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蒐集家、団結する 第一章 一、偽善家

「ちょっともみじ、前見なさいよ!」
「だってぇ、あの人たち怖いんだもん!」
 並んで走る友に言い訳をした富岡とみおか椛は、後方の発砲音に身を竦めた。先ほどから自分たちを追っている誰かが撃ったのだろう。日常ではまず耳にしない残響が、深夜のビル裏を駆ける椛の足を速める。整えていない天然パーマの髪がいくら乱れようと気にならない。十月初旬の肌寒さなど、意識から追いやられていた。
 隣の相棒が言う通りに前を向き、椛は彼女が両腕に抱えた箱を見やった。中身が綺麗に梱包されているのは確認したが、傷でも入ったら大変だ。自分よりはしっかり者で、美術に詳しい友人へ対しても、一応忠告しておく。
「大事なものなんだから壊しちゃだめだよ、真木まきちゃん!」
「あんたが言うことでもないでしょう!」
「そうだった、そうだった」
 軽く答えながら、椛は友――屋久島やくしま真木の袖を引っ張り、近くにあった細い小道へ入り込んだ。ここを抜ければ国道に出るはずだ。今の時間は車通りも少ないが、それでも街灯や建物の窓から漏れる明かりが行き先を照らしている。後ろにも追っ手は見えない。
 ひとまず撒けただろうと思い、走りを緩めて椛は息をつく。この近所にある倉庫を内包したビルへ侵入したのは、もう何度目だろうか。「悪い人」が盗んだ品が大量に保管されている場所があると聞き、今回も日付が変わるぎりぎりに忍び込んだのだ。そこで依頼人が奪還を求めた壺を発見し、無事に入手したと思ったら見回りに気付かれた。今は何とかなったものの、品を元の持ち主に返すまで仕事は終わらない。
 いつの間にか自分より足が遅いはずの真木が、国道の方へ飛び出そうとしていた。彼女との距離はずっと開いている。そして後ろからの足音も、次第に迫っていた。急いで真木に追い付き、彼女と揃ってビルの林立する道に出た時だった。自分たちを囲む光景に動けなくなる。
 前と左右に複数の人々が並び、武器を構えて椛たちの行く手を阻んでいた。男女入り乱れたその中には、自分たちより目鼻立ちのくっきりした顔や染めているとしか思えない奇抜な髪色、ずっと背の高い立ち姿もいる。ある者は銃火器、ある者は刃物を持ち、彼らの間を抜け出す隙も与えない。引き返すにも、倉庫からの追跡者がそれを許さない。全く予想していなかった出来事に、椛の身は凍り付いた。
「どうしよう、どうしよう? このまま捕まっちゃうの?」
「一応、覚悟はしておきなさい」
 真木が箱を地面に置き、人々を見据える。もうどうなっても良いと腹をくくっているようだ。しかし椛は、まだこの場を逃れる方法を忙しなく考えていた。箱の中身を待ちわびている人が浮かぶ。どうしてもこれを無事に持ち帰りたい。だが怪我をするのは嫌だ――。
 突如、車道から眩しい閃光が椛の目に刺さった。鋭いブレーキ音を立て、椛たちを取り巻く人々の後ろで自動車が止まる。その扉が開き、長身の男がゆっくりとこちらに向かってきた。下がり気味の眉と目尻だけを見れば優しそうだが、その手に握られている長物と印象が不釣り合いだ。彼が歩み寄るにつれて、武器の正体が椛にも容易く理解できるようになった。黒い鞘に入っているそれは、日本刀らしい。
 男がわずかに武器を抜き、鍔辺りで光を跳ね返すものがあった。あの人も自分たちを狙っているのか。椛は咄嗟に目を閉じ、耳も塞いでその場にしゃがみ込んだ。そして間もなく、手を通して様々な物音が鼓膜に伝わってきた。発砲音や誰かの悲鳴、靴底が地面を強く擦る音など、どれも惨たらしい乱闘を思わせる。自分の近くで起きているとは考えたくもない状況に、椛はしばらく顔も上げられなかった。
