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六段の調べ 破 五段 三、無銘「栄光」

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 無銘「栄光」は、確か三種の神器で唯一行方知れずだといわれていたはずだ。それを今、シャシャテンが手にしているとはどうしたことか。清隆が「輪丁」と呼ばれていた太刀を眺めていると、不死鳥が刀身全体を見るよう勧めてきた。柄に隠れている茎に文字がなければ、無銘「栄光」である可能性が高いという。
 シャシャテンが再び和室に行き、戻るとベランダへは出ずに床の上へ、太刀と何やらこまごました道具を置いた。掌に収まるほどの小さな槌のようなもの――目釘抜きを持ち、手際よく柄を外していく。やがて鞘も外れて抜き身となった太刀を、シャシャテンは窓越しに不死鳥へ示した。
「銘は見当たらぬが……じゃからといって『栄光』とは限らぬであろう。無銘の刀など、数知れぬほどあるじゃろう?」
 怪訝な顔をするシャシャテンに、不死鳥は時代との関連性を指摘する。無銘「栄光」が打たれたと思われる千年ほど前は、日本でも瑞香でも刀には作者の名などの銘を入れることが多かった。その時代に作られ、磨り上げもされず太刀本来の長さが残ったまま、しかも元から銘がないという刀はそうそうない。
「それでも真贋が気になられるのであれば、押型と比べれば宜しいかと」
「『栄光』は行方知れずじゃと伯母上が言っておったからのぅ。この太刀がかの神器の写しということもあり得なくはないか?」
 シャシャテンが太刀を元通りに仕舞って疑問を零す。先に打たれたものとそっくりに作られた作品を、「写し」と呼ぶ。つまりここにあるのが模倣品ではと、シャシャテンは気にしているのだ。しかし瑞香で最も重要な神器の写しを許しもなく作るのは死罪にあたると、不死鳥は言い切る。もしそうなれば記録が残るはずだが、今の瑞香にそれはない。誰かが無断で作るとも考えられるのではないか、清隆はふと眉をひそめる。一方シャシャテンは説明に納得したのか、鞘に収めた太刀を見つつ呟いた。
「なるほどな。それに伯母上がわざわざ贋物を私に遣わすはずもないのぅ」
 夕日が傾き始め、寒さも強くなってきた。このままベランダにいても風邪をひきかねない。部屋の床に足を踏み入れた清隆の耳に、玄関で扉を叩く音が聞こえた。シャシャテンが行こうとしたのを止め、清隆が階段を下りる。買い物に行った両親なら、ノックせずとも入ってくるはずだ。訝しんで戸を開けると、久しぶりに会う男の姿があった。
「失礼いたします、清隆殿。不死鳥がこちらの方に飛んでいったとお見受けしまして」
 上着を羽織ってもなお寒さに震えていた山住を玄関に入れ、清隆は自分の部屋へ案内した。山住はシャシャテンの驚愕も無視して窓際に近寄り、ガラス越しに不死鳥へ瑞香に戻るよう頼む。しかし不死鳥は梧桐宗の動きを警戒して拒むばかりだった。
「今の瑞香では、あなたを傷付ける術も武器もないはずと思われます。このまま賢順が動けないうちに――」
「あるのじゃな、これが」
 シャシャテンが目釘抜きを片手に低い声で言う。振り返る山住へ、彼女は四辻姫から太刀を預かり、それが無銘「栄光」であるかもしれないと伝えた。山住が床に置かれた太刀に歩み寄り、一礼して両手でそっと持ち上げる。一度鞘から取り出したかと思うとすぐ収め、これが無銘「栄光」なのか困惑する。その隣で清隆は、不死鳥へ声が届くように問うた。
「四辻姫の手紙では、これが『輪丁』という名前だと聞いたんだが」
「それは例の鍛冶師によって付けられた名で御座いますね」
 王に献上された後、その太刀は「栄光」の号を与えられた。それから由緒正しい神社に奉納され、歴史の中で「輪丁」の名はほとんど忘れられてきたらしい。しかしこれほど貴重な品が自分の近くにあるなど、清隆は現実味が持てなかった。今まで所在が不明とされながら突然出てきた点も、奇妙な思いを加速させる。
「これは本当に、神器の無銘『栄光』なのか」
 清隆の漏らした疑問に、シャシャテンが小さく頷いた。そして念のため本物か確認しておきたいと、彼女は太刀を返した山住に告げる。
「昔にこれの押型を見せられてのぅ、今も内裏の蔵にあるはずじゃ。ということで城秀、盗め」
 二つ返事で引き受けた山住が、清隆の止めも聞かず部屋を飛び出す。あっという間に玄関から扉を開け閉めする音がした。
「さすがにやり方が横暴じゃないか」
「何、ばれたら私が謝る。それにそなたも、太刀の真贋を知りたいのじゃろう?」
 シャシャテンに迫られ、清隆は口を閉ざす。今のところ太刀が無銘「栄光」であるかを確かめる手段は、ずっと昔に本物をそのまま描き写したという押型と照らし合わせることだけだ。あれを何としても手に入れるしかないと強く言われる。
