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六段の調べ 破 三段 六、逝ける者への哀歌

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序・初段一話へ


「ここはただの牢ではありません。女王の勅令で捕らえられた者が収まる場――『花籠』と呼ばれています。これまでどの女王も使っていないと聞いていましたが」
 山住の言葉に、シャシャテンがかつて拷問された所かと清隆は思い当たる。あの部屋とは別に、ここは「特殊な」罪人を留め置ける牢も兼ね備えていたのだ。内裏の敷地内に初代女王が作らせたというこの建物は今、本来の役割を果たしている。
 四辻姫が、「建国回帰」に繋がりかねない梧桐宗の活動を警戒していたとは聞いていた。それでもここに入れられている人々を見回しながら、清隆は解せないものを覚えていた。四辻姫は、今日の儀礼に参加していた者を全員捕らえる必要があったのか。賢順の教え自体に興味のなさそうな人もいたのに。
 外の見える廊下側に山住といた清隆は、すぐそばに信たちがいないと気付いた。部屋全体も見渡せないこの暗さでは、なるべく全員が固まっていた方が良いだろう。行灯の光と人の声を頼りに仲間を探していると、何かをぶつけているような音に重なって信の疑問が聞こえてきた。
「八重崎、そんなんで本当におれたちは外に出られるの?」
「やってみないと分からないよ。ほら生田くん、明かり貸して」
 信が慌ててスマートフォンの画面から発する光を、八重崎の手元が見えるように向ける。壁の下側に一部だけ腐っている箇所があり、八重崎がそこの板を殴っていた。やがて手を使うのはやめ、蹴り破る方法へ切り返る。
 数回目の蹴りで板の破れる音がして、壁に穴が開いた。周囲にいた人々が驚いて振り返り、わずかな穴を見ただけで歓喜する。次々と人が集まり、八重崎の開けた所からさらに板を剥がしていき、ついには人一人が這って出られるほどの大きさが生まれた。
 壁側にいた者を中心に、穴から脱走する者が相次いだ。その先にも壁があるのか、破壊する音が聞こえる。引き下がった八重崎へ、信が傷はないか尋ね、絆創膏やハンドクリームまで勧める。だが八重崎は、相手に見向きもせず手の汚れをハンカチで拭っていた。
 外へ出ようと壁沿いに並ぶ人を見、清隆はこの牢に賢順はいないか考えた。そもそも彼の安否はどうなっているのか。様々な可能性が浮かぶ中、扉の鍵が開く音がした。脱出しようとした人々が、慌てて穴の前を隠すように立ち塞がる。
 格子の向こうには、前の見張りとは違う男の姿があった。そしてその後ろには、陰に隠れて前川が少しだけ顔を出していた。男が清隆たちを指差し、前川に確認を取るように頷く。やがて清隆たちの名が呼ばれると、女官は再び去ってしまった。代わりに見張りが扉に近付き、鍵を開ける。
「あなた方には、ここを出た所でお話があります」
 突然の出来事に戸惑う清隆たちを、見張りが目で静かに催促してくる。山住に背を押されて清隆が扉を抜けると、遥か後方で人が動きだす気配があった。
 前川が報告したという、清隆を含む五人が全員廊下に移ったのを確認してから、見張りは歩き始めた。清隆たちもそれに続き、外の見える出入り口のそばで足止めされる。ここでやっと、見張りが詳細な事情を明らかにした。主に治世や王族の脅威たりえる者が送られるこの「花籠」は、梧桐宗壊滅のために今回の利用が許された。四辻姫は今日が諸田寺の儀礼が行われる日だと知っており、これを機に信者を一気に減らそうとしているのだと。
「皆様は六段姫様のお知り合いで、間違いありませんね?」
 山住がすかさず肯定すると、見張りは頷いてから提案してきた。
「諸田寺で起きたことを姫様に黙っている代わりに、あなた方の解放を許せと、陛下はおっしゃっておられます。お受け致しますか?」
 清隆は少し話し合う時間が欲しかったが、今度も山住がすぐに条件を受け入れたために黙って従うしかなかった。
 見張りが屋敷の外へ清隆たちを連れて行く。扉の閉まる音を聞きながら、清隆は一連の出来事に納得がいかないものを覚えていた。四辻姫の計画も、シャシャテンと縁があるだけで解放されることもよく分からない。女王は儀礼に参加した者を厳罰に処分するつもりなのか。それにしては自分たちへの対応が甘い気がする。しかし一年前、四辻姫がわざわざ自分たちに手を貸し、励ましたのだと蘇ると、清隆の思考は鈍くなっていく。彼女の行動には、どんな裏があるのか。
「さっき六段姫がなんとかって言っていたけど……誰のこと?」
 八重崎の言葉に、彼女が六段姫について知らなかったと清隆は気付く。手短にシャシャテンが六段姫だと説明すると、八重崎は目を瞬かせた。
「気持ちは分かるが、シャシャテンにはこれまで通り気安く接してやってくれ。あいつも日本であまり大勢に正体が知られるのは嫌だろう」
 清隆が話を終えてから、辺りを見回していた山住がこちらに向き直った。彼はまず清隆たちが捕らわれてしまったことを謝り、全員の無事を喜んだ。そして梧桐宗についてまた何か分かれば連絡すると言って夜空を見上げる。既に星が瞬き、夏とは思えないほど寒さを感じる。
「今日はありがとうございました。私が日本まで送りましょう」
 山住が結界を手繰ると、平井家の戸建てが目の前に映った。電車で帰ると話す八重崎への心配が頭によぎりつつ、清隆は山住に勧められて馴染みの景色へ戻っていった。