 やがて肩を叩かれる感覚で、ようやく目を開ける。真木の無事には安堵したが、周囲の異変に気付いて腰を抜かしそうになった。道には先ほどの追っ手たちがあるいは倒れ、あるいはうずくまり、どれもひどい切り傷を負っている。立っていたのは真木と、武器を仕舞う男だけだった。
「こんなに臆病だったとは、蒐集家しゅうしゅうかとしていかがなものかね」
 少し高めの声が降り注ぐ。それが人々を斬り倒しただろう男のものと気付くのに、椛は時間が掛かった。
「この人たちの仲間がまた来るかもしれないよ。また追い掛けっこになる前に、乗るんだ」
 男が自動車へ戻り、後部座席側の扉を開けた。気付けば、遠くの方がまた騒がしくなっている。すかさず椛は立ち上がり、道路の流血に何度か足を取られながら車に乗り込もうとした。何か言いたそうな真木にも、腕を引っ張って乗車を促す。彼女は眉をひそめつつ、置いていた箱を手に椛の後へ続いた。
 座席に背を預けると、椛の胸に安堵が一気に込み上げてきた。汗ばんでいたのが少しずつ引いていく。車はビルの立ち並ぶ間を駆け抜ける。真木が箱を膝の上へ載せているのを確認し、椛は無事の蒐集完了を認めた。後は元の持ち主に返却するだけだ。
 そんなすっかり気の緩んだ椛とは対照的に、こちらへ箱を一度預けた真木は姿勢を伸ばしたまま、運転手を睨んでいた。一つにまとめていた茶色っぽい髪を結び直す間、目線はしっかり相手へ固定している。
「それで、あなたはどちら様ですか?」
 彼女は低く険しい声で男に問う。心を許していない人への対応が厳しいのはいつものことだが、自分たちを助けてくれた人にもそうなのには少々呆れてしまう。椛が声を掛けようとしたが、それより先に男が口を開いた。
「君たちの仲間だよ。同じ蒐集家だ」
 その言葉に、椛は身を乗り出した。彼なら安心できるかもしれない。すぐに椛は自分を名乗り、真木についても紹介した。すぐさま友が不機嫌を露わにする。
「まだ誰かも知らない人に、気安くわたし達のことを教えないの!」
「でも仲間だって、蒐集家だって言ってたよ? 『天使』みたいな人かもしれないじゃん!」
「蒐集家の皆が皆、あんたの言う『天使』と同じとは限らないでしょう?」
 椛が言い返そうとした時、運転席から笑い声が響いた。サイドミラーにも、くしゃりと歪んだ顔が映っている。
「屋久島さんの言う通りだよ! 特に俺なんか、蒐集家の中でも非道な奴さ」
 そうさらりと明かす男は、依然として目元に笑みを滲ませていた。やや乱暴にハンドルを切る彼は、端治はしおさむというらしい。
「それで治くんは、なんであたしたちを助けてくれたの?」
 初対面の人に馴れ馴れしいと、真木が注意してくる。治も自分たちより二歳か三歳ほど上だと認めた。しかし椛の態度も気にしない様子で、彼は問いに答える。自分たちの活動に興味があり、あの倉庫の品を何度も蒐集していたとも聞いていた。本当は後を追いながら様子を見るだけだったが、二人の窮地に思わず反応してしまった。
「君たちを追っていたのは、蒐集業界でもかなり厄介な所でね。二人だけじゃまず勝ち目がない。そうそう、君たちは蒐集家の中では有名だよ。人の物を奪って元の持ち主に返す『偽善家ぎぜんか』と、美術に造詣の深い学芸員『審美家しんびか』ってね」
「……『偽善家』って、あたし!?」
 椛は思わず叫び、隣に座る友との差に愕然とした。確かに真木は有名な博物館で働いており、展覧会巡りが趣味だからそのあだ名にも頷ける。
「でもあたしが『偽善家』なんてひどいよ、ひどいよ! なんでそう呼ばれなくちゃいけないの?」
「周りからはそう見えているんでしょう」
 諦めろと言わんばかりに、椛に返された箱をしかと膝上で押さえる真木が厳しく告げる。じっと見てくる切れ長気味の吊り目が、心なしかより鋭く見える。それでも椛は納得がいかなかった。自分は本当に、大事なものを盗まれて困っている人を思って動いているのだ。それを「偽善」と一蹴されては、腹が立って仕方がない。
