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蒐集家、団結する 第三章 一、楽土園

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 服をひどく濡らすほどでもない霧雨の中、椛は寒さで体を震わせつつ前へ進んだ。木々の葉が色づき始めているから、ここも秋なのかもしれない。しっとりとした土を踏み締めていると、正面に広い池が見えてきた。真ん中には大きな曲線を描く橋が、三本続けて掛けられている。その先にある建物に、白神が何か気付いたのか呟く。
「あれ、新聞にも載っていた博物館じゃないか?」
 池を隔てて距離のある建築に、椛はじっと目を凝らす。黒い屋根の下に、朱で塗られた壁が広がっている。入り口らしき透明な扉のある真ん中の建造物は、さらに左右へ伸びた施設と繋がっているようだ。確かに以前「七分咲き」で見た写真にも似ている気がする。あそこに、「楽土蒐集会」会員や熊野たちが控えているのだろうか。
 椛たちは揃って、橋を渡り始める。池の左右には花畑が広がり、名前の分からない色とりどりの花が雨に濡れている。そしてその周りにも、小さな施設が間隔を置いていくつか並んでいた。
 博物館前に着いたところで、椛たちはまず周囲を見て回った。神社の本殿と呼ばれても差し支えなさそうでもある、厳かな雰囲気に圧倒される。そして建物の裏に立つ塀から先、少し低くなっている土地には、ここと全く別の光景があった。横書きで何かしらの字が彫られた、白く大きな碑が草地に整然と連なっている。急に胸騒ぎが生じ、椛はその正体にしばし戸惑っていた。やがて治の言葉を聞いて納得する。
「……墓場だね」
 あの白い石の下で、大勢の人が眠っているのだ。見渡す限りに墓石があり、それらは数え切れない。ライニアで大乱があったという話は、椛もざっくりと覚えていた。もしここが、その乱で亡くなった全員を葬っているとしたら。
「『楽土会』は、平和のために動いているんですよね?」
 真木の問いに、誰も答えなかった。椛は何か言いたかったのだが、頭が混乱していた。ここまでの人が命を落としたなど、信じられない。どれほど平和とは懸け離れていたのだろう。この犠牲を忘れないためにも、「楽土蒐集会」は新たな一歩を踏み出すべく、ここに「楽園」を作っているのか。
「でも、博物館には……」
 椛はゆっくりと、後ろの建物へ目を移した。館内には、人々が奪われた大切な品があるに違いない。それを取り返す使命が自分にはあるのだ。かつて助けてくれた「天使」のように。
 椛はペンダントを一度握り締め、博物館へ向かっていった。後ろから三人の足音がついて来る。屋根の陰へ移り、中央の入り口に立つ。扉は椛が近付くと、自動的に両側へ開いていった。
 肌寒い外と比べて、館内は幾分暖かかった。思わず一息つき、真木たちも入ってきたと確かめて椛は室内を見回す。四隅には商品の並ぶ棚を備える店や、テーブルの並ぶカフェやレストランらしきものがある。中央へ進んでいくと、受付と思われる仕切りが設けられ、壁の向こうに階段や奥の部屋への入り口があった。壁には読めない字の並ぶ案内板やポスター、順路を示す矢印が貼られ、とりあえず椛は正面の階段に足を掛ける。幅の大きなそれを上り切ると、ケースに収められた品が遠目に見えた。椛は仲間に手招きをし、展示室へ踏み込んでいく。
 誰もいない今なら、こっそり所蔵品を持ち出せるかもしれない。椛が抱いた期待も、ケースが容易く開きそうにないと分かって打ち砕かれた。叩いてもびくともせず、鍵穴を見つけてもピッキングには時間が掛かりそうだ。下手に動いて隠れていた「楽土蒐集会」の者に見つかりでもしたら、戦闘は避けられないかもしれない。
「日光さんはどこにいるんでしょう? あの人、わたし達を騙したんじゃないでしょうね?」
 真木が声を尖らせるのが聞こえる。確かに今日この時間に来るよう求めたのは日光だ。その姿がないのは椛も気になったが、それでも彼へ疑いを向ける真木を止めた。遅れてくる可能性もある上、優しそうだった彼が自分たちを嵌めるわけがない。ライニアのことも、色々と教えてくれたのだから。
「ここで突っ立っていても埒が明かないよ。ひとまず、動いた方が良いんじゃない?」
