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六段の調べ 序 六段 一、見果てぬ夢

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序・初段一話へ



 大友からの刺客と思しき男に襲われた翌日、清隆はより周囲への警戒を強めていた。八重崎がいなければ気付きさえ出来なかった不手際を教訓に、授業でも部活でも注意を怠らない。
 土曜日ということで早く授業が終わったこの日は、来月末に行われる発表会へ向けた練習が行われていた。合唱部と演劇部との合同で開催されるそれは、定期演奏会に並ぶ大きな見せ場だと聞く。
 基礎練習の後、実際に披露する曲を吹奏楽部全員で合奏する。しかし清隆の目は指揮を振る女性顧問の後ろ、中庭と面する窓に留まる。楽器を構えていても、外に誰かいないか気になる。
 校門へ通じる階段の上より先はあまり見えず、ここから追手が探っているとは考えにくい。しかし昨日の出来事は、清隆に現実的な想定をさせることさえ戒めていた。結界を操って神出鬼没に現れる瑞香人だ、どう出てくるか分からない。一人だけを狙っているなら、大勢で演奏している最中には襲わないか。そう浮かぶも、油断は出来ないとすぐ打ち消す。
 指揮者が合図を出し、演奏が止まる。外の方に集中していた清隆は、危うく指示を無視して吹き続けそうになった。わずかに窓への意識が途切れ、顧問の言葉がはっきり聞こえてくる。大半が指揮を見ていないと注意され、自分もその対象に入っていると清隆は気付く。本当は音楽に力を入れるべきで、外を気にしている暇などないのだ。命を狙われている今だが、そればかりを心配している場合ではない。
 再び演奏が始まり、清隆は指揮者と窓を交互に見る。どちらにもあまり集中できていない感じはするが、一方だけを意識するよりは良いだろう。しかしこの調子で発表会を万全に迎えられるのか。本番まであと一ヵ月ほどであると思い出し、清隆の背に汗が伝った。
 夕方になり、帰りの用心を決めて清隆が校舎を出た時、後ろから八重崎が走って追い付いてきた。彼女は周りの生徒を気にして小声で言う。
「ほら、昨日大変だったから」
 やはり襲撃を心配されている。何かあったらまた撃退すると胸を張る八重崎には、申し訳ないことをしてしまったと清隆は思う。そして彼女に守られてばかりいる点も気が引ける。しかし格闘の心得もない自分が反撃できずにいるよりは心強かった。
 あまり八重崎と二人で帰ってはこなかった。二日連続となれば、これが初めてだろう。八重崎はやたらと周囲を窺っている。そこに追手への懸念だけでなく、自分と並んでの帰宅がどう思われているのか気にしているのではと、清隆は考えてしまう。今はそれを悩んでいる暇はない。そう言い聞かせて、注意を八重崎の見ていない方へ向ける。
「……昨日のには、本当にびっくりしたよ。まさか武器まで持ってるとはね」
 話しだした八重崎を、清隆はちらりと一瞥する。こうして会話する中でも、彼女はしっかり注意を払っているようだった。
「だからお節介かもしれないけどさ、わたしは清隆くんが心配でね。……ああ、嫌だったら次からは別にいいよ」
「それは、気にしなくて良い。俺も先輩がいて助かっている。迷惑を掛けているとも分かっているが――」
 言葉が続かず、清隆は曖昧に話を終わらせる。瑞香について話せば、追手は襲ってくるだろうか。八重崎が心配しているのは、口先だけでなく心から思ってなのか。不安に心臓が動いて後ろを見返り、怪しい姿がないと確認する。駅に着くまで、清隆は出来る限り前後左右を意識していた。
 
