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六段の調べ 破 三段 五、闇が広がる

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 信が話したのは、儀礼の前に開催された箏教室のことだった。清隆も通りすがりに音を耳にした部屋で、信と美央は賢順に箏を教わっていたという。信の差し出したチラシを清隆が見ると、寺で箏の手習いを行う旨が記されていた。
「これはどこで貰ったんだ」
「うちの近所だよ。お坊さんの恰好をした人が配っていてね。でも、ここに梧桐宗を作った人がいたなんて思わなかったなぁ」
 信の方は、てっきり今日行われるのがただの箏教室だと思ったようだ。手習いの後に大勢の人が歩いている後を追ったところ、彼は「よくわからない儀式みたいなもの」を見る羽目になった。
「……わたしは、不老不死について何か聞けると思ってたんですが」
「え、そうなの?」
 ぽつりと言う美央に、信が顔を向けた。妹は開催場所の諸田寺が梧桐宗本山だと知りつつ、信の誘いに乗ったそうだ。思わぬ話を聞かされた男は、何度もチラシに目をやる。
「不老不死がどうのってのは知らなかったよ。おれ、てっきり単純に箏のお稽古をするだけだと思って……」
「今日この寺で行われるはずだったのは、こちらの手習いだけではなく――」
 山住が建物を横目で見、梧桐宗の信者を集めるため賢順が企んだ儀礼の開催について説明する。呆然とする信のチラシを受け取り、清隆は内容を注視する。手間の掛かりそうな多色刷りで箏と鳳凰が描かれ、その周囲に集合時刻などの詳細が記されている。梧桐宗の教えに関する文言はなく、宗教に通じるような意匠や言葉は隠されていた。信が純粋な箏教室だと思ってしまうのも、無理はないだろう。
 大友の望んでいた「建国回帰」は、国民の不老不死だけでなく瑞香・日本の交流を目指すものでもあった。賢順は教えを広めるついでに、日本との繋がりを持とうとしたのではないか。
「この箏教室も、信者を増やすための策だったんじゃないのか」
 清隆が言った瞬間、信がチラシをその手から奪い取った。しばらく紙面を見ながら肩を震わせていた信だったが、突然叫びを上げてチラシを破り捨てた。驚いてこちらを見る避難した人々にも、舞いながら地面に落ちていく紙片にも目をくれず、彼は美央へ頭を下げる。
「美央さん、本当に申し訳ない! おれが騙されてました!」
 まさか箏教室が怪しい宗教の勧誘に通じていたとは。信は裏に気付けなかった自身の浅はかさを恥じ、美央へ何度も謝る。対して詫びを受けている妹は顔色を変えず、相手を訝しげに見下ろしていた。
「気にしないでください。生田さんが悪いんじゃないんですから」
 八重崎がごみと化したチラシの破片を拾い集める。書かれてあるものを読もうとしているのか目を細めながら、彼女は信たちに尋ねる。
「とにかく無事みたいだからよかったけど、火事が起きた時は二人ともどうしてたの? 巻き込まれなかった?」
 信が頷き、正座で足が痺れたから、そして美央も同じ話ばかりで飽きたのでそれぞれ退室したと明かした。気分が良くなるまで廊下で休んでいた中、煙の臭いに続いて騒ぎに気付いた。清隆たちが戻るほんの少し前の出来事だった。
「俺たちも事情があって、いったん退室して――」
 清隆は話す間、わずかに同行者たちを一瞥する。八重崎の居眠りや山住が迷ったことについては、黙っていた方が良いだろう。
「信は仕方なかったとはいえ、二人とも賢順の教えを色々と聞いただろう。まさか今日のことがきっかけで梧桐宗に入るつもりはあるか」
「ないよ、そんなの!」
 信は即座に否定したが、美央はしばらく考え込んでいた。梧桐宗に何か思いがあるのか、拳を口元にやって厳しい顔をしている。
「……『人でなし』になれるか次第、かな」
 やがて美央が聞き取りにくく発した返事に、信が慌てて彼女に伝える。
「やめておいたほうがいいよ、梧桐宗なんて。すごく怪しそうだし」
「そういう生田くんだって、怪しそうな箏教室に自分で行ったんだよね? 美央ちゃんも連れてさ」
「あれは怪しいと思ってなかったんだよ……」
 八重崎の冷ややかな突っ込みに、信は弱々しく反論する。さらに続く美央の言葉が、彼をより傷付けたようだった。
「わたしが何をしようが、生田さんには関係ないじゃないですか」
 講堂の外壁にわざと額をぶつけ、信は何かを呟いている。山住が励ましの言葉を掛けるが、彼の態度は変わりそうにない。結局諦めたように清隆たちへ目を転じ、山住はひとまず日本へ戻るべきだと勧めた。火事の様子も気になるが、中を見に行くわけにもいかない。清隆が頷いた時だった。
 火事から逃れ、入り口のそばで身を寄せ合っていた人たちが道を空ける。やがて着物に襷掛けをし、裾を腰下で短くまとめた人が講堂へ続々と入ってきた。動きやすそうな服装をしている彼らは、火消しだろうか。
「しかしあの部屋は、行灯以外に火の気はなかったはずでは……」
 遠目に火消しの走りを眺めていた山住が呟く。そこに避難していた人々の群れから、抗議するような声が聞こえてきた。火消しだと思っていた人が、避難者を次々と捕縛していく。そして清隆たちのもとにも、別の火消しが駆け寄ってきた。
 この寺で行われていた儀礼に参加していたか問われ、山住が肯定した。そして続きを彼が言う暇もなく、動きはあった。いつの間にかこちらを囲んでいた人々が、帯に下げていた縄を伸ばし、何も言わずに清隆たちを後ろ手に縛る。
「待て、これはどういうことだ」
 事情も聞かされず一方的に捕らえられ、清隆は抗するが無視される。信はおろおろしながら周囲を見回し、八重崎は捕り手に蹴りを入れていたがなおも手首を締め上げられていた。
 山住が説明を求めるも、捕り手たちは聞かずに外へ連れ出す。山門のそばにいくつもの唐丸駕籠が置かれており、今あの部屋に向かっているのは火消しだけではなかったのだと清隆は気付く。竹で編まれている隙間の大きな駕籠に一人ずつ乗せられ、清隆たちは訳も分からず医王山の麓を後にした。
 
