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六段の調べ 序 五段 三、昨日の友は今日の敵

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 冬休みが終わりかけるころ、清隆は信と共に朝重家を訪ねた。年賀状に記されていた連絡先を通じて朝重れいとやり取りをするようになった妹が、都合の良い日程を聞いていた。しかし彼女自身は会うつもりがないと、家で留守を決め込む。仕方なく男二人で差出人の住所を頼りに、「朝重」と表札のある小さな一軒家に辿り着く。さほど自宅からも遠くない、人通りの少ない住宅地にそこはあった。
 信がインターホンを鳴らすと、か細い少女の声が返ってきた。絵本作者の娘・れいだろう。
「突然すみません、おれたち瑞香のことで話があるんですけど……。あ、美央さんから話聞いてます? 幼稚園でお友だちだったんですよね?」
 物腰の低い信に応対する相手は、しばらく黙った後に思わぬことを問うてきた。
『六段姫さまはご一緒ですか?』
 清隆と信は顔を見合わせる。家で用を済ませてから来ると言って同行しなかったシャシャテンについては、一言も話してない。朝重れいは彼女を知っているのだろうか。
「あの、今その姫さんって人はいませんよ? 何かお話でも?」
『いえ、わたしはあの人を殺すよう頼まれているだけです』
 信が声を上げて動揺する傍らで、清隆は彼女が本当にそのような目的を持っているのか不審を持つ。先ほどよりもはっきりした低めの声で、女は続きを話しだす。
『大友正衡さんからの命令です。ちょっと前にこれを受けて、六段姫さまを待っていました。ああ、わたしはずっと瑞香の人たちと関わってなかったんですけど……なんか急に、大友さんの声が聞こえてきて』
 今まで縁のなかった者に、大友が頼み掛けるなどするのか。移住して以来瑞香に行っていないはずの朝重が、日本でどのように声を聞いたのだろうか。すぐ戻ってシャシャテンへ伝えるべきか清隆が迷っている間に、再び少女の声がした。
『六段姫さまがいないなら、平井清隆さんはいませんか?』
 自分の名前が聞こえて驚き、この家から離れた方が良いと清隆は察する。しかし信が何も考えていない様子で、自分がいると伝えてしまった。
『それならよかったです。もう一つ、大友さんから頼みがあったので』
 通話が切れ、扉の向こうで足音が迫ってくる。清隆が素早く後ずさった直後、勢いよく開いた扉から包丁の刃先が飛び出してきた。細い腕を振り回し、胸の上辺りまである黒髪を乱して、少女が執拗に清隆を追う。信が落ち着くよう大声で彼女に呼び掛けるが、相手が聞き入れる様子はない。
「お前が、朝重れいか」
 少女と5距離を取り続けるよう努めながら、清隆は尋ねる。頷いた朝重は動きこそ止めたものの、刃先はまっすぐ清隆へ向けていた。
「あなたには突然のことかもしれませんけど、大友さんは前から目をつけていたんですよ。あなたが瑞香のことをなんでも知ろうとするから、大友さんはそれが怖くて消そうとしているみたいです」
 昨秋に大友のもとへ上がり込んだ際、確かに話した言葉を清隆は思い出す。自分は敵味方関係なく、ただ瑞香を知りたいだけだと。それが王の気に障ってしまったのか。彼には何か知られてほしくないことがあるのか。好奇心から起こした行動が、今思えば軽率だったと清隆は悔やむ。やはり怪しい者と見なされる危険を冒してまで、彼を訪ねるべきではなかった。
「おれたち、あなたのおうちにある資料を取りにきたんですけど、先にそちらを受け取ってもいいですか?」
 信の問い掛けに、朝重はしばらくきょとんとしていた。やがて美央が伝えてきたことかと気付き、彼女はきっぱり言い放つ。
「そのことですが、実は大友さんから何も聞いてないんです。だから美央ちゃんからあんな連絡が来たときも不思議で。資料はとっくに知り合いへ渡しました。なんでそれがいるんですか?」
 困ったようにこちらを見てくる信に代わり、清隆が説明する。歴史書を作る理由が『芽生書』の焼失にあると伝えると、朝重は包丁を下ろして首を傾げた。
