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六段の調べ 破 二段 六、梧桐宗の者

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 八重崎が襲撃されたとの話を聞いて数日が経ったころだった。その日も部活が終わった後、清隆は校門前で八重崎と別れた。彼女の家へは、清隆が普段向かう方向と逆に行った所にある路面電車を利用しても帰れるそうだ。おまけに学校の許可を得れば、自転車も使えるらしい。家が近い上に様々な行き方がある八重崎を羨みながら清隆が歩いていると、歩道の脇に立つマンションの陰から鈴の音が聞こえた。人が鳴らしているのか、等間隔で響いてくる。
 その音色が不気味に感じ、清隆は速度を緩めて出どころを探った。歩行者が一点に奇異な目を投げて通り過ぎていく辺りに近寄り、思わず動きを止める。頭を覆うように白い頭巾を被り、黒く染まった法衣を着た男が、マンションの壁に寄り掛かるようにして立っている。身長ほどの長さがある杖を時々地面に突き、その度にあの音が鳴っていた。足元に器は見当たらず、托鉢を望んでいるわけでもなさそうだ。
 彼は八重崎の言っていた、梧桐宗の信者ではないか。清隆が考えて男の様子を見ていると、急に彼が動きを止めて笑い掛けてきた。
「ありがたいお話をして差し上げましょうか? 今はまだ珍しい、不老不死にまつわることでございます」
 興味があると思っているのか、男は不老不死の素晴らしさを説いて勧誘してきた。自ら「青桐の教えを信ずる一介の僧」と名乗り、筑紫賢順斎の弟子だと誇らしく述べる。ここまで人に警戒もなく自身を明かすような態度に、むしろこちらの気を許して油断させるつもりではと、清隆は身構える。動かない自分を見て、賢順の弟子を名乗る男はますます乗り気になったのだろうか。清隆が話をあまり聞いていないとも気付かない様子で、死は恐ろしいものなどと言って不老不死を目指すようしつこく勧める。
 これでは梧桐宗が本当に『差流手事物』を狙っているか探る暇もない。長話に飽きて清隆がどうすべきか迷っていた時、目の前の弟子と同じ格好をした男が慌てた姿を現した。
「また倒されました! あの稀なる書を持つ女人に!」
 清隆を勧誘していた男が驚き、連絡をしてきた者と共に学校の方へと走る。八重崎が関わっているのではと勘付き、清隆もすかさず後を追った。校門の前を過ぎ、交差点の近くで清隆はその光景を捉えた。法衣の男二人が戸惑っている先で、また別の僧侶姿が倒れている。そしてすぐ近くに、鞄を地面に置いて両手の埃を払う八重崎がいた。駆け寄った清隆に、彼女は笑みを見せる。
「ああ、この人は気絶してるだけだよ」
「気を抜くな、先輩。まだ梧桐宗の信者はいる」
「うん、分かってる」
 八重崎は頷き、歩み寄ってくる男たちを一瞥した。
「そこの女人が、不老不死になる術を知っておられる八重崎様でしょうか? そしてこちらは……?」
 一人がしてきた問いに、清隆は名を告げる。すると男たちは顔を見合わせて驚きを露わにし、やがて清隆に厳しく告げてきた。
「平井清隆とおっしゃいましたか? ……ならあなたは、我が師の敵でございますね」
 男の断定に、清隆は眉根を寄せる。ただ名前を明かしただけで、自分が賢順から敵にされなければならない理由が分からない。
「師はあなたを憎んでおられます。あの方は御兄上がご逝去されたことにひどく心を痛めておりまして――大友正衡様がお亡くなりになったことは、もちろんご存知でいらっしゃいますね?」
 梧桐宗の創始者である賢順は、あの大友正衡の弟なのか。その立場を生かして兄に協力しようとしているのなら、不老不死を求める動きにもいくらか頷ける。そう浮かぶ一方、清隆は弟子の言葉を素直に受け取れなかった。賢順が兄だという大友の死を悼むのは分かるが、それならなぜ自分を憎んでいるのか。
