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六段の調べ 破 三段 一、山住来たりて

前の話へ

序・初段一話へ


 日本で唯一親しい知人から前川のもとに手紙が来たのは、瑞香で短い夏が始まったころだった。学校に通っていれば、そろそろ夏休みに入る辺りだ。知人は、自ら四辻姫に物申したいのだという。瑞香を念入りに調べているその人が女王に何を直接伝えたいのか、前川は不安に駆られる。根は良いものの、行動となれば少々強気な面が出てしまう人物なのだ。その人が女王と言い争いにならないよう願い、前川は手紙を懐に入れて自室を出た。
 同僚への警戒を崩さず前川は御所中央にほぼ近い、四辻姫のいる昼御座ひるのおましに向かった。対面を申し出ると、快く受け入れられる。静かに青簾を上げて中へ入り、帳台に控える主へ事情を述べる。四辻姫はその来訪者を少し怪しむ様子を見せつつも、前川の話を了承した。日本からわざわざ客人が来るのは珍しいと、女王は笑う。
 前川が返事を送って数日後に、その人はやって来た。約束の時間に門前で出迎えを頼まれていた前川は、他人のふりをしながら客へ何度か目を向けた。胸辺りまで伸びた黒髪をまとめず、自信ありげな顔をまっすぐ前に向けている。緑っぽい着物の下には、前川も服の上から性別を判断できない体格が隠れている。細い帯の位置は中途半端で、胸と腰の間辺りに巻かれている。性別に囚われることを一番嫌う人なのだ。
 前川が四辻姫のもとへ案内した後、その人は世間で通っている「倉橋輪くらはしりん」という偽名を告げた。女王が倉橋を怪訝に見ているのが、部屋の隅に控える前川にも分かる。
「倉橋殿じゃったか。早速問うが、そなたは男か? 女か?」
「それは聞かれたくありませんね」
 ぱっと耳にしても性別の分からない艶やかな声で、倉橋は突き返す。四辻姫が小さく唸った後、疑いは諦めて要件を聞いた。
「ではこちらも、率直にお伺いします。……なぜ貴方は、筑紫賢順斎と関わりを続けているのですか?」
 前川が顔を上げたと同時に、四辻姫の表情もうっすら強張った。
「……そなた、それをどこで聞いた?」
 倉橋の疑念を否定しない女王の言葉に、前川は自らの聞き違いを案じた。これまで自分が諸田寺へ手紙を運んでいたのは、賢順の手助けをするためだったのか。
「陛下のことは、昔から調べていました」
 倉橋は堂々と言う。密かに御所や薄雪山の屋敷に忍び込んでは情報を得ていたと明かしただけでなく、下手をすれば命がなくなりかねない王族の裏事情を平然と並べ立てた。前川でさえも端的にしか知らなかった四辻姫独自の思惑や、さらにその先の恐ろしい計画をすらすらと話し、これらが全て事実か女王へ確認する。その言い方も自信に満ちており、自分に間違いはないと確信しているようであった。そして黙っている四辻姫へ追い打ちを掛ける。
「これらが正しいかお答えしていただかなければ、私は瑞香の民に陛下の御思惑を詳らかに明かす所存でございます」
 普段は冷静な四辻姫が膝立ちになり、手を一つ叩いた。倉橋の後ろで閉じていた青簾が上がり、武器を構えた者たちが客人を狙う。何かあった時のため、四辻姫があらかじめ配備していたようだ。
「不敬者、思い知るが良い!」
 女王が叫ぶなり、武装した部下が動きだした。槍や刀が突き出される中、倉橋は素早く身をかわす。護身術を習っていたとは聞いていなかったが、前川が驚く暇もなく倉橋はあっという間に部屋を出、廊下を走り去った。四辻姫が部下に追わせ、前川と二人きりになったところで座り込む。
「そなたはあやつから文を受け取ったと聞いたが、知己か?」
「母の時代から仲がよかっただけです」
 自分の家と倉橋、そしてその父も含めた家族ぐるみの付き合いがあったなど、前川は今の状況では言えなかった。
 