 そう言う治の提案で、今もどこかで博物館完成に向けて動いているかもしれない構成員――特に熊野と平泉を探すことにする。分担のため皆と離れなければならないが、この広い館内で迷子になりそうだ。椛が不安を浮かべていると、白神が拳銃の弾数を確認して足を踏み出していた。
「おれは春日山を殺しに行っていいか?」
 耳にした不穏な単語に、椛は彼を見つめる。自分を裏切った者として、どうしても始末しないと気が済まない。そう訴える白神が抱える苦しみを、椛はそのままにしておきたくなかった。しかし今はそれより、やることがあるだろう。
「白神くんは『楽土会』を倒すために『早二野』へ入ったんだよね!? 先にそっちを片づけて、春日山さんのことなんて後でいいじゃん!」
「だめだ、それじゃあ遅い」
「そんなことないって! そもそも今日、春日山さんがここに来てるかもわかんないでしょ?」
 同じ仲間だから、一緒に協力して目標を果たすべきだ。そんな椛の言い分も白神は聞こうとせず、口論は熱を増しそうになる。そこに治の涼しげな声が介入した。
「富岡さん、ここは彼の好きにさせて良いじゃないか。三人も四人も、ここを探すには変わらないよ」
 椛が言い返す間も置かず、白神は先を急ぐ。すぐに自分たちとの間は開き、やがて向こうの部屋へ消えていった。残っていた仲間も各々に歩きだし、椛はまだ誰も向かっていない方角へ進む。一人になると、室内に響く足音が物寂しく聞こえた。
 手当たり次第に階段を見つけて上り、自分がどこにいるのか分からなくなった。ここまで人という人を見掛けていない。そのうちに他の部屋よりいくらか照明の暗い展示室へ迷い込んだ。
 ケースに並んでいる品々は、異質だった。以前訪れた真木が働いている博物館とは全く趣が違う。壊れた拳銃らしきものなど、一体何のために展示しているのだろう。なぜか寒気がして、椛はその場から逃げるように足を速めた。
 廊下の光が届く出口近くで、一度休憩する。壁に寄り掛かって俯くと、身に着けているペンダントがおのずと目に入った。これを自分のもとへ取り返してくれたのは、どこからともなく現れた「天使」だった。ずっと前に亡くなった父も、困った時は天使に頼み事をすれば良いと言っていた。だから本当にその姿を前にした時は、ひどく嬉しかったものだ。
 彼がいなければ、自分はどうなっていたか。死んだように過ごしていたのは間違いない。就職した後のことは、思い出そうとしても出来ない。最初に辞めた会社での記憶は刻まれているが、心がその回顧を阻む。これ以上、昔に囚われていてはいけない。今は熊野たちを見つけなければ。
 体を軽く伸ばしてから、椛は廊下へ出る。周囲の気配を探る中、ふともし「天使」に再会したらと考える。まず言わなければならないのは、感謝だ。そして現状も気になる。あの人は今も、元気に蒐集家をやっていると信じたい。
 結局出口へ繋がる階段へ辿り着いても、目当ての人物はいなかった。探していない場所があったか、行き違えたか悩んで引き返す。最後の展示室へ入ると、まだ何も入っていないケースが一つだけあるのを捉えた。他のケースが品で埋め尽くされているのと比べると奇妙だが、そればかり気にしてはいられない。視線を前へ移し、椛は館内の捜索を続けた。

 博物館の裏には、世界各地にある国際蒐集取締機構の支部から派遣された警察車両が並んでいた。そのそばで日光の隣に立ちながら、所沢は上司の手元を見る。館内図を参考に、彼はてきぱきと職員たちに指示を出していた。今からここにある美術品を回収し、本部へ輸送する。それに際して「楽土蒐集会」の会員たちも逮捕する。覚えてきた計画を頭に繰り返していた所沢は、待機しつつ同じことをずっと悩んでいた。
 日光は「楽土蒐集会」の計画に力を貸していたはずだ。だのに今から壊すとは、どうも引っ掛かる。彼は何がしたくて、今まで動いてきたのだろうか。第一、「楽土蒐集会」という悪に加担していたことも、相変わらず気に入らない。かといって大事な計画を実行する直前に意見をぶつけてしまっては、作戦に影響を与えるかもしれない。現に周りの職員たちは、上司の指図を素直に受け入れて作業している。自分ももたもたしてはいられないのに。
「やぁ、所沢さん。今日が『楽土園』最後の日だね。気合いを入れていこっか」