「梧桐宗の人でしたっけ? わたしにもともとの目的があるんじゃないですか?」
 挑発じみた声で話を逸らす八重崎に、僧たちの視線が定まる。
「『差流手事物』なら――ごめんなさい、どこかへ行ってしまいました」
 シャシャテンが提案した通りの言葉を、八重崎は申し訳なさそうに伝える。途端に男二人の目が険しく光り、彼女へ足を進めた。
「失われた? あの書が? ……何ということを!」
 間に割り込もうとした清隆を振り払い、彼らは八重崎に迫って問い詰める。不老不死を得る術が書かれている『差流手事物』紛失を責め、彼女へ錫杖を向ける。
 本当は何も罪がないにもかかわらず非難されている八重崎を、清隆はこれ以上見ていられなかった。迷わず彼女の前に立ち、男たちを睨み付ける。
「この人は意図せずあの書をなくしただけだ。責める必要はない」
 奥にいる男の一人が目を見開き、錫杖を高く振り上げた。もう一人が止めようとしたのも聞かず、杖を八重崎へ下ろしてくる。思わず清隆が彼女を突き飛ばした時、胸の辺りに強い打突感を覚えた。錫杖の先が当たったと理解しながら、清隆は打たれた部分を押さえて咳き込む。対する八重崎を狙っていた男は、相方に叱り付けられても余裕の表情を浮かべていた。
「図らずもそこを打たれましたか。大友様のお痛みが、これで分かったでしょう?」
 大友は心臓の病に倒れ、さらに四辻姫に胸を刺されて死亡した。しかし自分にその苦痛を味わわせて何になるのか。清隆がなおも黙って賢順の弟子たちを凝視していると、今度は八重崎が清隆を庇うように前へ移った。
「これ以上清隆くんに何か言うなら、この人も含めてあんたたちを半殺しにするけど、いい?」
 自身が気絶させた男を指差し、八重崎は毅然と言い放つ。その気迫に押されたか、弟子たちは小声でやり取りを始め、やがて揃って急に恭しく頭を下げた。
「私たちは皆の不老不死を望む身――あなた方を含め、人を死に追いやりたくはありません」
 気絶した仲間を介抱し、男たちは清隆と八重崎を振り返らず炎の中へ消えていった。彼らが瑞香から来た者たちである点は、間違いないだろう。まだ鈍く痛む胸をさすりながら、清隆は八重崎に怪我がないか尋ねた。彼女自身は特に負傷もないと聞いて、少し痛みが引いていく。それでも清隆は、すぐに気を緩めることが出来なかった。
『差流手事物』の紛失を、梧桐宗の信者たちは信じるだろうか。また彼らが狙ってくるのではと清隆は心配したが、八重崎の方はさほど気にしていないようだった。仲間を死へ近い所へ追いやった自分に、これ以上しつこく襲ってくることはないだろうと自信を見せる。
「あの人たち、人が死ぬことも嫌がっているみたいだし、むやみに仲間を危険な場所へ追いやらないと思うよ。でももしあの本を本当に持っていたって知られて、また何かあるのはなぁ」
 やはり彼女が再び今回のような目に遭ってはならない。『差流手事物』を持っていても使い道はあるか、清隆は尋ねた。そして特に使わないと聞き、即座に言葉が口を突いた。
「なら、その本を俺に預からせてくれないか。シャシャテンが箏を弾く時に使うかもしれないし、先輩がまた襲われるよりずっと良い」
「清隆くんの家で? まぁ、あの本にとっても、うちで眠っているよりずっといいだろうけど。――あ、これって誰かに聞かれてない? 学校の子とか梧桐宗の人っていないよね?」
 確かに今の騒動で、瑞香について追及されても密かにいた信者に絡まれてもいけない。八重崎だけでなく、清隆も周囲に人がいないか見回す。そして誰もいないと確かめ、近いうちに書を受け取ると約束した。そして念のため、清隆は八重崎を路面電車の駅まで送っていった。

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