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蒐集家、団結する 第三章 二、この素晴らしき世界

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 果たして熊野たちは、この博物館に来ているのか。館内で足を進めながら、真木は疑問を頭に巡らせていた。一応治の提案は受け入れたが、無駄足になる可能性もある。白神が探す春日山についても同じだ。完成が近いなら、職員が最後の点検に来ているかもしれないが。
 熊野たちが博物館の関係者であるなら、展示室以外にも探すべき場所がある。真木は廊下を進み、壁と同じ色の戸を見つける。不用心にも鍵の掛かっていないそれを開け、向かいの窓近くに熊野が立っているのを認めた。
「せめて関係者以外の立ち入りは禁止だと、注意書きをした方が良いんじゃないですか?」
「もう書いてあったと思ったけど……」
 熊野の呟きに首を捻り、改めて真木は扉を確認する。よく見ると上部に、館内の随所にもあった奇妙な文字らしきものが並んでいる。その意味を読み取ろうとして、真木ははたと思い至って部屋へ押し入る。
「どうも英語に似ているように見えますが、わたしの気のせいですか?」
 未知であるはずの文字の意味を、真木はいくらか推測できた。似た字をアルファベットに置き換えることは、さほど難しくなさそうだ。加えて単語も、英語のそれをいくらかもじったようであった。熊野曰く、異世界と呼ばれているものは今の自分たちがいる世界とほぼ近しい歴史や文化を持っているらしい。ある時代でわずかに転機が訪れ、小さな違いが生じたことで変化が起きた。例えばライニアを有するこの世界では魔法が使え、真木の住む世界では使えないというような。
「そういえばキミの世界は、大変なことになっていますよね」
 今年に入って日本での蒐集を進めようとした矢先、「楽土蒐集会」は感染症に阻まれて活動が滞った。熊野の語った困難に、真木は頷く。勤めている博物館では、予定していた展覧会が延期や中止に追い込まれた。舞台や映画の業界では、より深刻な被害を受けているという。不可視の病原体が猛威を振るう限り、この窮状は続くだろう。
「皆、生活を成り立たせていくことにいっぱいいっぱいみたいでした。わたし達が与える娯楽なんて、後回しですよ」
 そう言って、真木は気付く。内乱の起きたライニアでは、博物館を楽しむ人は少なかった。戦闘で施設自体が破壊されたのもあるだろう。だがそれだけでなく、美しいものを愛でる心の余裕が、その時間を得るために支払う対価がなかったのだ。自分たちの世界も、そうなっているのだろうか。
「そんな中でよく生きてきましたね。苦しかった?」
「いえ、それほどでも」
 案じるように問うた熊野へ、真木はさらりと正直な気持ちを述べる。
「今の世界も、嫌いではありません。むしろ心地良いです」
 人と物理的な距離を取っていられる、直接会わなくて済むことは、真木にとって心落ち着くものだった。マスクで顔を隠せば、変に異性から声を掛けられもしない気がする。色々と電子化が進んで、人と触れ合わなくて済むことが安らぎをもたらしてくれる。今の状況が続いてほしいと思うほど、新たな環境に慣れてしまっている。この喜びを苦しんでいる当人が知ったら、何を言うだろうか。苫小牧など、店の状況は厳しいだろうに。
「人間は嫌いです。ほとほと期待なんてしていませんよ」
 人というものには、心ないことを言われ続けた。理不尽な目に遭い、何度も死を考えた。そこを美術に救われたのだ。人よりも、ただ黙ってそこにあるものに向き合っている方がずっと好きだと、真木は胸を張って言える。
「ボクも美術品は好きですよ。高等学校に入るまで、直接見たこともなかったけど」
 熊野は微笑んで、部屋の角にあった本棚から薄いノートを取り出す。より多くの美しいものを見たい・守りたいと思って、十万点は蒐集することを目標にしてきた。そう言って彼は、真木へノートを渡す。表紙だけでも傷や角のめくれがあり、使い込まれていると分かる。
 学生自体より熊野が記してきたというそれにあったのは、博物館にまつわるアイデアやざっくりとした設計図だけではなかった。ぱらぱらと真木がページを進める度、絵画や彫刻の模写らしきものが鉛筆で描かれている。この博物館で展示する作品の候補だろうか。絵を追う限り、様々な時代や地域、様式のものがある。
「このライニアでは壊れちゃったかもしれないけど……遠い国から来た文化が、その国が滅んでも別の場所で残っていることがあるんだって?」
 熊野が言いたいのは、例えば滅んだビザンツ帝国のモザイク画がかの地では残ってなくとも、離れたイタリアで今も見られるということか。あるいはシルクロードを渡った末、他の場にあったものは壊されながら、日本では形をそのままに留めている品々のことか。異国に文化の広がることが、結果的にそれを守ることに繋がっていた。そして「楽土蒐集会」もまた、あらゆる地域から蒐集を行っている。たとえ手に入れた先が滅んでも、この博物館に保管された品は未来にその国の有様を伝えていくだろう。
「……熊野さんは、文化を守りたいんですか?」
 肯定の返事が、すぐに返ってきた。だが声に虚ろなものを感じ取り、真木は彼の言葉を信じ切れずにいた。その思いは本当に人のため、平和のためにあるのだろうか。
 疑いを抱えたまま、真木は再びノートに視線を落とす。この博物館の周りには、公園や様々な施設があったはずだ。それにまつわるものが書かれていないと尋ねて、真木はまた別の人物が持つ願いを聞く。
「それらは、オーロ――平泉の提案なんです。彼は『浄土』を作りたいって言ってた」
 ライニアには概念のない「浄土」を探るため、平泉は十年前に日本やその近くの国へ行って何たるかを学んだ。その途中で右目を失ったとも熊野は語る。
「ボクはそんな大きなことまで、考えてこなかったよ。ただ美しいものを大切に守る箱が欲しかった」
 真木は思わず眉をひそめる。同じ目標へ向かっていたはずの二人には、決定的な違いがあった。初めから少しずれていて、恐らく互いにそれを気付かずにここまで来たのだろう。ただの箱とそれを覆う浄土では、スケールが遥かに異なるというのに。
「平泉さんに思いもしなかった計画を言われて、反発する気にはなりませんでしたか?」
「ううん。ボクは、受け入れることしかできないからね」
 怖くて何も言えないのだと、熊野は小さく肩を震わせる。その気持ちは真木にも否定できなかった。育ての親に心配を掛けたくなくて、あらゆる苦しみを我慢してきた。結果的にそれが、より心配させることに繋がってしまった。今からでも言いたいことは言った方が良い。
「あなたは、わたし達に何か聞きたいことはありますか?」
 真木の問いに、目の前の男は口を開く。
「質問があるとすれば――キミはなんのために、ここへ来たの?」
 持っていたノートを閉じ、真木は真っ先に「リーダー」を思い浮かべる。意気込んでいた彼女の様は、ありありと想像できる。あまりに楽観的で無計画であることには呆れもしたが、抱える思いは同じだった。
 ノートを持ち主へ突き出し、真木は恐れなく告げる。
「わたし達『早二野』は、あなた方『楽土蒐集会』を壊しに来ました。この『盗品博物館』など、開館させません!」

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