 陽気な声に耳を打たれ、所沢は疑っていた人物を振り返る。日光は本当に、今まで自分が関わってきたものを壊すつもりなのか。問いを零すと、「楽土蒐集会」を逮捕する気がなくなったか聞かれた。そんなことはないと、強く否定する。
「気になることがあったら、何でも聞きな。実は計画にミスがあったとか、本番中に分かったら大変だからね」
 混乱に浅くなりかけた呼吸を整え、所沢はゆっくりと息を吸う。ここで訴える機会を逃せば、次はない。そう己に言い聞かせ、上司を睨み付けて大声を発した。
「日光さん、悪に関わっておいてそれを成敗するなんて、何のつもりですか? 捜査のためとはいえ、あそこまで深く関与していたら、もはや『楽土会』の一員と変わらないじゃないですか!」
 所沢の脳裏によぎったのは、初めて会った蒐集家だった。あの人は、どうしようもない悪だった。人間を平気で騙し、誰の手からも逃れて姿をくらまし、今も捕まっていない。そしてそれと同じ肩書を名乗る者が世界を乱していると知り、怒りが湧き上がった。蒐集家の行いを見過ごしてはおけない。手を貸すなど、もっての外だった。
 周りにいた同僚たちが、上司へ歯向かう所沢を止めに入る。彼らが何を言っているか聞き取れない中、所沢は疑わしい相手を凝視する。対する彼は、冷静な様子で口を開いた。
「俺は機会を待っていたんだよ。ものが壊れるのは、完璧を迎えた時だ。きっちり十万点集めようとしている熊野に、思い知らせてやりたいんだよ」
「そんなに『楽土会』を壊したいなら、国蒐構の――正義の立場でわざわざやらなくても良かったじゃないですか!」
 苫小牧に聞いた「早二野」の話が所沢に浮かぶが、すぐに打ち消す。
「なぜあなたは、正義の職員のままで悪を為したんですか? あなたなんか、国蒐構の恥です!」
 いつの間にか、左右から職員たちに腕を掴まれていた。手を出しかねないと思われたらしい。日光の行いはあくまで潜入調査だとの声がする。それでもやり方に問題を指摘しようとした時、予想もしなかった人物がこちらに近付いてきた。
 日光へ手を振る女は、洋服の上から着た千早が目を引く。彼女が蒐集家の春日山と気付いた所沢は、楽しそうに会話をする者たちに顔をしかめた。
「日光さん、何をそんなに蒐集家と懇意になっているんですか? 彼らを逮捕するのが、私たちの仕事でしょう」
「嗚呼、この前の潜入で会ってね」
「僕が『早二野』をここへ呼んでくれるよう、頼んでおいたのさ!」
 思わぬ話が進んでいたことに、驚きと疑いを同時に覚える。相変わらず日光の動きは、怪しくてならない。なぜ敵である蒐集家と親しげなのだろう。さては二人して組んでいるのか、それならより問い詰めなければ。
 不満が募る一方、所沢に別の目標が突如浮かんだ。もし春日山の言葉が正しければ、「楽土蒐集会」だけでなく「早二野」の蒐集家も逮捕できる良い機会だ。いずれ現れるまで様子を見、蒐集家の撲滅へ繋げるのだ。今のうちに、少しでも多く敵の数を減らさなければならない。そう決めた所沢は、ふと春日山が「楽土蒐集会」会員であったと思い出した。ここで逮捕したいのはやまやまだが、疑問がある。
「『早二野』はあなたのいる組織を壊そうとしているみたいですが、なぜそんな人々を呼ぼうと思ったんですか?」
「……僕、『楽土会』にこだわりは全くないんだよね。ライニア出身でもないし。でも」
 春日山は千早の裾を翻し、職員専用と思われる灰色の扉へ歩いていく。その途中で彼女は振り返ると、所沢へ笑ってみせた。
「やりたいことがあるんだよ。どうしても僕が叶えたいことがね」
 鍵の掛かっていない戸を開け、春日山は中へ入っていった。その一つにまとめた長い髪の先が消えた瞬間、所沢はやきもきした思いで扉の閉まる音を聞いた。日光といい彼女といい、人の考えていることは分からない。
「それで所沢さん、これからの作戦はどうする? おれが気に入らないなら、帰っても良いよ」
 呼び掛けた上司の方を向き直り、所沢は一つ息をつく。もう言い合っている暇はない。問題は横へ置いておき、今は為すべきことをしなければ。毅然と日光を見上げ、迷いのない思いを言い切った。
「もちろん、引き続き参加します。正義を果たすために」
 部下の決意に、日光が頷いて目を細めた。

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