 
 日は暮れ落ちており、外の見える駕籠で進んでいる間も清隆は自分がどこにいるのか確かめられなかった。ようやく駕籠が止まり、下りることが許されても、灯りもない暗闇の中では場所も状況も不明瞭だった。やがて石灯籠に火が焚かれているのが見え、ここが建物のそばであると判明した。前後には先ほどまでいた四人が欠けずに揃い、歩き続けている。
 先頭を行く者の指示に黙って従い、扉から土足のまま建物に入る。人の騒ぐ声が近くなったと清隆が思った時、前面に格子の張られた部屋の中に大勢の姿があるのを認めた。そこで縄が解かれたのも束の間、今度は鍵の開けられた扉から無理やり部屋へ押し込まれる。清隆たちを導いていた者が鍵を閉め、足早に去っていった。
 ここは罪を犯した人物がまず入れられる牢だと、山住が部屋を見回して言う。そして閉じ込められているのは皆、諸田寺での儀式に参加した人らしい。あの火事で助かった者が連れて来られたのだろうか。なぜ捕らえられたのか分からず騒ぎ、扉をこじ開けようとしている者もいる。横に長い部屋はどこまでの広さがあるのか、遠くでも声が聞こえてくる。清隆たちの周りでは、部屋の角にある行灯だけがこの牢の中を見るには頼りだった。それも自らの四方をわずかに確認する分しか使えそうにない。
 突如向こう側から静かになっていき、波を打ったようにこちらも無言になる。手燭を片手に、見張りの女が歩いてくる。その姿が女官の装いに似ているように見えて、清隆は視線を上げた。そして手燭に照らされていた顔に息を呑む。隣にいた山住とも目を見合わせ、女が牢の前を通り過ぎてから密かに話し合った。
「あれは朝重――前川みなで間違いないですか」
「恐らく。あの方はまだ陛下のもとに務めていますが……」
 山住が耳打ちしてきた言葉に、清隆はすぐ返せなかった。

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