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六段の調べ 序 五段 二、朝重家

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序・初段一話へ


 年明け早々、大友のもとには例の者から文が来た。『芽生書』の筋を記した書が、日本にある。それを縁とした関わりを勧められるが、特に興味も持てず断りの返事を出した。
 数日後に届いた手紙には、書の作者を通じて己の願いも果たせるのではと、ある案が出されていた。一考した末、十年ほどの政で重用してきた陰陽師を呼ぶ。文の中身について申し合わせると、狩衣をきっちりと着こなした男も戸惑いを示した。やはり差出人の言葉は無視しようか。そう考えかけた時、陰陽師がふと険しい顔で大友を見据えた。何やら胸辺りから目を動かさない。断りを入れ、彼は言い放った。
「陛下。このままのお具合が続かれるようで御座いましたら、恐らく厳しいかと思われます」
 気掛かりをはっきりと伝えられ、大友は静かに頷く。生きているうちに望みを果たすためには、やはり行く手を阻む者を排さなければならない。とすれば、例の者が言うことも呑み込める。史家の書とやらはともかく、敵を消すには好機だ。ここで動きを一気に進められる。
 思い改めて陰陽師に下知を告げると、彼は面持ちを崩さず承知した。最後の願いを叶えてやりたいと言って去った彼の背を、大友はじっと眺めていた。
 