「山住さんも大変だねぇ。その押型ってのが届いたら、おれにも教えてよ」
 日が暮れかけているのを気にしてか、信が帰ろうとする。しかしシャシャテンが、山住はすぐ戻ってくると留めた。今日中に来るのか戸惑う信へさらに念押しして、シャシャテンは太刀と諸々の道具を手に階段を下りる。そして待っている間に茶を立ててやろうと、和室に清隆たちを誘ってきた。
 夕食が頭の片隅に引っ掛かったが、シャシャテンから渡された茶碗を断り切れずに清隆は受け取った。畳にまとまって置かれたマドレーヌには手を付けないでおき、清隆は窓へ目を向けた。眩い橙色に近かった空に、藍色の闇が浮かんでいく。このまま信を家に置いたままでもいけない。
 清隆のそんな心配をよそに、信はマドレーヌの二個目に手を伸ばそうとしていた。人数分しかないとその手をはたき、シャシャテンは隣の箪笥から短刀を取り出して袋を切る。彼女が満足げに洋菓子を頬張っている間に、玄関で物音がした。清隆が出迎えると、山住は懐から折り畳んだ紙を取り出して和室に入ってきた。元よりあった隠し扉なるものを使い、何とか蔵に侵入できたようだ。
 山住が畳に広げた押型を、シャシャテンはまず凝視する。空になった全員の茶碗を脇によけると、またも太刀を刀身のみの状態にして照明へかざした。右手に白い布――袱紗を持って刃を裏から支え、その表面をじっと見ている。押型に墨で描かれた絵と比較し、小さく唸った後シャシャテンは太刀を畳に敷いた布に置いた。
「間違いなかろう。これは無銘『栄光』じゃ。清隆も見るか?」
 誘いに乗り、清隆はシャシャテンのそばに座る。彼女に言われて、まず太刀へ向かって礼をする。袱紗と共にそれを手に取ると、ずっしりとした重みが伝わってきた。見方がよく分からずに茎を握ったままでいた時、向かい側にいた山住から小声で、刀身全体を眺めるよう勧められる。その姿には力強さがあり、同時に間近だからこそ伝わってくる冷や冷やとした恐ろしさを感じた。光に当てながら年輪らしき模様が映る表面に目を凝らし、裏も同じようにする。
 山住の指示を受けて畳と水平になるよう傾けると、刃の際に細長くまっすぐな線が浮かんでいた。目の角度を変えると、線の見える場所が上下に移り、その線も細かい波型になっている。光の当たり方や視線によって変わる輝きに、清隆は押型と比べるのも忘れて見入っていた。
 太刀を布に置いて、再び一礼する。手には鉄の匂いが強く残っていた。シャシャテンから押型を受け取り、先ほどの記憶と重ねる。紙には墨で濃淡が付けられながら、太刀の姿が細かく描かれている。清隆が表面に見えた線――刃文の形も、まっすぐな所からうねりが入る部分まで、ほとんど正確に写されていた。右上辺りには清隆にもはっきりと読める字で「無銘『栄光』」とあり、その隣に「輪丁」の名もあった。
 三種の神器である無銘「栄光」は、同時に不死鳥を傷付けられる「国の名を抱く太刀」だったのか。確認を込めて清隆がシャシャテンに問うと、彼女は肯定した。
「これが梧桐宗の手に渡れば、奴らの思い通りよ。『建国回帰』も進みかねぬ」
 真面目な顔をしていたシャシャテンが、ふと信と美央を振り返った。いつの間にか部屋の隅にいた二人は、布に置かれた太刀に各々目を落としている。シャシャテンがそれを指差して持ってみるか尋ねたが、信は怖いからと即座に断った。一方で美央は少し考えた後で頷き、清隆と場所を代わった。
 改めて遠くから見ると、博物館で展示されているようなものとそう変わらない。あれで本当に不死鳥が斬れるのか。
「いやいや、万が一のこともあるからさ。一応あれが本物ってことで信じたほうがいいんじゃない? 仮に盗まれた後でわかっても、取り返しがつかないし」
 信が早口に言う先で、妹は山住に教えられて太刀を食い入るように鑑賞している。清隆よりも長い時間が経って刀身を置いた彼女は、しばらくその場を離れなかった。
 窓から揃った足音や、金具の触れ合う音が聞こえる。それに気付いた信が顔を上げ、膝立ちで外を見やった。
「あれって、夏にもいた賢順の弟子っぽい人?」
 清隆たちも、白い頭巾に袈裟を着た姿が何人も通り過ぎていくのを認めた。あの惨事で生き残った者か、新たに諸田寺へ入った者だろう。山住がシャシャテンに太刀を片付けるよう促し、清隆へ不死鳥はどこにいるか聞いてきた。
「俺たちがここへ来る前は、まだあそこのベランダに――」
 答えかけて、清隆は息を呑む。この家にいるままの不死鳥に、梧桐宗が気付いていたら。真っ先に動いたのは山住だった。素早く和室を出、階段を駆け上がる。途中でつまずく音もしたが、その足音はすぐ階上へ消えていった。

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