見出し画像

六段の調べ 破 二段 三、瑞香の禁忌

前の話へ

二段一話へ

序・初段一話へ


 シャシャテンから聞いた不老不死の話をしたいものの、何人にも同じ話をするのは面倒だ。たまたま自分の周りで瑞香を知る者が一緒の学校に通っているのは都合が良いが、人前で話すのは憚られる。どのように伝えるべきか考えていた時、清隆は喫茶店を出た後に八重崎が漏らしていた言葉を思い出した。
「北さんと知り合いになってたなんて、うらやましいなぁ。瑞香との縁ってのも、面白いね」
 あの話は、北にもするべきかもしれない。なら彼の家を皆で訪ね、その場で一気に話してしまった方が良いだろう。肝心の北が許してくれるかが不安だったが、清隆が連絡を入れると、彼は家に来ても良いと快諾してくれた。
『きみたちぐらいしか、話し相手がいないからね』
 通話の向こうで苦笑いをする北は、同時に不老不死自体に一言言いたいようだった。去年の秋、不老不死を願う一派であった「越界衆」の長・伊勢千鶴子へ反抗するような態度を取っていた姿が目に浮かぶ。
 幸い話を聞かせたい面々の予定も合い、その週末に信と美央、そして八重崎も連れて北のもとへ向かうことになった。わざわざ遠い自宅から電車を乗り継いで来た八重崎は、サインを貰おうと意気込んでいる。既に色紙を取り出して準備の整っている様子を見、清隆は一年前の信たちと似ているものを感じた。
 そして予想通り、八重崎は間近で初めて見た北に感激していた。彼を前にしてしばらくの間は何度か噛みつつ挨拶をし、恐る恐る色紙を差し出す。そんな彼女にも喜んでサインをし、北はピアノのある応接間へ案内した。紅茶を淹れながら、八重崎との関わりを聞いてきた北に信が応じる。
「今年からおれたちと同じクラスですね! 去年までは付属の中学から来た人が固まっていたクラスにいて、清隆は部活で八重崎のことを間違って――」
 本人が止めようとしたのも無視し、信は以前、清隆が八重崎を年上と誤解していたと最後まで明かしてしまった。清隆が黙って俯いている間に、向かいのソファーに腰を下ろして北が笑う。
「清隆くん、聡いと思ってたけど、意外と抜けているところがあるんだね。それで清隆くんがシャシャテンさんから聞いたのは、不老不死の話だっけ? あんなもの、ぼくには興味ないし、意味もない気がするんだけどね」
「シャシャテンも同じようなことを言っていました」
 彼女が普段とは異なる険しい顔で語っていた話を、清隆は伝える。瑞香人は当初、不死鳥に近付ける不老不死を尊いと考えていた。しかし昨年見た『芽生書』にもあった通り、日本との交流が始まったころから、傷がすぐに癒える者は迫害されるようになった。
 ここで八重崎が『芽生書』の内容を知らないと清隆は気付いたが、それを補うかのように信がスマートフォンに保存していた画像を彼女に見せた。結局清隆たちが最初に見た書は偽物だと分かったが、あの瑞香人が石を投げられている場面は大友の枕元で見たものと違わぬ絵が描かれていた。ここでその画像を見せても、問題はないだろう。
 時を経て瑞香人は、不老不死を「異常」と見做す価値観を作り上げていった。そのきっかけを伝える記録として、清隆は鞄から冊子を取り出す。八重崎が「解読」を頼んでいた、古い『差流手事物』だ。ここに昔収められていた二曲は、不老不死のなり方と、実際に不老不死を得た男について教えるものだった。清隆の開いたページを、八重崎が真っ先に興味深く覗き込む。
「ここにある逸話は、この本だけに載っていて世間に広まっていないようです。昔、ある刀鍛冶が特殊な鉄を使って、普通なら何があっても傷付けられない不死鳥を斬られる太刀を作った。それで彼は不死鳥を斬ってその血を飲んだことで不老不死となって……周りの人々に恐れられました」
 清隆は感情を入れず、淡々と説明する。不老不死になる術としては不死鳥の肉や肝を食うことも当時は知られていたが、誰も為す者はいなかった。それを実行して周囲に気味悪がられた刀鍛冶は、二度と姿を現すことのないよう岩屋に封じられた。シャシャテンは男が何らかの手段で不老不死になったとは昔話に聞いていたが、太刀の存在は知らなかったと零していた。
