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時間があるのに全然やりたいことがやれていないのは何故かと考えた結果、noteを読み漁りすぎだからと気付いた

最近、noteが面白い。気がつくとnoteを見てしまう。

noteのサイトを開く。

すると有益な情報や質の高い情報、自分が知りたいことがザクザクと湧いて出てくる。

気になって読む。
さらに気になる記事が出てくる。

そして、読む。


今朝も朝起きてからモーニングルーティンそっちのけで、いきなり記事を読み始めてしまい、ハッとやるべきことが終わってないことに気がついた。

昨日は非常に時間に余裕がある日だったのに、やるべきタスクがあまり片付いていない気がして、一日の時間の使い方を振り返ってブラウザの履歴を見たら、びっくりするほどnoteの記事を読み漁っていた。

それだけ自分は今noteにハマっているのかもしれない。

楽しめることはいいことだ。


ただ、その一方で思ったことがある。

みんなのように有益な情報や貴重な知見を発信している良質な記事がかけるようになりたい。

これは自分で記事をポツポツ書きだしてから、思うようになっていたこと。
たぶん同じようように考えている人も多いのではないだろうか。

ここ連日のnote読み漁り生活の結果、さらにその思いは強くなっていた。


その結果、1つの記事を書くのに力んでしまい、記事の更新頻度が落ちる。

力みすぎた結果、1記事の文字数が1万文字を超えてしまい、分割したり、添削したりして、余計に時間がかかったり、イヤになって放置したりしていた。

自分でnoteの記事を書くことに対して、注入すべき必要エネルギー量が大きくなりすぎていて、ちょっと困ったなと思いはじめていた。

noteのヒントのもっとも大事なことで書いてある
「創作を楽しみ続けること」
「ずっと発表し続けること」

の2つがどこかに行ってしまいそうだった矢先、ステキな記事を読んだ。


自分が楽しくなるため。
自分が少し賢くなるため。
自分の記憶を残すため。

自分のためのメモでいいんです。
そもそも自分が最初の読者ですから。
自分のために書けてなかったら、誰の役にも立たないんです。

この記事のメッセージである「自分のためのメモ」でいいという言葉にどれだけ救われたことか。

ああそうか、もっと肩の力を抜いて、いつもの個人的なメモのように気を楽にして書いていいんだなと思えた。

というわけで、今いきなり下書きをせずにnoteの記事に書きなぐっている。


いつもはEvernoteにガッツリ下書きをして、何度も推敲をしてからnoteの記事作成のところにコピペするのだが、今回はやめてみた。

するとちょうどいいくらいの長さで、ちょうどいいくらいの時間で書けた。

案外これくらいのチカラ加減で、これくらいの距離感でnote記事を書いていければもっとnoteが面白く楽しくなるかもしれない。
するとさらに気軽に他の人のnoteを読み漁ってしまうかもしれない。

これだから、みんなnoteはやめられないのかもしれない。

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