蒐集家、団結する 第三章 五、完成へ至る道
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やがて辿り着いたのは、五階で最も博物館の出口に近い部屋だった。館内展示の最後を飾るガラスの前で、熊野は平泉にケースの鍵を持ってくるよう頼む。平泉が出口へ去っていく間、「楽土蒐集会」会長は微笑んで右手にペンダント――椛が「天使」に受け取ったものを固く握っていた。
「それはあたしのだよ! 返して!」
椛は声を上げたが、それが空間に虚しく広がっていくように聞こえた。熊野は答えず、手にする小物を軽く掲げる。
「これに使われているのは、草木染めですか?」
急な問いに声を出せずにいる椛に代わり、真木が肯定する。どのような経緯で手に入れたか聞かれた時も、彼女がてきぱきと返した上で厳しく追及した。
「椛はこうした伝統技法に関しては素人です。何故そんなものを、博物館で展示しようというのですか?」
椛は何度も頷きながら、熊野の返事を待った。作品を自分の意思なく人々に見せられるのは、気に食わない。きっとここにある美術品の持ち主もそうだろう。それを思うと、椛は人の気持ちも考えてなさそうな男が今も笑顔であることに腹が立ってきた。
「――これが記念すべき、最後の蒐集品だから。一度失敗したものをちゃんと蒐集したいって、オーロが言ってたから」
「それだけじゃないだろう? 子どもも文化を学べるという手本としてだ」
軽い金属同士がぶつかり合う音を立て、平泉が戻ってきた。出口からこちら側へ歩き、彼は空のケースを見つめる。十年前に日本で蒐集を行おうとした際、平泉はたまたまそのペンダントを見掛けた。少女が指に紐を掛けて振り回した末に落としたのを拾い、いくつかの疑問を抱いた。なぜ幼い子どもが、高価なはずの装飾品を持っているのか。見た目も職人によるものとは思えないほど雑な感じがある。少女にペンダントを返した後、隣にいた母らしき女が語った話で謎が解けた。それは修学旅行で、娘が手ずから作ったのだと。
ライニアから離れた国では、教育機関で実技的な面を通しても文化を学べるのだ。かつて同じ学校に通っていた熊野と平泉も、学校で伝統体験などをやったことがないという。
「ぼくも初めて知ったときは驚いたよ。――ライニアでもそんな風に、教育現場でも文化振興をしてほしい。……『偽善家』、さっきの話に覚えはある?」
副会長の問いに、椛はすかさず首を振る。今熊野が持っているペンダントについて語っていたのに、平泉の言う内容は自分の記憶にない。大事なものを盗まれた衝撃に、追いやられていたようだった。
「ライニアは内乱で荒れてしまった。もう誰も傷付かないでほしい。各地の素晴らしいものを見てほしい。この『楽園』で、皆が喧騒を忘れて穏やかでいてほしい――この外は見てきたか? 『早二野』のみんな」
早口で言い立てていた平泉が、ふと物憂げな顔になった。椛はこの建物の周辺に何があったか、記憶を辿る。花畑に、ここより小さい何かしらの建物、そして外の墓場について言いかけたところで熊野が割り込んだ。
「あの墓地の前に『楽園』を作ろうって言ったのは、オーロ――平泉なんだ。彼の家族も眠っているよ。あそこが元々、何だったか想像できる?」
元から墓が並び立っていたわけではないのか。椛だけでなく誰もが黙る中、答えが返ってきた。
「美術館。内乱でひどい被害を受けながら、一部の作品は無事だったけど――墓を建てる場所が足りないからって、移設とかの提案もなく取り壊された。展示されていた絵画や彫刻は散逸してしまって」
いくらか「楽土蒐集会」で回収したが、それでも全部ではないと熊野は付け加える。
「……人の心も壊れたんだ、二十年前に」