 
 状況が大きく変わったのは、清隆が帰宅してからだった。文机に置いた手紙に触れ、シャシャテンは清隆が和室に入るなり告げた。
「今朝のことじゃが。大友が、息を引き取った」
 大友は昨夜、自室で倒れているところを発見されて治療を受けたが、その甲斐もなく死亡したという。突然の宣告に思考が止まり、清隆は言葉も出なくなる。しばらく時間が経ってようやく、その知らせを誰に聞いたのか尋ねることが出来た。四辻姫からとの返事に、果たして内容が本当か疑う。朝重家の資料についても、急に歴史書はいらないと突き返した彼女だ。今回も裏に深い事情を隠しているかもしれない。だがシャシャテンには言わない方が良いと判断し、黙って彼女の呟きを耳に入れる。
「どうやら奴は、前から患っていたそうじゃのぅ。今年に入って一層ひどくなったと文には書かれておる。清隆、そなたは前会った時、奴に怪しき所は見なかったか?」
「そういえば、体調が良くないとは聞いた」
 それが四辻姫による負担がためと言われたのは伏せ、大友と正面から対峙した当時を思い出して様子を語る。あの時、彼は何度もひどい咳をしていた。もしかしたら肺を病んでいたのか。
「いや、伯母上によるとな……奴は心の臓で発作を起こしたらしいぞ」
 死因が心臓病であるなら、咳やストレスは関係があるのか。清隆は通学鞄に入れていたスマートフォンで検索する。過度の精神負担が原因で心不全を起こすこともあれば、初期症状として咳が出ることもあるらしい。既に病の元が心臓だと分かっているのは、大友が前からそこに痛みを周囲に訴えていたのだろうか。
「それにしても、奴がここで逝くとはのぅ……。私にもまだ信じられぬ」
 紙面を指でなぞり、シャシャテンは文机のそばにある小窓をぼんやりと眺める。伯母と母の敵として認識していた者が呆気なく亡くなったのだから、当然だろう。そうして放心しながらも、シャシャテンは頭の片隅でもう次を考えていたようだった。
「王が急に崩御したからのぅ、民は惑うじゃろう。国中で騒ぎが起きるやもしれぬ。しかし奴が手綱を握っておった以上、これで『建国回帰』を恐れることはなくなりそうじゃな」
 シャシャテンは笑みを浮かべ、大友が死んだからには四辻姫が女王として返り咲くと喜ぶ。いずれはシャシャテン自身もそれを継いで、国を治めるのだ。
「もう決めておるぞ。私は母上と誓った通り、『立派な女王』となるのじゃ!」
「その『立派な女王』っていうのは、具体的にはどんなものなんだ」
 清隆の問いに、シャシャテンは笑ったまま答えない。言葉だけが先行して、細かいことは考えていなかったようだ。将来の治世者がこのような調子で良いのか、清隆は不安になる。
「これから、これから分かることじゃ!」
 拳を握って意気込む彼女にさほど期待も出来ず、清隆は夕食に呼ばれて和室を出た。
 
 
 小さく炎の立つ音で、シャシャテンは布団から身を起こした。枕元に置かれた封を手探りで取り、照明を付ける。部屋が昼のように明るくなり、行灯よりも字の読みやすい文明の利器に感謝しつつ、ふと顔を曇らせる。故国の民は、電気なる新しいものをどう思うだろうか、使いこなせるのか。
 手紙の内容は昨夜届いた続きで、またも伯母の切なる頼みが書かれている。いつもならすぐ了承の返事を出すが、昨日からの案にはすぐ乗れずにいた。何せ、頼んでいるのが伯母とは信じ難い。
 その思いは文が進むにつれて、より強く心を揺らがせていった。ずっと国のために動いてきた伯母が、このようなことを考えるわけがない。急いで筆を執り、昨日とほとんど変わらない言葉を連ねる。送ってから電気を消して布団に潜ったが、シャシャテンはすぐに眠れなかった。伯母はどうしてしまったのか。少なくとも、血迷って動く人ではないのに。
 考えても答えは出ず、シャシャテンは別の件に思いを馳せた。清隆も尋ねてきた「立派な女王」とは何を指すのか。母は何も言わず、むしろ女王になりさえ出来ず命を落としてしまった。ただ、その遺誡の糸口があると見出だしてこの国にやってきた。だのに、何も得られた気がしない。
 再び布団を出、シャシャテンは窓に目をやった。ここから見る夜は街灯が眩しく、周囲の家にはまだ明かりの付いている部屋が見受けられる。こうした景色も、この国で行われていた人々の営みも、シャシャテンが思っていたものとは全く異なっていた。かつて母や伯母から聞いて憧れていた国は、近付くほどより解し難い、遠い場所になってしまった。
 考えを巡らせるうちに頭が痛くなり、シャシャテンは横になった。次に清隆から同じ問いをされた時、堂々と答えられるはずがない。自分は何も分からないまま、女王に即位する日を迎えてしまうのか。大友の様子が伝えられてから頭に入れていたその日は、思ったより近いかもしれない。シャシャテンは歯を食い縛る。むしろ難しいことを考えなければならない王女などに、生まれない方が良かったのではないか――。
 暗い布団の中で目を閉じても、シャシャテンはなかなか寝付けなかった。窓を通してうっすら光が差し込んできたのが、あっという間であるようだった。

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