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六段の調べ 破 五段 四、強奪

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序・初段一話へ


 僧侶たちが、和室の窓に面している辺りで足を止め始めた。清隆がそっと窺うと、彼らはここの少し先から列を作っており、揃って上を向いていた。ベランダにいるはずの不死鳥を狙っているのか。一人の僧が、地面に何かを描いている。それはよく見ると、魔法陣のようなものだった。
「陰陽術の如き奴じゃろう。あれで不死鳥を捕らえるつもりじゃな」
 そう話すシャシャテンに太刀を手放さないよう言い、清隆はわずかに窓を開けた。
「お前たち、諸田寺から何をしに来た」
 それまで上に意識を向けていた集団が、一気にこちらへ注目する。そのうちの一人が、不死鳥に瑞香へ帰還してもらうためだと答えた。不老不死を願ってのことか尋ねると、大勢が口々に認める。彼らは本気で不死鳥を傷付け、その血やら肉やらを得るつもりだ。清隆が口を開こうとした時、背後から伸びた別の手が窓をより広く開けた。
「不老不死になって、いいことがあるんですか?」
 清隆を押しのけ、美央が窓から顔を出す。賢順の弟子たちが「死を恐れることがなくなる」と言うのを聞き、彼女は軽く俯いたかと思えば再び前を向いた。
「わたしは死ぬのを怖いと思ったことがありません。おかげであなたたちの仲間になり損ねました。今からでも師匠さんへ、わたしが『人でなし』になりたいって伝えてくれませんか?」
「待ってよ、美央さん!」
 今度は信が駆け寄り、窓を閉めて妹に向き合う。途端に美央は不機嫌な表情で彼を責めた。
「また止めるつもりですか? あなたにはどうでもいいでしょう。わたしが何になるかくらい、好きに決めさせてください」
「でも不老不死はだめだって!」
 二人の口論を清隆が呆然と見ている中、肩をそっと叩かれる感覚があった。
「ここは私に任せよ。そなたは先に、『べらんだ』へ行っておれ」
 シャシャテンの頼みを受け、清隆は廊下に出る。シャシャテンの一喝する声を聞きながら階段を上がり、自分の部屋に入った。
 窓の向こうには、空を見上げる山住だけがいた。清隆がベランダに出ると、夕焼けの赤と夜の暗い青が半分ずつ広がる高い空を、不死鳥が昇っているのが目に入った。山住の説得で、不死鳥は柵を離れて弟子たちの控えている方とは反対に向かっていったらしい。ベランダのほぼ真下には、多数の僧侶が魔法陣を囲んで騒いでいる。不死鳥は彼らの脅威から逃れたが、まだ他の場所にも控えている者がいるかもしれない。清隆が警戒を続けていると、山住が慌てて柵に身を乗り出した。
 彼の指差す先には、まっすぐこちらへ飛んでくる鳥の姿があった。それが近付くにつれて、清隆は不死鳥だと理解する。先ほど逃げたにもかかわらず、引き返してきたのか。
「ほとんど同じに見えますが、あれはここにいたものとは別の不死鳥でしょう。……しかし、このままでは」
 山住の不安も当然だ。下にいる弟子に気付かれれば、捕縛のため狙われかねない。シャシャテンは指笛で不死鳥を呼んだり指示を出したりしていたが、山住には出来ないのか。試しにやってもらったが、彼の発した音は小さく、遠くへ届きそうになかった。
 その姿がはっきり分かるほど不死鳥が近付き、同時に地上の喧騒が激しくなる。僧侶たちが空を見上げて武器を用意し始め、弓矢を持つ者に至っては今にも不死鳥を迎え撃たんと構えていた。
 深呼吸を一つし、清隆は口元へ右手を持っていく。昨日の失敗など気に病んでいられない。指で作った輪を口内に入れ、信から言われたコツを思い返す。そして何も考えず、息を吹き込んだ。
 空に吸い込まれそうな高音が耳に入る。それが自分から発せられていると、清隆はしばし分からなかった。不死鳥が高度を上げ、こちらに向かっていく。下からのざわめきも受け流すように、鳥はベランダの柵に止まった。自分を呼んだのは誰か問う不死鳥へ、山住が清隆の方を示す。捕縛の危機を救ってくれたことに感謝を述べられていると、後ろで窓が開かれた。
「不死鳥さん、大丈夫だった? あれ、今の指笛って?」
 山住が事情を話すと、信が驚いてベランダに飛び出してきた。そして大げさに、清隆を褒めたたえる。すごいだのまた聞かせてほしいだの聞こえてきたが、清隆はどれも受け入れ切れず黙っていた。続いて美央がベランダへ下り、柵を離れる不死鳥を名残惜しそうに眺める。その血を、彼女は得たいと思っているのか。
 やがてシャシャテンも、窓越しに山住から事情を聞く。太刀をしっかり手にし、彼女は部下の話に耳を傾けていた。
「うむ、これなら万事上手く収ま――」
 シャシャテンが自信満々で言い終えかけた時、状況は急変した。
 鏑矢の音がしたと同時に、不死鳥のけたたましい鳴き声が上がる。清隆は柵へ駆け寄り、喉元に一撃を受けて姿勢の崩れた不死鳥が、頭を下に落ちていくのを認めた。その顔が地面へ触れるや否や、描かれていた模様が眩しく輝く。光があっという間に不死鳥を呑み込み、数秒も経たぬうちに魔法陣ごと鳥の姿が消えていた。
 切羽詰まって何も考えられなくなったか、シャシャテンが太刀を握り締めたまま廊下へ走る。せめて武器は置いていくよう清隆は叫んだが、聞き入れられなかった。すぐにその後を追って外に出ると、玄関前には賢順の弟子たちが詰め掛けていた。シャシャテンを囲むように立って手を伸ばす彼らを、彼女は鞘で殴っていく。それでも気絶させるには至らず、弟子たちはすぐ起き上がってまた太刀をねだり始めた。
「そなたたち、あの不死鳥をどこへやったのじゃ!」
 人を押し分けて進んでいくシャシャテンに追い付こうと、清隆は群衆の中を進む。シャシャテンの背が見えてきたところで、一人の手が太刀を掴もうとしていた。清隆はそれを阻もうとするも、複数の腕が押しのけてきて止められた。シャシャテンとの間にも人が割って入り、彼女との距離が遠くなっていく。
「待て! 今すぐそれを返せ!」
 シャシャテンの張り上げた声で、清隆は事態を察する。高く持ち上げられた太刀を、知らない男が持っているのが遠目にあったが、次第に見えなくなった。人の群れが向こうへ移動する中、シャシャテンを探そうとする清隆のもとに山住が来た。彼はシャシャテンがまだ僧侶たちと揉めていると気付くなり、角を曲がっていく群れへ慌てて駆ける。清隆はそれについて行き、先方で炎が上がっているのを認めた。列をなしている僧侶たちは、瑞香へ向かうに違いない。
 山住に袖を引かれ、シャシャテンが戻ってきた。髪が乱れ、裾も汚れているのが街灯の光で照らされる。
「今日はもう日が暮れていますから、不死鳥を斬るにしても手元が見えないでしょう」
 山住は主を落ち着かせるように言い、明日瑞香へ行くことを勧めた。手櫛で髪を整えるシャシャテンはしばらく黙ってから了承し、清隆にもそれで良いか問う。明日は日曜日で予定もない。清隆は同意しながら、賢順の弟子たちが瑞香に消えていくのをじっと眺めていた。
 