平泉が俯き、低い声で呟く。文化などさして重要ではないと切り捨て、今すぐに必要なものだけを求める。そんな社会の在り方は、もうやめにしたいのだ。この国に平和の文化を作るため、世界を越えた各地の優れたそれを示さなければならない。
「……そのために、みんなが持ってる大切なものを奪ったっていうの!?」
語り終えた平泉へ、椛は即座に反論していた。現に自分も、ペンダントを奪われて心が苦しいのだ。実家から名品を盗まれた白神もまた、堂々としていた熊野を睨んでいる。対する平泉は先ほどと打って変わって黙り、拳を握り締めている。
「ボクとしては、そんなに強引なことをするはずじゃなかったんだ」
代わって口を開いたのは、熊野だった。団体を結成して蒐集家を集め、彼らが乱暴な手段も選ばなかった。所業を構成員のせいにするのか真木が問い詰めようとしたが、それを平泉が遮った。自分が止めなかったのがいけなかったと彼は言う。
見立てた時期よりも開館が遅れそうだと判明し、平泉には焦りが生まれていた。建設中に起きた二度目の内乱や、今年に入って発生した感染症が、より切迫を強めた。加えて隻眼になったばかりのころは設計作業に難航したと聞いた治が、わずかに俯く。
「認めよう。ぼくたちのやり方は間違っていた。だから一度終わらせて、またやり直そう――」
そう言って平泉は、握り締めていた鍵を熊野へ放った。受け取った男は迷いなくケースを開け、ペンダントをその中へ収めた。事態に気付き、椛は慌てて鍵を熊野から奪おうとする。しかし床を踏む音、次いで金属の割れる音がそれを妨害する。開かれた熊野の手中で、鍵は粉々になっていた。平泉が軽く両手をはたく。彼が魔法で鍵を破壊したのか。
椛はケースへ駆け寄り、黒い設置台との間に手を入れてガラスを外そうとした。それでも駄目だと分かると、今度は手ずから破壊すべく拳を振り上げる。
「諦めなさい、椛。展示ケースは、そう簡単に壊れるものじゃない」
「じゃあどうすればいいの!?」
真木に叫んだきり、椛はケースを割る気力もなくなって膝から崩れた。また自分は、大事なものを失ってしまうのか。今度は「天使」も来てくれそうにない。涙を堪える中、平泉が熊野へ確かめる問いが聞こえてきた。蒐集品は十万点になり、目標は達成された。
「これで博物館は『完成』ってことでいいんだな?」
熊野が認めた時、ゆっくりと手を叩く音がして椛は顔を上げた。のろのろと立ち上がり、出口から入ってきているのが自分たちに異世界への行き方を教えてくれた人――日光だと分かる。どこかで見覚えのある茶色い制服を着ている彼は、「楽土蒐集会」の二人へ笑い掛けた。
「やぁやぁ、めでたい。ちゃんと『完成』を迎えるとはね」
拍手を続け、日光は祝意を熊野たちへ述べている。共に「楽土蒐集会」を倒すはずだった人が、何をしているのか。困惑しているのは椛だけでなく、真木も鋭い声で訴え出る。
「日光さん、『楽土会』を倒すようわたし達を誘っておいて、騙していたんですか? 国蒐構として、逮捕するために!」
彼の制服が自分の恐れていたものだったと気付き、椛は頭部を殴られたような感覚に陥った。日光はこちらへ手を振り、笑みを崩さない。
「そんなことないさ。本格的な破壊はこれからだ。なぁ、オーロさん?」
国蒐構の老人は、平泉とわずかに目を合わせる。そして二人揃って、近くのケースを拳で軽く叩いた。途端にガラスの割れる音が、次々と部屋の中に響く。それを合図にしたかのように、椛たちと反対側にある入り口から制服の職員たちが次々と入ってきた。ケースは砕けて覆いがなくなり、展示品が持ち出されていく。
「怖い思いをさせてごめんよ、『偽善家』」
平泉に呼ばれたかと思えば、椛の視界にペンダントが飛んできた。さっとそれを手に取り、わざわざ返してきた男を見つめる。ついさっきまでペンダントが入っていたケースも、跡形なく粉砕されていた。