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六段の調べ 破 五段 二、はるか、大地へ

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序・初段一話へ


 シャシャテンのもとに太刀が届いた翌日の土曜日、部活が休みだったために清隆は午後になってすぐ帰宅できた。冬休み中もそうだったが、いつも部活がある時間に楽器を手にしていないと少し物足りないように感じる。吹奏楽に触れていないことが奇妙に思えるほど、自分は入れ込んでいたのか。
 夕方近くまで自室で過ごしてから階段を下りると、和室で箏を合わせる音が聞こえた。同じく早く帰ってきた妹が、シャシャテンに教わっているのだろう。襖を開けて何を弾いているのか問うと、『差流手事物』に収められている中の一曲だと分かった。不老不死に関する歌は演奏していないと言うシャシャテンの隣で、美央はじっと楽譜を見ている。
「清隆も弾じてみるか? ここを貸してやるぞ」
「いや、そろそろ受験でそれどころじゃなくなるからな」
 自身が弾いていた箏の前を譲ろうとしたシャシャテンに、清隆は遠慮する。もう来年度は仮引退が決まり、部活も出来なくなる。しばらく音楽から離れるとなると、清隆の胸にどこか痛むものがあった。
 インターホンが鳴り、清隆は居間で画面を確認しに行く。手を振っている信に応じて和室へ入れてやると、美央が正座から立ち上がろうとした。
「あ、行かないで美央さん! 不死鳥っぽい画像持ってきたから!」
 鞄を漁る信の言葉に、妹の動きが止まる。取り出されたのは、昨日教室で撮影した写真を鮮明にした画像だった。八重崎にはデータで送ってあるというそれを印刷した紙を、信は二つ並んだ箏のそばに広げた。以前スマートフォンで見た時よりも鮮やかな画像には、絢爛な翼を広げる鳥の姿があった。体長と同じくらいの長さがある何十枚もの尾羽を揺らし、それは青空を飛んでいる。
「これは……やはり不死鳥ではないか!? 小僧、この絵――写真は如何にしたのじゃ?」
 故国で不死鳥には親しみがあるシャシャテンも、日本に来たのがそれと認めたようだ。驚いて尋ねる彼女に、信は軽い口ぶりで返す。
「こんなの、パソコンでちょちょいっとやったよ」
「はぁ? 何を以て、じゃと? 全くそなたのやることは分からぬ」
 肩を落としてがっくりうなだれる信の前で、美央が印刷された紙面を持ち上げる。様々な角度から見ている様子からすると、興味があるのだろうか。
「これ、生田さんが自分で見やすくしたんですか? すごいですね」
 それを耳にするなり、信が顔を上げる。頭の後ろに片手をやり、口では謙遜しながらも笑う。そして視線のやり場に迷っているように目を泳がせ、箪笥の陰に置かれていた太刀を見つけて声を上げた。
「どうしたの、これ!? 武器? 本物?」
 恐る恐る鞘に触れようとする信を制し、シャシャテンが事情を説明する。太刀の名が「輪丁」と聞いた信の顔から表情が消える。どこかで聞いたことがある気がすると、彼はスマートフォンで検索を始めた。そして清隆たちに画面を見せる。
「前になんとなく『瑞香』って言葉を調べてたときに見かけたんだよね」
 信の示したページには、「輪丁」が沈丁花を指すのだと載っていた。そして「瑞香」も同じ意味であるとも。太刀が瑞香とどのような関係にあるのか清隆が疑問を持っていると、美央が譜面台から楽譜――『差流手事物』を持ち上げた。荒い手つきで紙をめくり、シャシャテンに止められるのも聞かずにあるページを開く。それを覗き込み、前に見た気がすると思って清隆ははっとした。シャシャテンにも教えられた、不死鳥を斬ることに関する歌だ。
 清隆は改めて歌詞を見返す。「国の名抱く太刀を以て」とある部分から、近くの武器に目を移す。「輪丁」が沈丁花、そして瑞香を意味するのなら。
「あの太刀こそが、不死鳥を傷付けられる唯一の武器なんじゃないか」
 清隆がそう口にすると、シャシャテンが顔を強張らせた。
「よもや伯母上は、私にとんでもないものを託されたのでは……?」
 この太刀が不死鳥を斬れるのなら、四辻姫が瑞香から日本へ送ってきた理由もおのずと浮かぶ。梧桐宗が太刀で不死鳥の血を得るのを防ごうと、四辻姫はこれを「避難」させたのではないか。だが同時に、彼女が賢順とやり取りをしていたらしいとも清隆は思い出す。それは親しい間柄だからなのか、それとも。
 シャシャテンがスマートフォンを覗き込み、画面の暗さに戸惑う。信が操作してやって明るくなったそれから、シャシャテンは「輪丁」と「国の名」の関わりを確かめようとしている。しかしじっと画面を見ていた彼女が、目を瞬かせながら次第に不快を露わにした。やがて顔を上げ、瞼を両手で押さえる。
