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六段の調べ 序 六段 二、いざ瑞香

前の話へ

序・初段一話へ


 大友の訃報を耳にした翌朝、清隆のスマートフォンに一件の連絡が届いていた。差出人は北で、瑞香に関する話がしたいとの連絡だった。加えてシャシャテンたちは連れて来ないでほしいと頼まれ、なかなか周りへ話せないような事情を感じ取る。本当に連絡を自分だけに送っているのかが頭をよぎるが、それをいったん無視して返事を送る。
 午前のうちに清隆は家を出て、北のもとへ向かった。命を狙う相手は死亡したと聞いたが、念のため刺客には気を配った。どこを見ても人が潜んでいる様子はなく、寒さは厳しいものの穏やかな日差しが周囲を照らしている。
 北は約束通り清隆が一人で訪れたことに安堵して、以前と同じ応接室へ招き入れた。ソファー前のテーブルに紅茶を出し、一息ついてから北は本題に入る。
「清隆くんが言っていた『建国回帰』だけど、実は前に聞いたことがあってね。そのとき教えてくれたのが、やっぱり瑞香を調べている人でね――」
 その人は瑞香に縁のあった父の影響で、独自の研究をしているらしい。時には結界を手繰って国へ直接赴き、資料を集めたり話を聞いたりしているようだ。一人でこれだけのことをやっている行動力が本当か、清隆は怪しむ。さらにその人が、熱心なあまり御所へ勝手に立ち入りもしたと聞いた時は呆れと疑いが同時に生じた。清隆でも落ち着かなかった大友のいた場へ、堂々と何度も行けるのか。
「それでその人が、この前大友さんの部屋に入ったみたいなんだよね。そこで、きみたちが燃えたって言ってた『芽生書』を見たんだって」
 朝重は、大友が『芽生書』を所持していると話していた。やはりそれは本当なのか。調べたい思いが募るが、その持ち主であろう男は既に亡くなったと言われている。清隆が昨夜聞いた話を伝えると、北は驚いてカップに伸ばした手を止めた。葬儀などが行われる予定があるのか尋ねられるが、シャシャテンからは何も聞いていない。突然だったために、計画や準備がまだ進んでいないのかもしれない。
「しかし急に王さまが亡くなるなんて、瑞香も大変なことになりそうだね。今行ったらお葬式ムードかな?」
 訪れたことのない国について、他人事のように北は言う。もし彼の話通りであれば、大友が亡くなったのも事実と受け取れるかもしれない。瑞香がどうなっているか確認しようと、清隆はシャシャテンが結界を手繰る動きを真似する。何度続けても失敗するうちに、北から何をしているのか不思議がられた。人目も気にしていなかったことを恥じながら、清隆は説明する。興味を持った北も同じ動きをしてみたが、結界の反応はなかった。
「瑞香に行くのって、簡単そうで難しいんだね。これはシャシャテンさんにちゃんと教わったほうがいいかもね……」
 北が紅茶を飲み干してソファーにもたれる。そこに着信音が鳴り、清隆は失礼を詫びて廊下へ出た。スマートフォンの画面には信の名があり、応じるとどこにいるのか上ずった声で尋ねられた。
「北道雄の家だが、用事はだいたい済んだ。何があった」
『シャシャテンたちのところに遊びにきたんだけどね、いないんだよ! シャシャテンも美央さんも! あと部屋も大変なことになってるんだけど!』
 慌てている様子から察するに、どうやら火急の事態と見た。部屋へ戻って北にも話すと、彼はすぐ帰るよう勧めてくれた。
「ごめんね、清隆くん。ぼくのくだらない話で、シャシャテンさんたちを危ない目にあわせてしまったね……」
「そんなことはありません。むしろ『芽生書』の話は、気になるところです」
 そう早口に言ってから、清隆は急いで家を出た。
 