 
 居間でパソコンを使い、動画サイトで音源を流しながら、清隆は楽譜を見返していた。あれから八重崎は襲われておらず、シャシャテンが保管することになった『差流手事物』について何か聞かれもなくなった。八月が近付き、いよいよコンクールも迫っている。
 高校生活では最初で最後になるだろう舞台を、悔いのないものにしたい。少しでも完成度を高くすることに貢献できるよう、夏休みが始まったばかりの今日も演奏する曲を聴いていた。
 一通り音楽が終わった後、和室からシャシャテンの叫び声が耳に入った。座卓に楽譜を置いて清隆は居間を出、わずかに開いていた襖を覗き込んだ先にいた人物に目を見張る。
「帰ったのは嬉しいが、せめて玄関から入ってこぬか!」
 騒ぎ立てるシャシャテンの前には、何度も頭を下げる山住の姿がある。彼は清隆に気付くと、慌ててこちらへ近寄って挨拶をした。先日、調査に行っていた諸田寺から戻ってきたようだ。何か分かったか清隆が尋ねると、山住は肯定して和室に招き入れてくれた。しかし部屋へ足を踏み入れるなり、清隆は肌にまとわりつきそうな暑さに顔をしかめる。
「シャシャテン、冷房は付けていないのか」
 清隆は部屋の奥に設置されているエアコンを指差したが、シャシャテンは頑なにそれを操作しようとしなかった。昨年末に清隆が暖房の使い方を教えてやったが、目を離した隙にシャシャテンが勝手にいじり、冬に似付かわしくない冷房が入ってしまった。それが居候にとって、今でもトラウマになっているらしい。
 とはいえ外の猛暑が伝わってくる室内では、落ち着いて話を聞けない。清隆はシャシャテンたちを、冷房の効いた居間へ通した。山住が座卓のパソコンを一瞬だけ見たが、すぐに本題へと入る。
「賢順は、思ったよりすんなりと私を迎えてくれました。他に信仰を望む者にも」
 梧桐宗で「修行」と呼ばれているしきたりは、寺に一定の間籠もって教えを受けることだった。諸田寺に入った者は、寺で定められている期間中は特別な例外を除いて、境内から遠く離れることも許されない。どうも些細な怪我で死に繋がることを恐れているらしい。加えて賢順は同じく寺に住み込む信者たちと行動を共にさせ、教えを生活の中から叩き込ませようとしていたのだった。朝晩の念仏に始まり、毎日似たような話を聞かされる講義が行われ、誰かが死にまつわる言葉を零せば不吉だときつく注意される。時には箏の手習いが行われ、宮部玄も学んだという教えを受けることが出来た。
「されど私にとっては大方、寺での暮らしは心地の悪いものでございました。ただ賢順やその弟子たちと関われたのは、大きな収穫かと。賢順は自らを、大友正衡の弟だと言っていましたが……」
「それは前に聞きました」
 清隆は今から二ヵ月ほど前にあった『差流手事物』にまつわる騒ぎを明かす。それを聞いた山住は、途端に納得したような表情になった。ちょうど清隆の話していた時期に、賢順や弟子が「不老不死になる方法が見つかった」と喜び、宴まで計画していたという。しかしその術が記された書は彼らの手元に渡らず、賢順は相当不機嫌になっていたようだった。
「賢順はどうやってなるのかも知らないで、不老不死を望んでいるんですか」
「はい。今もあらゆる術を試みているものの、どれも事が成らなかったと聞いています。弟子には医術を学んでいる者もいますが、やはり不老不死となるには足りません。大方、道心者たちに戒めを説いています。傷や病には気を付けろと。そして、死は恐ろしいものだと」
 梧桐宗は諸田寺の外でもこれと似た言葉で甘く人を誘い、信者を増やしている。清隆も学校帰りに自らの受けた仕打ちを思い出す。――同時に自分へ掛けられた、賢順に憎まれているとの言葉も蘇った。
「諸田寺で、賢順が俺について何か言っていましたか」
「清隆殿のことで? さぁ、特になかったかと」
 山住の答えに、清隆は安堵と不審の入り交じったものを感じた。賢順は本当に自分を憎んでいるのか、山住の前で黙っていただけか。はたまた山住が、賢順の話を忘れているのか。
「城秀、梧桐宗について何やかや明らかになった訳じゃが、もうそなたは諸田寺に行くことはないのか?」
「いえ、実は……」
 山住はシャシャテンを一瞥して、懐から紙を取り出す。帰り際、賢順の弟子に渡されたというもので、来月下旬に諸田寺で行われる儀礼へ勧誘するチラシだった。山住はこの儀礼に、必ず入信していない人を連れて来てほしいと頼まれているのだと明かす。
「されどそれでは、無理に教えを授けられるか、『修行』に引き込まれるように思えてなりません。しかし私が来いと言われている以上――」
「良いではないか、梧桐宗を知るにはこれとない好機じゃぞ」
 シャシャテンが笑いながら清隆へ視線を向ける。参加しろと言うのか。清隆も梧桐宗の実態に興味はあるものの、賢順の弟子から受けた発言が気に掛かっている。賢順は自分に目を付けてこないだろうか。
 まだ儀礼まで時間はあると、山住はすぐ決めずに検討するよう勧めた。だがシャシャテンの方は乗り気のようである。
「よし、私もそなたが如何にくだらぬ話を聞いておったか探りに行こうではないか!」
「お待ちください、姫様を危うき場へお連れするなど出来ません! 陛下も案じております」
「嫌じゃ! ぜひとも行きたいぞ!」
「姫様! 私はもちろんのこと、四辻姫様が――」
 しばらくは駄々をこねていたシャシャテンだったが、伯母が気にしていると何度も言われているうちに諦めて食い下がった。わざわざ彼女に心配を掛けたくはないと。
「しかし伯母上のことも気になっておるのじゃ。近ごろ、倉橋なる者に脅されたそうじゃが、そなたは聞いておるか?」
「話では伺っております」
 まだ山住が諸田寺から戻ってくる前、倉橋という人物が四辻姫へ対面した上に脅迫してきたという。シャシャテンが眉をひそめつつ語るのを耳にしながら、清隆は本当にそのような事件があったのか、倉橋とは何者かといった疑問が頭を離れなかった。

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