見出し画像

連載(4):資本主義経済の矛盾と歪み

この記事は『かとうはかる(著)「人類の夜明」』を連載しています。

2. 資本主義経済の矛盾と歪み

《1》資本主義経済は欲を前提にした自由経済であるから、市場機能を完全に働かすためには、できるだけ政府の干渉を許さない必要がある。

そこに大企業の横暴が生れる。

・弱小企業を合法の下に吸収する。
・突然の下請け停止を行う。
・元請けの優位を利用し、下請けに低価格を押しつける。
・資本力をバックに、弱小企業を市場から排除する。
・市場を独占し価格操作を行う。

など、大企業の横暴ぶりは目を覆うばかりである。

弱小企業が生きのびるには、大企業の傘下に入って延命策をこうじるか、反乱を起こすか、涙を飲んで転業するかのいずれかであろうが、いずれにしても生き延びる道はそう多くはない。

これは企業間だけの問題ではなく、弱小国と大国においても同様である。

すなわち、モノカルチャー政策(利益の得られる産業あるいは作物に特化する政策)をとらなければならなくなったり、借金をして無理に近代化を進めなければならないのも、大国の圧力に屈服したがゆえである。

また、お金第一の社会では、何事もお金が優先する。

金持ちは社会で優位な地位を獲得し、金のない者は虐げられる。

その貧富の差から、人権すら無視されるようになる。

こういったお金第一主義が人の心を狂わせ、犯罪の多い社会をつくってしまうのである。

《2》今日の経済の主役は、大資本をバックにした大企業であろう。

その企業の使命は、何をおいても利益をあげ、資本提供者(株主)に利益の還元をしなくてはならない。

したがって、地企業に負けないよう売上の増進を図り、少しでも多くの利益をあげることに力が注がれる。

歪みはそこに生まれる。

・需要満杯の状態から売上を伸ばすには、二、三年置きにモデルチェンジを行い、まだ使える製品を時代遅れへと誘導しなくてはならない。

・修理するより新品を買った方が安価であるといった、道理に合わない商法を横行させる。

・宣伝は今や企業の必勝戦術であるが、その原価はなぜか消費者負担となって跳ね返ってくる。また過剰な宣伝は消費者の欲をあおり、無用な消費を生み出すことになる。

・コストを下げ生産性を上げるには、ロボットを導入した大量生産方式が有効であるが、それは雇用を減らすことにつながり、多くの失業者を生み出すことになる。

・質素倹約がもてはやされてはこの経済はなりたたない。また丈夫で長持ちする品物がつくられたのではこの経済は干上がってしまう。

このようにどんなに良いことでも、どんなに良いものでも、経済を悪化させるものは敬遠され、どんなに悪いことでも、どんなに悪いものでも、経済を良くするものは喜んで迎えられるのである。

《3》資本主義経済は不況と隣合わせになっているため、常に倒産におびえていなければならない。

いったん不況になると、一番に影響を受けるのは零細企業とそこで働く労働者であるが、大企業に比べ救いの手はほとんど無い。

経営者の自殺や、仕事を失い路上生活に身を落とす者など、資本主義が生み出す悲劇は絶えることがない。

《4》儲けるためには手段を選ばない、これが企業の偽らざる気持ちであろう。

これによって、どれほど社会正義が地に落ちたことだろう。

・経済が悪化してくると強引な需要作りが必要になってくるが、その代表的なものが戦争であろう。戦争も経済活性には必要な手段であり、それも必要悪として容認されている節がある。世界恐慌の次にくるのは大戦であるといわれるのも、まんざら的外れでないかも知れない。

・金の力で他国の自然を食い荒らし、自国の繁栄だけに酔いしれる。これも正当な経済取引であれば許されて当然だという。さらに許しがたいのは、ただ金を動かすだけで巨万の富を得るマネーゲームである。

・薬漬けにするのも注射漬けにするのも、退院時期がきているのに理由をつくって退院させないのも、回復の見込みゼロの患者にスパゲティ治療を施すのも、これみな儲けるための需要作りである。

・詐欺、売春、賭博、麻薬など、儲けられるものならどんな悪いことでも商売になってしまうのが資本主義社会の懐の深さであろうが、それによって人々はどれほど苦しんでいることだろう。

《5》今日企業の販売活動費(営業経費・広告宣伝費・販売手数料・接待費・販売員の人件費)は膨大なものとなっているが、それらはただ売上を伸ばすための費用であって、生産過程ではなんら貢献していないのである。

もし、宣伝も営業活動も必要ないなら、すべての非生産労働者(営業マンや店頭員や宣伝マンなど、全就労人口の約五十%を占めているといわれている)を生産過程につぎ込むことができるだろう。

そうなれば生産性の向上はいうにおよばず、福祉やサービスも行き届くようになり、潤いある社会が作られるはずである。

それができないのは、どこよりも誰よりも多く売って儲けなければならない、この経済の仕組みにあるのである。

《6》資本主義経済における生産の適性さは、市場という相互取引の場があってはじめて知ることができる。

したがって、その品物が人々の役に立ったかどうかは、市場に出て消費されるまで確認できないのである。

本来なら、消費者側の要求が先行し生産側がそれを満たすという形にならなければならないのだが、資本主義経済では生産者側が消費者側をリードする形をとるために、どうしても無駄な生産と消費が生まれてくるのである。