「嗚呼もう! 小さい上に明るいと目が痛うなるのぅ! 『ぶるーらいと』じゃったか? あれも厄介じゃな!」
 シャシャテンが窓を開けて外を熟視する。暖房の付いた部屋に寒気が入り込み、信が体を震わせた。スマートフォンを手に窓から離れた所へ移動し、彼は美央に尋ねる。
「美央さん、不老不死になりたいとか思ってないよね? そこにあったことをちゃんと覚えてるみたいだけどさ」
 信が指差した『差流手事物』を一瞥し、美央はそっけなく返す。
「わたしが何に興味を持っているかなんて、生田さんには関係ないでしょう」
「そんなことないよ! なんか怖くてさ……いい気がしないというか……」
 信の声が尻すぼみになっていく。彼は本気で美央を案じているのか。それが事実なら、どこからその思いが生まれたのだろう。
 ふと指笛の音を耳にし、清隆は窓の方を見た。全開にした窓から、シャシャテンが視線を空へやっている。信も振り向く中、彼女は手を上へ振っている。何かに合図をしているようだ。
 しばらくしてシャシャテンは窓を閉め、和室を出て行った。階段を上がっていく彼女を清隆が追うと、居候が勝手に自分の部屋へ入っていた。それを咎めようとして、窓に映る光景に肝が潰れそうになる。ベランダの柵に、巨大な鳥が止まっている。それが不死鳥であることは、大きさと色合いからして明白だった。
「御無沙汰しております。六段姫様、平井様」
 頭を下げる不死鳥に、清隆は呆然と問い掛ける。
「不死鳥、なぜここにいる」
「勿論、六段姫様に御会いする為で御座います。他の不死鳥も別の地におりますので、御安心を」
 窓の鍵を開けられず手間取るシャシャテンを助けてやり、清隆は久しぶりの間近な不死鳥が本物か、念のため確かめる。羽は見る場所によって色が変わり、夕方の迫りかけた日に輝いている。シャシャテンに続いてベランダへ出ると、許可を得てその体に触れた。気温の低い上空ではありがたかった羽毛の温かさと柔らかさが同時に伝わってくる。やはり夢ではない現実に、不死鳥は戻ってきたようだった。
「そなた、どこに行っておったのじゃ! 民がどれほど心細く思っておることか!」
 正面に立って叱責するシャシャテンに、不死鳥の声色が変わる。先ほどより低めな、周りに聞かれることを憚るようなものだった。
「姫様や民の思いは尤もだと分かっております。しかし私達は、逃げるか隠れるかする必要が御座いました。ある者は人として市井に溶け込み、ある者は西欧や南方、世の境を越えてライニアなどあらゆる地を巡ってきました」
 全ての不死鳥が、瑞香から消えたわけではないのか。その血を継いだシャシャテンを横目で見ながら、清隆は今聞いた言葉を頭で繰り返す。不死鳥の挙げたものの中に、聞き慣れない名が混じっていた。だがいちいち尋ねている暇もない。清隆は重要事項を確認すべく、身長よりずっと高い位置にある不死鳥の顔を見上げた。
「逃げていたのは、やはり梧桐宗を警戒してのことか」
「それも御座います。しかし理由はもう一つありまして……残念ながらここでは述べられません」
 懸念を隠しているような鳥の目が、瑞香の姫に注がれている。シャシャテンはそれに気付かず、ドアの方にいた信と美央へ手招きをしていた。信がベランダに駆け寄る一方で、美央の足取りは重い。そういえば、彼女が実際に不死鳥を見るのは初めてだった。
「こんなに大きな鳥を、あの太刀で斬ることができるの?」
「おや。私を斬るなど、してはなりませんよ?」
 外に出た美央が零した言葉に、不死鳥が鋭く声を掛ける。そしてシャシャテンに向き直り、太刀を持っていないか聞いた。不死鳥はこちらへ向かう途中に、和室を遠目に窺っていたという。
 シャシャテンがベランダを出、太刀を手に戻ってくる。不死鳥は何度か首を動かし、鞘に収められた状態では飽き足らないのかそれを抜くよう頼んできた。危険を警告するシャシャテンに従い、清隆たちは彼女から離れてベランダの柵に寄り掛かる。鞘が払われると、幅の広めな大振りの刃が現れた。豪勢な印象を放つ反りのやや深いそれに、清隆は呼吸も忘れて見入る。鉄の色は灰色っぽい地味なものなのに、夕日が当たるとそれを跳ね返して美しく光る。そこにどこか恐れを感じるのは、ただ武器であるからというだけではないだろう。
 太刀を仕舞っても良いと不死鳥に告げられ、シャシャテンはその通りにする。何か分かったか問う彼女へ、不死鳥は率直に返した。
「恐らく……姫様が託されたそれは、無銘『栄光』ではと思われます」

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