテンがすぐ説明できずにいる。信の画像では褪せている所はあってもはっきりしていた挿絵の色味も、目の前にある実物は黒っぽかったり、絵の具が剥がれていたりで美しいとはいえなかった。既に絵自体が見えにくくなっている部分もある。そして途中で紙が裁断され、続きの部分と張り付けたような跡も少し変色していた。間近で見ると、左右で紙の色味が微妙に違っている。
 まだ残りが半分ほどある中、シャシャテンがそれを巻き直すよう頼んだ。信から巻物を受け取った女官が丁寧に元の姿へ戻し、大友の枕元へ置く。
「シャシャテン、『芽生書』は何度も内容が書き足されていったって話していたよな」
 清隆が問うと、シャシャテンが四辻姫に目をやってから頷いた。かつてシャシャテンたちと見た『芽生書』を疑った当時は、本当にこのような結果であるとは思いもしなかった。自分の疑念は正しかったのか。清隆は突如判明した事実に戸惑う。そして一度は否定された考えが後になって認められたことに、以前にもあったような裏切りを思う。
 いつからか眠っている大友も、それを眺める四辻姫も動じる様子はない。本物の『芽生書』が王の手にあったことを、前から知っているようであった。
「今日聞いたことだが。北は、『芽生書』を大友が持っていると話していた」
 美央の視線が清隆へ動いたが、すぐ戻された。清隆は巻物を見ようと集まっていた同伴者たちをそのまま留め、北の知人である瑞香研究者について、加えてその人が内裏に忍び込んだ際の様子を話した。初めて聞いた時には受け入れ難かったことも、この場で『芽生書』が実存する様を見せられてしまっては、本当であると考えざるを得ない。そして持ち主の声を聞いたという朝重の話とも合致する。
「その本物だった『芽生書』も、鳳凰の箏もここにあるってことだよね? それって――」
「あやつが、正しき王であるということか?」
 信の言葉を遮り、シャシャテンがそっと大友を指差す。それを鋭く聞き付けたのか、王が目を開けてシャシャテンと神器へそれぞれ視線をやった。
「然り。わたしは初めより正しく認められた王であった。神器も日本へ送られる前に、一度わたしへ継承されている」
 シャシャテンが息の止まったかのように顔を引きつらせた。世間で大友が即位したとされるより前、既に極秘で神器を受け取り、継承の儀を行っていたと彼は語る。鳳凰の箏は日本へ送られるまでしばらく、拷問吏の千鶴――伊勢千鶴子へ預けられた。そして本物の『芽生書』は、常に大友が持ち続けていた。
「それでは……私がやってきたことは、何も大友を挫きはしなかったのか? 伯母上に王の座をお返しするための策ではなかったのか?」
 シャシャテンの声が震えている。清隆もその無念を思い、顔をまともに見られなかった。日本へ来た彼女の心意気が果たされるべきだと、大友に刃を向けかけもした。背後に隠した短刀に、清隆はそっと触れる。シャシャテンの行動が初めから無駄であったのかと思うと、無性に悔しさを覚える。自分はただ、彼女と暮らして話を聞いてきただけの人間なのに。
「むつ、受け入れよ。私のことを気にするでない」
 シャシャテンに策を与えた者が、穏やかに告げる。泣きそうだったシャシャテンが顔を上げ、清隆たちもはっとして四辻姫を見る。彼女は自身の敵が優位であったと知っても、それに納得している様子だった。悲観している風でもなく、笑みさえ浮かべている。
「伯母上は、全て知っておられましたのか? 一体誰が、神器を奴へ……?」
 混乱するシャシャテンへ袖を何度か振り、慰めている四辻姫は何も言わない。少しも崩れないその笑みが、清隆に怪訝を抱かせる。四辻姫は元から動じない性格なのか、シャシャテンの言った通り事態を全部把握していたのか――。
「四辻よ、もう良いであろう。ここで黙っていても、六段には分からぬ」
 唸りながら話す大友を、四辻姫が見下ろす。彼女は王の顔を凝視すると、厳しい表情になった。
「そなたは慎重に過ぎる。すぐに動かぬのが悪いのじゃ。前も――」
「分かっている。だが、わたしは長く抱いてきた望みを、しかと叶えたかった」
 四辻姫を制そうと大友の腕が上がるが、すぐ重い音を立てて落ちる。
「私は古の時に憧れていた。故に『建国回帰』を望んだのだ」
 ほとんど閉ざされた現在と違い、昔は日本との交流が盛んに行われていた。さらに不死鳥の血を濃く継ぐ不老不死の人間も多く、今のように隠れ暮らさなければならない惨めな立場に置かれることさえなかった。生まれや立場問わず、全ての者が堂々と生きていたのが「建国」時代だったと王は続ける。
 公家の家に生まれた彼は、当初理想を叶えるなど無理だろうと考えていた。しかし五色姫との婚姻で王家との接点が強くなり、より理想への思いが高まった。そしてついに、王位を得て自らが「建国回帰」を果たそうと動いていたのだ。
「だが、やはり遅過ぎたか。もうこの先が短いとは承知している。生きているうちに望みを果たせぬのは、悔やむべきものだ……」
 大友の両手が、胸を押さえる。四辻姫のそばにいた女官が驚いて身を乗り出す中、周りも気にせず大友は途切れ途切れに呻き、息をついている。顔には脂汗が浮かび、症状の重さが清隆にもはっきりと伝わってくる。
「……苦しそうだな、大友」
 いつの間に哀れみが芽生えていたのか、清隆は低くそう零していた。
「嗚呼、見ていられぬのぅ。清隆殿」
 四辻姫が同調するように口を開き、こちらを注視する。何事かと周りを探ると、後ろに置いていた武器が視界に入った。
「それを貸してくだされ。むつが持っておったものじゃろう?」
 手を出してくる四辻姫は、初めからこの存在を知っていたのか。これまで一度も抜かず、シャシャテンに新しく取り付けられた紙縒りもそのままである得物を、清隆は握り締める。四辻姫が何をするつもりか警戒していたが、そこにシャシャテンの声がした。
「清隆、ここは伯母上に従った方が良かろう」
 彼女の四辻姫に対する妄信に近いものを思うと不安になるが、差し出される元女王の手を前に心を決める。
 鍔の紙縒りを見ながら、清隆は短刀を渡した。受け取るなり、四辻姫はすかさず鞘を抜き払い、鋭い刃を露わにした。細長い紙片が、虚しく床に落ちていく。
「心の臓が辛かろう。今、楽にしてやるぞ。そなたはもう――」
 聞き取りにくく話していた四辻姫の唇が閉じた瞬間、一言だけ言葉にも満たない男の声がした。布団をはだけられ、着物の上から胸を刺し貫かれた王はわずかに目を見開いている。女官が悲鳴を上げて退室した後、四辻姫は短刀を収めて清隆に返した。そして何事もなかったかのように大友へ布団を掛けると、清隆たちを呼んで部屋を出て行った。

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