 男の封印以降、瑞香の民はより一層不老不死を嫌い、「無常」を尊ぶようになった。日本から人が入り込み、不死鳥の血を継がない者が増えた点も、その思想に拍車を掛けた。
「そこで不老不死だったり不死鳥の血を継いだりする人は、王族を除いてほとんどが『人でなし』と見做されるようになりました」
 妹の視線がこちらに動いた気がした。すぐに彼女を見るも、そっぽを向かれる。話を止めて問い詰めるわけにもいかず、清隆は続ける。瑞香人は「人でなし」扱いを何より恐れた。そう思うあまりに、いつからか人が死ぬと「あれは化け物ではなかった」と喜ぶ風潮が一部ではある――。
「別に『人でなし』でもいい気はするけど」
 美央の低い呟きに、清隆は再び彼女を一瞥した。何か言おうとしても、言葉が浮かばない。そこに北が口を挟む。
「それを言うなら、ぼくだって『人でなし』だよ。みんなと違って、何もできない」
「北さんはピアノうまいじゃないですか!」
 真っ先に声を上げた信に続き、清隆も首を縦に振った。彼は本当に自らの取り柄がないと思っているのか、口だけで言っているのか。八重崎はやや困り顔で北を宥めようとし、妹はじっと北を見つめている。そんなファンたちの様子も気にせず、ピアニストは呟く。
「ぼくはやっぱり、不老不死なんてなりたくないね。むしろ瑞香の習慣に憧れるよ――死を悲しむんじゃなくて、喜んでくれるんだってね。どうせぼくはそうやって笑われる存在だよ。それにさ、泣かれるのはつらいよね」
 目の前で口角を上げる男が自ら死のうとした様を、清隆は目撃している。止められなかった悔しさが今さらのように湧き上がり、清隆は咄嗟にカップを手にした。あの時北が死亡していたら、自分はより強い罪悪感に苛まれただろう。
 そして助からず亡くなった人々のことも、不意に浮かぶ。宮部や伊勢、大友は敵であったものの、その死には思うところがあった。わざわざ偽物の神器と共に燃えた宮部など、死ぬ必要があったのか。瞼の裏が熱くなり、清隆は慌てて目を閉じる。やはり「死を喜ぶ」思想には、首を傾げたくなる。
 カップの中身を一口飲み、清隆はいったん別の話題へ移した。八重崎に「建国回帰」を教えたか確認してから、北に梧桐宗の流行について話す。彼らが不老不死を目指しており、もしかしたら再び「建国回帰」を進めるかもしれないと。
「……まぁ、ぼくが『不老不死はくだらない』なんて言ったところで、それを批判する人たちももちろんいるよね」
 冷め切った紅茶に目を落とし、北は自殺未遂騒動後に予定通り行ったコンサートについて話しだした。清隆も鑑賞に行っており、客席の人々は誰もが北の復帰を喜び、盛大な拍手を送っていたと記憶している。しかし北が注目していたのは、実際に足を運んでいないだろう人間の反応だった。予定通りにコンサートを開催したことに、一部から批判があったという。
「でもどうせ中止したり延期したりしても、やっぱり批判は来たと思うんだよね。結局ぼくは、存在するだけであれこれ言われるのかもしれないね……」
 彼に会う際にはほぼ毎回聞かされる自虐的な話が、今日も始まってしまった。思わず八重崎の反応が気になり、清隆は彼女を窺う。憧れのピアニストが実際にはこのように悲観的な性格だったとは、八重崎も想像していなかっただろう。清隆はそう思ったが、当の彼女はむしろ関心があるように聞き入っている。これはこれで八重崎が別の意味で心配になり、清隆は話を変えようと手を挙げた。だいたい話し終わったが、何か質問はないか問う。特に何もないと返されて帰ろうとしたのを、北が慌てて引き留めた。
「八重崎さんだっけ? きみもぼくのファンみたいだから、何かリクエストを聞いてあげたいなと思ってね」
 思いがけない提案に、八重崎は何度も良いのか確かめてから一曲注文した。北はグランドピアノの蓋を開け、楽譜もなしに弾きこなす。相変わらずの暗い音色に、これは深く落ち込んでいる時に聴きたくなるものだと清隆は改めて感じ入った。

次の話へ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?