時には企業の思惑がはずれ、生産イコール消費とはならず、多くの無駄を生み出すのもこの経済の欠陥である。

《7》農作物の価格の下落は一見喜ばしいように思えるが、現在の資本主義経済下では多くの弊害を招いてしまう。

すなわち、耕地に恵まれた大国の意のままに市場が牛耳られるため、農産物の価格が維持できなくなり弱小国の農業はつぶれていく。

これが更に地場産業の崩壊、地方の過疎化、自然荒廃など地域社会の崩壊につながっていくのである。

また、気象事情からも食糧管理が不安定になり、ますます弱小国の食糧不安は高まるのである。

《8》その大国も、いつも経済効果や利益効率を念頭に経営しなければならないところから、“早く、大量に”を掛け声に、高エネルギー(化学肥料)の投入や過度な農薬を使用して生産性の向上を図らねばならない。

そのために、土壌疲弊や薬害を引き起こすことになる。

土壌を守り自然体の作物を収穫するには、有機農業の導入が欠かせないと分かっていながら、利益を優先する資本主義農営では、それが無下にも切り捨てられてしまうのである。

これでは安全安定は望めないであろう。

また豊作貧乏を回避するために、せっかく収穫した農産物を廃棄処分にしたり、価格維持の必要性から余った食糧を困っている国に無償で回せないなども、資本主義経済の抱える矛盾の一面であろう。

(以前アメリカで、価格の安定を図るために二千万頭以上の牛を廃棄処分にしたことがあったが、その時飢えで苦しむ人は世界中に溢れていたのである。企業にとって牛は、飢えをしのぐために飼育されているのではなく、売るため儲けるために飼育されているのである。何と愚かな経済であろうか。)

《9》現代の資本主義経済は『消費は美徳・何よりもお金』の意識を定着させ、人を物欲の虜とした。

それは精神的安らぎを奪い、異常なほどの競争人間をつくった。

これによって対人関係はすべて損得がらみとなり、信じあえる社会は遠のいた。どんな約束事もどんな決まり事も、今や文書にしたため合わなければ安心できなくなったのである。

民事裁判(商業裁判)は、今後ますます多くなっていくであろう。

《10》国家挙げての高度経済成長政策は、国内産業を活性化させ労働者の生活を豊かにするという利益をもたらしたが、一方、地方の人口を大都市に集中させ過密都市をつくるという弊害も生み出した。

この影響はこれだけに留まらず、地方の若年労働力が奪われたために、国の基盤である農林業を衰退させるという二重の弊害ももたらしたのである。

今や農地や山は荒れ放題になっている。


《11》資本主義経済の発展の陰には、いつもインフレと失業がつきまとっている。

国民はそれを恐れ、身を守る為にさまざまな防衛策を考える。

金取引や商品取引に引っ掛かったり、株式投資などで失敗するのもその現れであろう。

もしインフレも失業もないなら、危険な投資をする人もいなくなるであろうに・・。

その失業も、資本家から見ればなくてはならない必要悪だという。

つまり、労働力が逼迫すれば賃金が上がり労働者を雇うことが困難になる、そうなると労働者の管理も甘くなり、生産性の向上は望めなくなる。

失業の恐れがある労働市場こそ、企業に取って有利なのである。

《12》国家の財政赤字のつけは、結局国民に降りかかってくる。

税金や社会保険料の負担増など、今や慢性的である。

これは卵が先か鶏が先かの論法と同じで、貨幣経済が抱える最も初歩的弊害である。

また地方自治体の台所も今や火の車のところが多く、そのため社会秩序を守るべき役所自らが公営ギャンブルに手を染めている。

これでは世の乱れは押さえられない。

《13》企業の激しい販売合戦は、消費者に見栄と虚飾を煽り立て、果てしのない濫費浪費の泥沼に引きずり込んだ。

これは恐ろしいほどの無駄を生み出し、自然環境を著しく悪化させる要因ともなっている。

大都市では廃棄物の処分地がなく頭の痛い対策に追われているが、これも利益優先経済が招いた欠陥である。

《14》資本主義国家における経済施策や新法案制定の陰には、必ず企業と政治家との醜い癒着がある。

贈収賄は今や日常茶飯事、『政治献金も誰々を励ます会』と称する集会も企業に借りをつくることであり、そこにもはや公平な政治はありえない。

これも、営利を優先する現代資本主義社会の醜い体質であり恥部である。

《15》大企業は国家の擁護の元に急成長を遂げ、我が国は経済大国の名を勝ち得るにいたったが、それは学歴偏重社会を形成することとなり、試験地獄なるおかしな社会悪をつくってしまった。

今やその影響は幼い子供にまで忍びよっている。

将来の夢は何かと子供に問いただしたところ、“サラリーマンになること”と答えた子供が半数以上いたといわれるから、その夢のなさに今更ながら驚かされる。

勉強・勉強・試験・試験と追いかけられる子供達の、何とかわいそうなこと・・・。

(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?