 
「何とのぅ……諸田寺がのぅ」
 清隆が寺を訪ねた翌日の午後、シャシャテンは居間で手紙を広げていた。清隆は横から覗き込み、賢順の部屋にあった封と同じ筆跡か確かめようとする。しかしあの後起きた騒動で記憶は飛び、どのような字が書かれていたかも分からなくなっていた。
 四辻姫の手紙にあったのは、諸田寺講堂にて何らかの原因で発火があり、死傷者も出たということだった。無事だった人々が捕らえられたとは触れられておらず、清隆の胸に不審が浮かぶ。四辻姫は何かを隠したまま、姪に文を送っているのではないか。
「清隆もご苦労だったのぅ。やけに帰りが遅かったが、昨日はどうじゃった?」
 シャシャテンに聞かれ、清隆はあくまで儀礼自体の説明に留めた。賢順は説話や声明で、不老不死の素晴らしさを伝えたがっていると。自分たちが捕らえられた件については、昨日の口止めにどうしても阻まれた。
「そこまでして禁忌を破りたいのか、あやつらは! 報いがあるのも当然じゃな」
 シャシャテンが呆れて言い放った言葉に、清隆は妹の様子を思い出した。梧桐宗へ入る予定を真っ先に否定した信と違い、彼女は迷っていた。「人でなし」に憧れているような美央は、不老不死のありようによっては本気で入信を考えるかもしれない。知らないうちに伊勢と関わりを持っていたように、これから密かに瑞香と通じて動く可能性が浮かぶと、清隆は思わず目を閉じた。
 それでも賢順次第で、梧桐宗の今後は変わるだろう。彼は避難中に転んだが軽傷であったらしい。早々に脱出し、今も無事だという。
「死を恐れておるらしい奴のことじゃ、此度の故人は悼むであろう。そこからまた懲りずに動き始めるじゃろうよ」
 シャシャテンは手紙を畳み、懐に入れる。賢順はそんな軽い怪我で済んだのか、捕らえられなかっただろうか。疑問を持つと共に、清隆は梧桐宗の動きが再び活発になった時を思う。妹は本気で「人でなし」、ひいては不老不死を望んでいるのか。鼓動の速まる胸を押さえ、清隆は美央と直接話そうか悩む。しかし勘付かれたと分かって、彼女がより早まってはいけない。しばらくは様子を見ようと決め、清隆は自室に戻った。

 
 新たな連絡が来たのは、諸田寺での事件から数日が経ったころだった。文化祭に向けた練習を終えて帰ってきた清隆は、自室の机に手紙の封を見つけた。四辻姫が出したならシャシャテンのもとに届くだろうと思い、封を裏返すと山住の名が書かれている。収められていた紙を広げると、実直な彼らしい、一画一画がはっきりとした字が並んでいた。
 文を読んでいるうちに、手から力が抜けそうになった。紙を机の上に置き、清隆は一字一句とも見逃さぬよう言葉を追う。賢順は火事の場を早めに逃げ出し、落ち着いた後に寺へ戻ったらしい。そしてあの日、牢に入れられていた人のうち数十人は、こじ開けた穴を抜けて脱走できた。しかし間に合わなかった者は引き出され、ろくな取り調べも受けられずに処刑された。ただ不老不死に興味を持ったという理由だけで。
 同封されていたのは、数枚の瓦版だった。どれも墨摺りで全く同じ文面が書かれ、山住が一気に何枚も受け取ったのだと分かる。文面にあったのが山住の嘘だとしたら、わざわざ自作しようとすれば手間の掛かる証拠を送ってこないだろう。
 瓦版にあった処刑の絵を、清隆は呆然と見つめる。性別や年齢を問わず人が並ぶ列の先には、今にも首を刎ねようとしている処刑人の姿がある。ここで命を落とした者には、ただ誘われただけで不老不死になるつもりのなかった人もいただろう。そしてもしかしたら、信のように箏教室だと思って訪れた者もいたかもしれない。日本人は自分たちだけしかいなかったと山住の文にはあったが、清隆の顔には冷たい汗が流れてきた。
 この事件は、四辻姫が仕組んだのか。彼女の冷徹さには心当たりがある。大友の胸を平然と刺し、シャシャテンを死に誘いかけた女だ。あそこまでの恐ろしさを持つ彼女をよく考えると、去年の夏に見せた態度は上辺だけのものだったのか疑いたくなる。
 手紙を元通り封に仕舞って引き出しに入れ、清隆は和室へ下りた。襖から顔を出し、半ば早口になりながら、四辻姫の新しい連絡は来てないかシャシャテンへ問う。
「いや、あれから何も送られてはおらぬぞ。そういえば城秀は、一向に諸田寺でのことを伝えてこぬなぁ。具合が悪くなければ良いが」
 処刑について話そうとして、清隆は思い直した。あの口止めを破れば、何があるか分からない。それに伯母の残酷な所業を、シャシャテンは聞きたくもないだろう。
「……急に押し掛けてすまなかった。ありがとう」
 清隆は静かに襖を閉じたが、しばらく自室に戻る気も起きず近くの壁に寄り掛かった。

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