 
 帰宅して開けた扉の先には、和室を覗き込む信がいた。彼に駆け寄った清隆は、部屋の中を見て息を呑んだ。向こうの窓ガラスは割れ、破片が畳に散乱している。文机は横転し、葛籠のそばでは落ちた書物が重なっている。手前にはリングノート式の楽譜が投げ捨てられ、明らかにただ事でない騒ぎが起きたと清隆に気付かせる。
「これ、泥棒が入ったとかじゃないよね?」
 ものが盗まれたようではないと、清隆は信の不安を否定する。箪笥や文机の引き出し、葛籠は開けられていない。それにシャシャテンの姿がないことが、瑞香との関連を思わせた。彼女は何者かに、かの国へ連れて行かれたのではないか。しかし妹がここにいないのもどういうことか。
 ふと清隆は、落ちている楽譜に目を留めた。プラスチックの表紙は傷付き、紙をまとめるリングは曲がっている。北の家に行く前、美央は自室でピアノを弾いていた。侵入者が来た時、美央は部屋からこれを持ち出して抵抗したのか。それを脅威に思った相手が、妹も連行した――。
「だったら、さっそく瑞香へ行っちゃおうよ! シャシャテンと美央さんを助けにさ!」
 まとめた考えを清隆が伝えると、信はすぐさま声を上げた。清隆も頷き、ガラスを踏まないようにして箪笥に近付くと、一番下の引き出しを開けた。大友のもとへ一人で行った際に貸し出された懐刀「山下水」には、新しい紙縒りが付いている。シャシャテンは紙縒りを斬った大友の仕打ちに憤慨しながらも、刀を抜かなかった自分を褒めてくれた。
「でかしたぞ、清隆。よく奴の煽りに乗らなかった。これは私が預かるが、瑞香に行く折はまた持っていくが良い。その時も同じじゃ、ゆめゆめこれを抜くでないぞ――」
 彼女の許可もなく持ち出し、場合によってはその心を裏切ってしまうかもしれない。それでもシャシャテン自身の命には代えられない。
 清隆は武器を握り締め、瑞香の結界を手繰ろうとした。北の家で行った時と同じく、変化はない。シャシャテンたちのことを考えて焦っているうちに、動きは雑になっていく。そこに信が首を突っ込んできた。
「えっと、前におれたちを瑞香へ連れていくときにシャシャテンがやってたやつだよね? 確かこんな感じで……おっと」
 信は腕を軽く振った程度で、炎の輪を生み出した。板張りの廊下が先に続き、二人で迷わずそこへ入り込む。自分よりもシャシャテンが結界を手繰る様を見た回数が少ないはずの信が、なぜいとも容易く成功したのか。疑問を今は抑え、清隆は周囲を探る。右に青簾で仕切られた部屋が並び、左は壁になっている。少なくとも先の角まで続いているようだ。信が遠慮なく近くの青簾を上げようとした時、後方で女の声がした。
「あら、これはこれは! 夏に四辻姫様のお屋敷にいらした方でございますか?」
 小袖袴姿の彼女は、四辻姫に仕える女官であった。訳あってこの宮に招かれたと言われて、清隆はここが高灯台や吊灯籠を頼りに歩いた所だと気付く。シャシャテンが直接行けない御所の中へ繋がったのは、信が大友に睨まれていないからか。清隆は隣の男を横目で見るが、女官と話す彼は気にするそぶりもない。
「それにしても、よくおれたちのことを覚えてましたね!」
「もちろん、近ごろはあまりなかった、日本から来たお方でございます故。その上――そうそう、あなた様が特に良きお姿だと女官皆で騒いでいましたから、忘れるはずがありません!」
 女官は清隆を指し、声を弾ませている。さすがに持ち上げが過ぎるだろう。内心で呆れながら清隆はまず、髪の茶色がかった少女を見なかったか尋ねた。似たような女が捕らえられて部屋に連れ込まれたと聞き、そこへの案内を求める。恐らく彼女が自分の妹だと清隆が話すなり、女官は同情して頼みを受け入れてくれた。
 先導に続き、一見周りの部屋と変わらない青簾の前で止まる。女官が廊下から呼び掛けると、抑揚に乏しい妹の声が返ってきた。青簾を上げ、両手を後ろに正座をする美央が正面にいるのを見る。服装は普段通り、部屋着のワンピースだ。畳まれた脚には動きを封じるように縄が巻かれ、手首も同じように縛られていた。それでも肝が据わっているのか、表情は落ち着いている。