 
 清隆が居間で自分に届いた年賀状を整理している間、シャシャテンはその作業を横で眺めていた。ほとんど部活の仲間からしか来ていないはがきをファイルに収め、最後の一枚を取ろうとしてシャシャテンに先を越された。差出人の名に八重崎とあるそれを、居候は顔に寄せて凝視する。送り主が清隆も度々話題に出していた人だと気付いた彼女が笑う。
「そなた、八重崎殿からはまんざらに思われておらぬらしいぞ」
 年賀状を渡された清隆は、はがきを何度も引っ繰り返す。特に変わった部分はないはずだが。
「見るだけでは分からぬぞ、ほれ」
 シャシャテンが無理やり、清隆の顔面へ年賀状を押し付けてきた。紙からうっすら、何やら花のような香りを感じる。
「瑞香ではのぅ、思う者への文には香をたきしめて送るのじゃ。それで私もあやつに――あ、おい! そなたは風雅を感ずる心も持っておらぬのか!」
 のろけ話を始めそうなシャシャテンを差し置き、清隆は年賀状を仕舞う。瑞香を知らないはずの八重崎が、そこの風習を知るわけがない。それならなぜ、はがきにこのような手間を掛けたのか。
 後ろから肩を叩かれ、清隆は自身がしばらく固まっていたと気付く。呆然としていた様を叱責するシャシャテンは、片手に封を持っている。わざわざ自分に見せようとするそれは、四辻姫の手紙だろう。清隆の向こうでオルゴールを鳴らしていた美央も呼び寄せ、シャシャテンは伯母の連絡を話す。
『芽生書』の焼失により、勅令で制作された公の正史は瑞香からなくなってしまった。そこで新たに史書を作ることになり、参考として朝重家に保管されている瑞香の歴史にまつわる資料が必要だ。朝重家と話が付き次第、貸してもらうよう頼まれる。
 かの家は、昔から瑞香の歴史研究で有名だったようだ。一生姫によって神器がまとめて宮城の蔵で保管されるようになるまで、朝重家は「神器じんきまも」として『芽生書』を代々受け継いできた。
「どうも昔は、盗まれるなどがないように神器を分けて守っていたそうな。……その『守り手』にあの千鶴も選ばれたのじゃから、何というものかのぅ。いや、あやつは元の伊勢家と縁はないがな」
 伊勢千鶴子が賜る姓の由来となった家は、名高い箏の弾き手であった一族だという。鳳凰の箏を長く守ってきた彼らの家系は、ずっと前に絶えた。そこまで明かして、シャシャテンが話の逸れていたことに気付いて首を振る。
「とにかく、朝重家なら新しき書を作るにも頼もしき品を持っていそうじゃ! そこに目を付けるとは、さすが伯母上よ。のぅ美央、そなたは秋殿の娘と友じゃったな。何とか言ってくれぬか?」
「もう何年も会ってない人に? あっちもわたしのことなんて、忘れてるでしょう」
 今さら幼少期の関係を掘り返されても困るだけだ。断ろうとする妹に、清隆も同調する。彼女の心配はもっともだ。
「それに朝重家が資料とやらを持っていなかったら、どうするんだ。急に来られても迷惑じゃないか」
「……そなたたちは揃って心深いのぅ」
 シャシャテンがわずかにこちらを一瞥し、気落ちしたように後ろへ倒れた。手紙で顔を隠し、表情は見えない。
「案ずるのは分かる。じゃがこれも伯母上の頼み、いずれは応えねばならぬ――とはいえそなたたちの話を聞いておると、成し遂げられるかも心許なくなるな」
「四辻姫が歴史書を作ろうとしていること自体に、何か意見はないのか」
「正史が失せたのじゃぞ? 新たに作るのは当然よ」
 清隆が尋ねると、シャシャテンは手紙を床に置いて口を開いた。世の中で一つしかなかった巻物の喪失は大きい。民の間でまとめられた史書はあるものの、やはり公式に編纂されたものがなければ王家の名誉にも影響する。
「それに私はのぅ、伯母上を信じておるのじゃ。あの方が申しておるのであれば、正しかろう」
「なぜそこまで、四辻姫を信頼できるんだ」
 親代わりに育ててくれたとはいえ、彼女に入れ込み過ぎではないか。清隆が冷ややかに問うと、自慢げに四辻姫への恩義を聞かされた。母の死によって食事も取れなかった自分を、伯母は根気強く励ましてくれた。それが落ち着いてから、仇討ちのため武術を学びたいと頼み込んだ時も何とか受け入れてもらった。実の母に劣らぬほど、あるいは彼女を超えんばかりに大事にされたのだという。
「幽閉される前は、四辻姫とよく会っていたのか」
「いや、それほどでもなかったかもしれぬのぅ……」
 四辻姫は急に引き取った姪を育てなければならないことに戸惑わなかったのか。シャシャテンの答えを聞いて、清隆は思う。自分がしっかりしなければと考え、実母以上に手を掛けていたのか。あるいは別の思惑があって、シャシャテンを何とか信頼させようとしたのか。
「四辻姫が今までお前を育ててきたことに、何か裏があると感じたりはしなかったか」
「ある訳がなかろう。親が子を育てる時に、見返りを求めるか?」
 きっぱりと言い放つシャシャテンから、清隆は顔を背ける。王女として大事に育てられてきた環境が、純粋に親を信じさせているのか。はたまたそれにかかわらず、盲目的に伯母を信じているのか。
 インターホンで、清隆の思考は遮られる。起き上がったシャシャテンがモニターを操作しようとして手こずる隣で、清隆が応対する。
『おはよう! 遅れたけど年賀状届けにきたよ! ついでになんかおもしろい話ない?』
 今は昼過ぎだったと確認しつつ、信をこの部屋へ入れてやる。年末にパソコンのモニターが割れたとかで投函が遅れた年賀状を、信はシャシャテンの分も含めて平井家全員分渡す。特に美央へは、妙に恭しく差し出していた。出掛けている両親へのはがきを預かりながら、清隆は墨で書かれた宛名を見る。裏には新春を祝う華やかな柄の上に形式的な文章が添えられ、端に手書きでメッセージがあった。
 絵本と朝重家の話を、信は興味深そうに聞いていた。特に、絵本が本当に『芽生書』を参考にしているか気になったようだ。それを確認しようと、彼はスマートフォンを取り出す。
 北の家で撮影した巻物の写真と、美央が自室から持ってきた絵本とを比べる。やはり絵だけでなく、シャシャテンの読み上げる巻物本文と絵本のあらすじにも類似する点があると分かる。初めは『芽生書』がどんな内容かいくらか忘れていた妹も、スマートフォンの画像を見るうちに思い出してきたようだ。
「……これはこれは。やはりあの書は、『芽生書』を元にしておるやもしれぬのぅ」
 シャシャテンの言葉に、清隆も仮にそう結論付けざるを得なかった。朝重秋は本当に、かつて守っていたものを参考にしたのだろうか。家でまとめられた資料についても気になる。四辻姫の記述が事実かはまだ疑問が残る。それでも清隆は指示通り、歴史資料を回収することにした。早速信も協力を申し出るが、急に朝重家へ押し掛けても良いか不安がる。そこで彼は、作者の娘と縁のあった美央へ視線を向けてきた。長く見つめられ、反応を示さなかった妹もついに折れる。
「……仕方ないですね。わたしが朝重さんに連絡しますよ。まだ年賀状には間に合う時期ですよね?」
 礼を言う信に謙遜し、美央ははがきが残っていたか確かめるべく自室へ戻る。手助けに信が感謝する隣で、清隆は朝重家の者がどんな反応をするか、気掛かりが収まらなかった。

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