「おかしいです。『芽生書』はまだ瑞香にあるはずなのに。新しい歴史書なんて、必要ないんじゃないですか?」
「いや待って! おれも清隆も、あの巻物が燃えたところを見たんだよ! この目で!」
 慌てる信にも、朝重は平然と返す。
「それは偽物じゃないですか? 本物はちゃんと大友さんが持っているはずです。あの方がわたしに言ってきたことなので、間違いありません」
 巻物は確かに、宮部もろとも焼失した。今でもはっきり浮かべられる光景が蘇る中、清隆は朝重の言葉に疑いを持つ。しかしすぐに、北の家にあったあれの真偽を巡ってシャシャテンと揉めた記憶がよぎった。宮部の燃やした書が、本当に偽物だとしたら。
 信がスマートフォンを操作している。どうやら『芽生書』の写真を朝重に見せるつもりらしい。画面を差し出し、信が少女に歩み寄る。
「お母さんの絵本って、やっぱり『芽生書』を参考にしてたんですか?」
「そこまではわかりませんが、『芽生書』にどんなものが書いてあったかは母から聞いてます。それ、フラッシュで撮ってませんよね? 紙が傷んだらどうしてくれるんです」
「申し訳ない、確かめてませんでした」
 わずかに信を睨み、朝重はスマートフォンに目を凝らす。何回か画面を横になぞっていた彼女は、やがて最後の画像をこちらへ突き付けてきた。
「こんなの、聞いてたのと違います。これこそ偽物です!」
 画面が下に向けられた端末が、朝重の手から振り落とされる。ガラスが割れる音がし、信の顔が青ざめた。
「あなたたち、偽物に書かれていたのを正しい歴史だなんて思ってたんですか!?」
 朝重は怒りに体を震わせ始める。清隆たちの見た巻物自体が、瑞香の歴史に対する侮辱だ。そしてそれを写真で記録に残そうとしたなど許せない。地面に落ちたスマートフォンを爪先で踏み、朝重が包丁を持つ手を振り上げる。
「生田さんでしたっけ。まずあなたから殺しましょうか。大友さんには何も言われてませんけど、個人的にどうしても憎らしくなってきました」
 信が両手を挙げ、朝重の顔と足元を交互に見る。元々自分だけが狙われていたにもかかわらず、彼まで巻き込まれてはいけない。清隆は信の腕を掴んで引き寄せてから、彼を庇うよう前に立つ。そこに、もう一人朝重に狙われている者の声がした。
「清隆、小僧! 遅れてすまぬのぅ! まだここに――」
「シャシャテン、来ちゃだめだよ!」
 信が叫ぶなり、後方の足音が止まる。清隆がそっと振り返ると、乱れた髪を整えながら、シャシャテンが遠くから朝重を探るように見ていた。やがてその表情を硬くさせていく。
「――嗚呼、そやつは操られておるようじゃ。人にあらざる者の影があるからのぅ。陰陽師によるものかとは思うが。それにしても得物まで持っておるのか? 何があったのじゃ?」
 清隆が事情を手短に話すと、シャシャテンはすかさず歩き始めた。止めるのも聞かず清隆の脇を抜け、朝重の刃先寸前で立ち止まる。
「どうやら大友の陰陽師が手を出しておると見た。しかしそなたは元より、奴と縁があった訳ではなかろう? 私は奴に仇なす四辻姫様の者よ」
 改めて元女王が資料を必要としている理由を説明し、シャシャテンはそれを渡すよう頼む。しかし朝重は即座に断り、そもそも四辻姫が本当に歴史書を作ろうとしているのか問うた。
「無論、伯母上の言うことであるから間違いはないわ」
 その発言に清隆が口を出すより先に、シャシャテンは四辻姫の動きや大友の思惑について語りだした。大友の「建国回帰」へ話が進むと、朝重は面持ちを強張らせていった。
「なんでそんなこと、大友さんはしようとしているんですか?」
「分からぬ。しかしあやつのことじゃ、腹に何やら抱えておるに違いあるまい」
 長く瑞香に住んできた者の言葉を聞き、朝重の顔は青ざめていく。初めは後ろで状況を不安げに見ていた信が、やがてシャシャテンのそばに移る。清隆もまた、朝重の自分たちに向けた警戒が薄れていっているように感じつつあった。

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