 二人して縄を解く中、信が美央へ何があったのか問う。妹が自室で一人の時間を過ごしていた時、にわかに和室が騒がしくなった。妙に気になって階段を下り、現場でシャシャテンが知らない人間たちに囲まれているのを見た。そこで彼女は、たまたま手にしていた楽譜を咄嗟に投げ付けた。突然の攻撃に驚いた相手は、大友がシャシャテンと話をしたがっていることを伝えに来たという。
「でもその大友って人は死んだなんてシャシャテンは騒いでました。そこでシャシャテンを問い詰めていた人が、『大友は死んでいない』って――」
「ちょっと待って! あの大友さんが死んだの? それとも死んでない?」
 何も聞いていなかった信に、清隆は訃報があったと話す。しかし美央の話によると、違う可能性も出てきた。やはり四辻姫が誤った情報を流したのか、元から知らなかったのか。
「従わなかったら弱らせるって、シャシャテンは長い毒針を見せられて――昔より不死鳥の血が薄まって毒には効かないとかで脅されて、結局怪しい人たちについて行ったんです。それを教えられないように、わたしも無理やりこんなところまで」
 自由になった両手を揺らしてから、妹が立ち上がる。シャシャテンとはこの内裏に着くなり引き離されたため、美央も彼女がどこにいるのか分からない。まだ青簾のそばに控えていた女官に清隆が尋ねると、彼女が今度も案内を申し出た。
 妹も伴って向かった部屋は、二間ふたまと呼ばれる一室だった。床の上に畳がばらばらに三枚置かれている以外は何もない。女官から、この奥に大友の寝所――夜御殿よるのおとどがあると紹介される。開け放たれた妻戸へ歩を進めながら、清隆は後ろ手に隠した短刀をそっと握る。やがてシャシャテンの声が聞こえ、彼女が確かにいると分かって安堵する。しかし続く低い男の声が、清隆の耳を強く打った。
「――して、そなたは私がとっくに息絶えたと思っていたのか。あの者も愚かな……」
 女官が立ち止まり、室内を軽く一瞥した後、清隆たちに礼をして去っていった。妻戸の陰から、天蓋の付いた帳台に暗い色合いの大布団が見える。そこに寝ているのは、前よりいくらか頬がこけたような瑞香の王だった。白い寝間着の袖を時々胸にやり、心臓の病にかかっていると察せられる。布団の向こうでは、シャシャテンが枕元で大友を覗き込んでいた。
 話している最中にいきなり立ち入りは出来ない。清隆たちはしばらく二間から、シャシャテンに呼び掛ける時期を窺っていた。弱っている大友の声は聞き取りにくくなり、シャシャテンは耳を傾けようと前のめりになっていく。
 その彼女に近い手とは反対側の手を、大友は敷布団の下に差し入れた。しばらくじっとしたままシャシャテンとやり取りをしていたが、少ししてそれを動かし始める。ゆっくりとぎこちないように布団から引き出されていくのは、鋭く光るものであった。
「シャシャテン、大友から離れろ!」
 清隆が叫ぶと同時に、大友が短刀を振り上げた。事態を理解したシャシャテンが素早く身をかわし、刃から逃れる。体を起こして追撃しようとした大友は、すぐ武器を取り落として胸を押さえた。その間に清隆たちが部屋に入ろうとするが、シャシャテンが大声で止めた。
「待て、そなたたちはなぜここに来た! 何をされるかも分からぬぞ!」
 それでもシャシャテンの身は心配だ。躊躇わず清隆が部屋へ足を踏み入れかけた時、廊下から衣擦れの音が近付いてきた。清隆たちが振り返ったところで、その女はこちらへ向きを転じた。赤い袴を履き、色とりどりの単を何枚も重ね、髪を廊下の奥まで伸ばしている。山の寂れた屋敷で暮らしているのだと忘れてしまいそうなほど、彼女は高貴と威厳を放っていた。
「これは懐かしいのぅ、清隆殿に信殿。そちらは見ぬ顔だが……むつの恩人で良いのか?」
 美央が元女王へ短く挨拶をし、珍しく眉をひそめて彼女を睨んだ。四辻姫もまた、妹の髪をじっと眺めながら改めて名乗る。そしてシャシャテンの隣に座るよう、清隆たちに促す。
 横になっている大友のそばに三人が腰を下ろしてから、四辻姫もゆっくりと帳台へ歩み寄った。少し心配そうに大友を見る彼女の目は、敵意や欺瞞よりも慈しみに満ちている。世間では敵同士とされている二人が静かに佇む姿は、とてもそうした印象を感じさせない。やがて四辻姫は、いかにも憐れんでいるような声で大友へ囁いた。
「お倒れになったと聞いて、見舞いに馳せ参じましたぞ――」

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