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六段の調べ 破 五段 一、目撃

前の話へ

序・初段一話へ


 年が明けて間もない朝、冷える廊下を急いで前川は昼御座へ入った。調度のない部屋で向き合った女王の面持ちが、いつになく神妙だ。そして間もなく驚愕と心配が入り混じった声が彼女から発せられた。
「……そろそろ話すが良い。如何したのじゃ、その様は!」
 とうとう、四辻姫に心配されるほどになってしまった。無理もないと、前川は同僚によって不揃いに切り取られた髪先を撫でる。手の甲には火鉢に押し付けられた火傷の痕があり、着物で見えないが、肘や脚には転ばされて痣も出来ているのだ。もちろん身体だけでなく、精神も蝕まれている。夜は全く寝付けず、明日への恐れを思い浮かべているうちに朝となっている。なぜここまでの仕打ちを受けなければならないのか。
 今やこの瑞香では、主以外の人に会うのがつらい。自分に課している務めを終えたら、潔く命を絶とうか。倉橋へは依然、相談していない。あの人が心を痛めている姿など、想像したくもなかった。
 傷だらけで穢されてしまった自分は、もう女王に仕えるべき立場ではいられないだろう。前川はそう卑下したが、四辻姫は引き留めた。
「そなたはここに来てからよくやっておる。他の者が勝手に妬んでおるだけじゃ。気に掛かることがあれば、私に伝えるが良い」
 前川が頭を下げた時、背後の青簾を通して同僚の声がした。四辻姫が応じると、彼女は入室して恭しく封を渡す。このように主の前では大人しいが、周りに女官だけとなると態度が変わるのだ。今も四辻姫が下がるのを命じるまで、部屋の隅で澄ました顔をしながらじっと待っている。
 早く彼女には出て行ってほしい。前川は身を縮こませ、四辻姫が手紙を読んでいるのを眺めた。主は溜息をついて返事を書き、同僚に届けさせた。受け取った女官が立ち上がり、部屋を出ようとしてわざと前川に近寄る。そして正座した後ろからはみ出していた袴の裾を踏み付け、何事もなかったかのように去ろうとした。そこに帳台の上筵を叩く音がし、女官が固まった。
「そなた、今何をした!?」
 わずかに顔の青ざめた女官は、振り向きながらも答えない。対して四辻姫は眉と目元を吊り上げ、静かな怒りを訴えていた。
「私の前で女官同士の醜き姿を見せるなど、不敬にも等しいぞ。この者に厳しく当たるのはやめよ!」
 女官が涙声で謝ってから退室すると、四辻姫は一転して前川を気遣う言葉を掛けた。
「私も今まで黙っていたのが悪かったな。また何か起きれば、躊躇わず申すのじゃよ?」
 その言い方に温かいものを感じて、前川は小声で了承した。やはり四辻姫が、倉橋の前評判通りの人ではないように見える。そこに再びこちらへ足音が近付き、今度は誰かと慄く。やがて主に仕える男の部下だと分かり、体が硬くなる。そして彼が述べた報告に、前川は耳を疑った。今まであった懸念の一つが、これほどあっさり解決しそうになるとは。
 四辻姫は部下にある提案を伝えた後、彼を立ち去らせた。そして前川を呼び、ゆっくりと立ち上がる。これから連れて行きたい場所があるものの、他言は禁止だという。主が何をするつもりなのか不安に思いながら、前川は女王に続いて部屋を離れた。
 
