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連載(5):資本主義経済の矛盾と歪み(続き)

この記事は『かとうはかる(著)「人類の夜明」』を連載しています。

2. 資本主義経済の矛盾と歪み(続き)

《16》どのような有益なものであっても、儲けにならないものは常に切り捨てられるのが、利益第一を目指す資本主義経済の実態であろう。

それによる新考案、新開発の阻害は計り知れないものがある。

競合経済が社会を発展させたというが、その陰では素晴らしい『可能性』が見捨てられているのである。

《17》今や年中行事になった春闘は、労働者の生活を守るための戦いであるという。

だが、いくばくかの賃金引き上げに喜んでいるあとから、物価は高騰し税金は高くなっていく。

賃金引き上げと物価の上昇、これも卵が先か鶏が先かの論法と同じで行きつく先をしらない。

《18》一時、ねずみ講なるものが流行し驚かされたものだが、今日の資本主義経済もそれと似たり寄ったりである。

ねずみ講は空売りで物の裏づけはないが、資本主義経済は物の裏づけがあるだけに、自然を破壊し環境を悪化させる。

高回転経済、拍車経済、これは暴走する馬車みたいなもので、いつか我々を振り落としてしまうであろう。

《19》事件や事故の原因追及をしていくと、そこに必ず企業の無理な利益追及が浮かび上がってくる。

企業はできるだけ多くの利益を得ようとするから、少々危険と分かっていても手抜きを黙認する。

現場を任されている者も、それが上司の心証をよくし自分の成績につながると思えば、いやであってもやらざるを得ない。

“不正融資、不正商品取引、不正株式投資、不正雇用、不正販売、積載違反、スピード違反、手抜き工事、違反建築、違反何々”など挙げれば限りがないだろう。

《20》資本主義経済は欲望を根底としているだけに、どうしても人間性を堕落させる。

・あなたは本当に良いと思って商品を薦めているのだろうか?。

・それを薦めることが本当に客の為になっているのだろうか?。

・こちらに責任があっても賠償問題が絡むので、止む得ず「これは不可抗力です」と責任逃れをしていないだろうか?。

・成績欲しさから、同僚をおとしいれなかっただろうか?。

・仕事欲しさにこびへつらい、自己の人間性を傷つけなかっただろうか?。

・接待、供応、買収などによって相手を堕落させなかっただろうか?。

・その駆け引きが、自分の良心を傷つけていないだろうか?。

・売りたい一心で、過剰な宣伝、ハレンチな宣伝をしていないだろうか?。

・上司の手前、よい恰好をしなかったであろうか?。

・手段を選ばず儲けようとする態度が、相手に煩わしい思いをさせたり、迷惑をかけたりしていないだろうか?。

・犯罪や事故を激増させているのは、売らなければならない儲けなければならない資本主義経済の体質が理由である。また、諸々の価値を下落させているのも同様の理由からである。そこに我々は気がついているだろうか?。

・週刊誌も、新聞も、小説も、音楽も、映画も、はたまたテレビドラマも、好奇心を誘うもの、あるいは興味本位なもので勝負するようになってしまった。これも儲けるため、視聴率を上げるためであろうが、そのためにどれほど社会は毒されたことだろうか?。

・あなたは本当に人を救おうと、その宗教を勧めているのだろうか?。宗教を生計の手段にしていないだろうか?。

・あなたは純粋に芸や技を披露しているだろうか?。お金のために芸を切り売りしていないだろうか?。

このようにして、今日の経済は人から真心を奪ってしまったのである。

《21》今日の社会において、対等な人間関係を維持することが非常に難しくなっている。

たとえば上司と部下の関係、営業マンと取引先の担当者との関係、店員と顧客との関係など、ほとんどが何等かの利害関係を形成し、それが優位に立つ者とそうでない者とに分けている。

最近では、友達や肉親の間においてもこのような関係が成り立っているといわれ(夫婦や親子の間でもお金は別)、ますます対等な人間関係が失われつつある。そんな社会で、本当に人間らしい生き方ができるだろうか?。

《22》今や企業の理念が社会の規範となり、企業の生き方が人の生き方の基準になってしまった。

その影響は国の行政や教育にまで及び、もはや国民の生活は企業に握られてしまったといっても言い過ぎではないだろう。

その規範を考えるとき、肌寒さを感じるのは私だけだろうか?。

《23》成長なしにやっていけない資本主義経済は、今、環境問題との間で苦慮している。

資本主義経済において、経済の停滞や縮小はそのまま生活の破壊につながるからだ。(そう思っているに過ぎないのだが)

経済を発展させ(豊かさを落とさない)環境を悪化させない連立方程式に、今人類は頭を痛めている。


「さて、資本主義経済の矛盾と歪みを追及してきましたが、この経済に依存する限り、私たちは万物の霊長としての誇りを失っていくでしょう。

私たちは本当に、欲望を根底に置いた経済を望んでいたのでしょうか?。

ハンドルのきかない経済を望んでいたのでしょうか?。あなたはどうですか?。」

「ええ、若い時には贅沢な生活をしてみたいと思ったこともありましたが、今は家族の皆がひもじい思いをせず健康で暮らせたらそれで良い、そんな考えに変わってきました。

特に今のように多くの物に囲まれ生活していると、何か息苦しささえ覚えます。

どうも私たちの望んでいたものと、違う方向に社会が進んでいるように思えてならないのですが?。」

「あなたもそう思いますか。

そうなのです。誰もこのような社会を望んでいたわけではないのです。

それではなぜ、このような世の中になってしまったのでしょうか?。

それは、物が豊かになれば貧困も争いも解消されるだろうとの考えが、市場経済を拡大させ、そこに蔓延した唯物主義が人々の欲望に火をつけてしまったからです。

先程もいったように、資本は減退したり停滞することが許されません。

100であった資本が、120に150に200にといったふうに、ドンドンと膨張していかねばやってゆけないのがこの経済の宿命なのです。

その宿命の渦中に、人間が、社会が、国が、スッポリと呑みこまれているのです。

こうなると、どんなにあがいてもその渦から逃れることはできません。

したがって厭でも、よい学校へ、よい会社へ、と凌ぎを削る競争社会に身を投じなければならなくなるのです。

・成績を上げなくては昇給も昇進もないから、ガムシャラに働かなくてはならない。それでも結果が出ない場合は、悪いこともやらなくてはならない。

・企業のためにする悪は何のためらいもない。したがって、倫理も道徳もますます地に落ちていく。

・景気が冷え込み企業が儲からないようでは、国家の財政のめども立たなくなる。したがって環境保全の叫び声も、需要喚起と景気対策の前では空念仏となる。

・その国家の台所も今や火の車、その上追い討ちを掛けるように外国からの圧力も強まる。そこに国家間の不和も生まれてくる。

こうして人間がつくった経済に人間が操られ、いつしか抜き差しならぬ状態に陥ってしまったのです。どうでしょう。このような社会がいつまでも続くと思いますか?。」

「さあ・・・??。」

「私は資本主義社会の崩壊は、すでにはじまっていると見ています。

それではどのような過程をへて資本主義社会は崩壊していくのか、ここでその足取りを追ってみることにしましょう。」

この時点で老人と私との関係は、完全に師弟関係になっていたのである。

(つづく)

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