「だいたい、あたしを助けてくれた『天使』もそういう人で……」
「その話、端さんが聞いても分からないんじゃないの?」
 真木の突っ込みも気にせず、椛は話し続けた。首から下がる布製のペンダントを手に取り、忘れっぽい自分でもちゃんと覚えている記憶を辿る。同級生だった真木と作ったこの宝物を、十年前に奪われたことが人生を変えたと言っても良い。
 小学校の修学旅行以来、大事にしていたそれをなくし、落ち込みが収まらなかった。いつもペンダントのことを考え、普段以上に授業へ集中できなかった。しかし数日後、いくらか年上らしき少年が自分のもとへ返してくれた。
「それでその人が、自分は『蒐集家』だって言ってたの。だから蒐集家って、そんな人なのかなって」
「こんな風に、椛は最初に会った蒐集家を『天使』なんて神格化しているんです。全く呆れるものですよ」
「あたしを助けてくれた人だからね!」
 部屋のベランダに颯爽と現れて去った姿は、まさに「天使」だった。顔はすっかり忘れ、名前も聞き逃したが、一連の出来事は頭に残っている。所々ぼんやりしたそれを蘇らせては至福に浸る椛の耳に、治の声が届いた。
「そのペンダントとやら、今も持っている?」
 もちろんと答え、椛は身に着けていたそれを治に渡す。盗まれる可能性を真木が小声で指摘したが、治は赤信号の間にそれをじっと眺めるだけだった。麻紐の先には絹で織られた布で薄茶色の五角形が、その内に赤い紅葉が形作られている。注意深く全体を観察していた彼は、信号が変わるとすぐに椛へペンダントを返した。
 車窓の外は、終電の迫る駅周辺の風景へ移り変わっていた。看板の電灯が眩しく、まばらな人影を映し出している。真木が顔をしかめ、どこへ連れて行くのか尋ねた。
「俺にとって馴染みの店だよ。あそこなら『楽土会らくどかい』のことだって分かるさ」
 聞き慣れない単語に椛がぽかんとしていると、車が止まった。線路が通る高架下には、何件か店が並んでいる。治が下りて向かったのは、「七分咲しちぶさき」と書かれた暖簾を持つ店だった。うっすらと明かりの漏れる引き戸には、「一見さんお断り」の紙がある。そこへ治は躊躇いなく入っていった。箱を持ちながら気の進まない様子で真木が車を出、椛もそれを追う。手招きする治に導かれ、二人はゆっくりと店内に足を踏み入れた。
 カウンター席に椅子が六つ並ぶ、小さな店だった。墨で料理名を記した紙が左右の壁に貼られ、テーブルにもお品書きが置かれている。どうやらここは小料理屋のようだ。独特な木の香りが薄く広がり、どこかから流れている箏曲が和風情緒を掻き立てる。
 治に促されて椅子に座るなり、椛はカウンターの奥を覗き込んだ。片付けられた調理台の向こうに、人一人が通れるだろう扉がある。その前には膝先まで届きそうな長い暖簾があり、ドアノブを回す音と同時にそれが揺れた。現れた女の姿に、椛は思わず背を伸ばす。治に紹介を受けた彼女は、椛たちへ微笑みを向けた。
「まぁ、本当に会えるとは思いませんでした」
 ここを営む女将――苫小牧菖蒲とまこまいあやめは、濃い紫色の着物が似合っていた。横に流した前髪の下に、筆で引いたような眉が走っている。若干吊り上がった目が凛々しさを感じさせるが、表情は柔らかい。後ろ髪は後頭部でまとめ、大人びた印象を与えている。これで治とは二歳くらいしか違わないというのだから驚きだ。
 苫小牧は椛たちへ軽く挨拶をしてから、お冷を出してくれた。椛が一気にそれを飲み干す間に、女将は治へ笑い掛ける。
「約束があったとはいえ、よくここへ連れて来てくれましたね。『堕天使だてんし』さん――」

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