 
 シャシャテンにはいい加減居間の炬燵から出てもらいたいと、清隆は和室の暖房を付けた。そろそろエアコンの操作方法を覚えてほしいが、彼女は間違って冷房が入ったのが相変わらずトラウマなのか恐れている。畳には手紙とやけに大きな細長い包みが置かれており、瑞香から届いたようだった。清隆が呼んでようやく部屋に入ってきたシャシャテンは、真っ先にその包みへ着目する。
「何じゃ、これは! 聞いておらぬぞ?」
 慌てて包みに駆け寄ったシャシャテンが中を開くと、清隆も予想できていなかったものが現れた。鳳凰や沈丁花の細工が施された豪勢な金の鞘で、シャシャテンが少しばかり柄を抜くと刃が照明に当たって輝いた。大きさからして太刀だろうと推測するシャシャテンは、そばに置かれていた手紙を取る。
 四辻姫より送られたそれには、付属品の詳細が記されていた。諸事情があってシャシャテンに預かってほしいという太刀の名は「輪丁りんちょう」で、誰にも盗まれるなと念押しされている。間近で見る大振りの武器に、清隆はしばらく現実味が湧かなかった。手紙にある忠告が正しければ、この太刀は相当大事なものなのだろう。しかし、なぜシャシャテンに託したのか。四辻姫のもとで保管できない事情があるのか。
「私には責が重いのではないか? 北殿のように奪われてしまうとも限らぬ」
 そう呟いてシャシャテンが次に手を伸ばしたのは、太刀の少し遠くに置かれていた山住の手紙だった。恋人より伯母から来た連絡の方が大事なのか尋ねると、長物が気になって先に開けただけだと返された。
「清隆、そなたは近くで不死鳥を見てはおらぬか? この辺りにおるらしいと城秀の文にあるのじゃが」
 まさか日本に不死鳥がいるのかと疑問を持ちかけて、清隆は思い出す。年が明けてから初めて登校した、今日の午前だ。信がたまたま教室で席の近かった八重崎へ、あるネットニュースの話題を持ち出していた。机に伏せて興味なさげだった彼女にも、信は遠慮がなかった。
「八重崎、東北らへんですごい大きな鳥が飛んでるってニュース、知ってる?」
「ええ? 鳥? そんな都市伝説みたいな話、あるわけないよ」
 呆れる八重崎を見かねて会話に入ると、清隆は信にスマートフォンの画面を突き付けられた。ニュース記事と共に翼を広げた鳥のような写真が掲載されていたが、画像はモザイクがかったようではっきりしていない。何者かが画像を自作したのではと、その時は無視しようとした。
 そこに、窓の外をじっと眺めていた八重崎が声を上げて空を指差した。清隆はその方向を見て目を細め、空を飛ぶ姿に覚えを感じていた。人の背丈を超えそうな背丈に長い尾羽、色鮮やかな羽がはっきりと分かる。同じく窓際にいた別のクラスメイトも「発見」し、一時は教室中がざわついた。
 夢中でスマートフォンのシャッターを切っていた信が、あれは不死鳥ではと清隆たちに耳打ちする。まだ実際に不死鳥を見ていない八重崎へ説明し、彼は撮影した画像を拡大した。しかし画質が荒っぽく、不死鳥と判断するには怪しい。そこで信が自宅で見やすく加工し、それを清隆たちに送ることになった。
「シャシャテンがさ、確か指笛で不死鳥を呼んでたよね。今やったら来るかな? 清隆、ちょっと試してみてよ」
 急に信から頼まれ、清隆は空の一点を見つめる。鳥の姿は遠ざかっており、向こうまで聞こえるか分からない。そもそも指笛を吹いたことがなく、まず清隆はやり方に苦戦した。信にコツを教わるも、結局音が出ず休み時間が終わった。既に不死鳥らしき影も消えていた。
 あの時はまだ瑞香の情報を聞いていなかったが、山住から連絡が来た以上、やはり不死鳥が日本にいると考えて良いのだろうか。
「伯母上の臣下が、不死鳥を捕らえて瑞香に送ろうとしておるようじゃ。城秀もそれを手助けするのじゃとよ」
 シャシャテンが文を見ながら呟く。梧桐宗を脅威に思って不死鳥が瑞香から逃れたのなら、連れ戻してしまえば不老不死を得るために狙われてしまうのではないか。その問いに、シャシャテンの顔が曇る。
「あまり言いとうはなかったのじゃが……不死鳥がおらぬこともあって、伯母上の治世を良いと唱える者は少ないそうじゃ。やっておることは、大友が王になる前と変わらぬのにのぅ。じゃから伯母上は何としても、不死鳥には瑞香におってもらいたいのじゃよ」
 瑞香の民は、不老不死を叶えるために不死鳥が必要であると知らない。人々に馴染みがあるという『差流手事物』から抹消されるほど隠されてきた事柄だ。梧桐宗が目を付けたものと不死鳥の失踪を結び付けられず、人々はむしろ四辻姫との関連を疑っている。瑞兆を示す不死鳥がいないのなら、その為政者の政も悪いのだと。
「四辻姫は、女王になってから何をしているんだ」
「そうじゃな、去年は確か――」
 シャシャテンが指折り数えて答える。四辻姫はまず、大友の政治からの転換を図っていた。彼の重用していた陰陽師の一族・賀茂かも家を追いやった代わりに別の家を取り立て、また罪人への刑罰を強化した。そして一部で「友人の寄せ集め」と見做されていた合議制も変え、女王の意見・決定がより重視されるようになった。
 これらは全部四辻姫が決めたのか清隆が尋ねると、シャシャテンは頷いた。治世者が何でも決めてしまうのは、独裁にも近い気がする。それで良いのかとの疑問を口に出せば、伯母が正しいと思っているシャシャテンは反発するだろう。いったん呑み込んでから、清隆は話を移す。
「大友は津波でやられた場所の復興を疎かにしていたと聞いたが、四辻姫はどうだ」
 不死鳥の背で見た荒れ果てた光景が、ぼんやりと瞼の裏に浮かぶ。シャシャテンはしばらく考えた後、まだ大友のころよりそれほど進んでいないと返した。
「伯母上はまだ、即位して一年も経っておらぬ。大友による治世の名残を消すことに、今は重きを置いておるのじゃろう」
 どうもシャシャテンは、伯母に対して楽観的ではないか。自分に脅威が迫っているだろう話も聞き入れず、伯母に悪い部分などないように思っている。四辻姫が本当は何を考えているかは、清隆にもまだはっきり分からない。しかし彼女が思惑を果たそうとしているのなら、それを見過ごしても良いのか。清隆は畳に置かれたままの長物を眺めたまま、しばらく動けなかった。

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