 
 捕らえられた不死鳥と無銘「栄光」はどうなるのか。それを知るためにも瑞香へ行かなければならない。清隆は改めて腹をくくり、夕食の終わった暇な時間に電話を掛けた。カーテンの閉じた自室の窓から目を離せない中、応答を待つ。
『清隆くん、こんな時間にどうした?』
 せめて彼女に心配を掛けるわけにはいかない。電話に出た八重崎へ、明日の予定を連絡する。その経緯も話すと、相槌を打つ八重崎の声が次第に小さくなっていった。いつもはきはきと話す彼女にしては、珍しく自信なさげだ。
『……ねぇ、わたしもついて行っていい?』
「――前に諸田寺で火事があっただろう。あの時みたいに、何が起こるか分からない。先輩を危険な目に遭わせたくはない」
 やっと明確に聞こえた言葉に、清隆は逡巡して答えた。そこからしばらく沈黙があったが、彼女の声は急に感情的なものに変わる。
『足手まといってこと? わたしがただのお荷物で――』
「いや、違う。先輩を煙たがっているんじゃない」
 自分が必要ないと思っているような物言いを、清隆は戸惑いながらも宥める。ヒステリックと呼ぶのか、いつになく落ち着きのない様子が不安を募らせる。共に不死鳥を目撃した昨日には見られなかったはずだ。
『危ないって場所に清隆くんが行って何かあったらどうする? わたしも困るんだよ!』
「それは俺も先輩に――」
 同じことを言い返そうとして、清隆は口を噤む。一呼吸置き、八重崎のいる場所から瑞香に行けるか試してみるよう勧めた。シャシャテンがやっていた通りの動きを教えるが、何回やっても失敗したようだ。シャシャテンに連れて行ってもらうため、わざわざ自分の家に来るのも面倒だろう。そう諦めさせようとしたが、八重崎は引かなかった。
『わたしは今の騒ぎと無縁じゃない――シャシャテンに解読してもらった本とか、お寺での火事とか、色々関わってきたよ。何が起きてるか、これからどうなるのか、わたしは最後まで見届けたいよ!』
 強く訴える彼女の気持ちに、つい押されそうになる。確かに彼女がいなければ、清隆たちは不老不死になる術――梧桐宗の求めているものを知ることはなかった。八重崎もまた、瑞香の事件に関わった一人なのだ。やはりあの国を教えなければ良かったか。清隆は悔いを滲ませる。
『……ところでさ、この電話って誰かに盗み聞きされてない?』
 突然八重崎から言われ、清隆は慌てて周囲を見回す。この部屋には誰もおらず、廊下も静かだ。仮に盗聴器が付けられているとすれば恐ろしいが、根拠もないのにそれを言って彼女を不安にさせてもいけない。
 盗み聞きの可能性を否定すると、今度は他に瑞香へ明日行く人はいるか尋ねられた。シャシャテンと山住、信は確定で、妹は迷っていると言っていた。そう答えた後に、再び沈黙が訪れる。電話の向こうにいる八重崎が何を思っているのか、清隆の心は落ち着かない。
『……うん、やっぱりいいや。今回の瑞香行きはパスするよ』
 ややあってからの発言に、これで彼女が厄介事に巻き込まれずに済むと安堵したのも一瞬だった。思いがけない理由が、清隆の耳を打つ。
『清隆くんと一緒にいるのも、気まずいし』
 胸が激しくざわついたと同時に、電話が切られた。無機質な不通音を聞きながら、清隆はしばらく静止する。八重崎に何があったのか、いずれ聞かなければならない。清隆はそう心に決めたものの、なかなかスマートフォンを耳から離せずにいた。

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