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☓☓☓☓にも花束を

ふと思い立ち『アルジャーノンに花束を』を読んでいる。中学生の頃に読んでから、約20年ぶりの再読だ。

32歳になっても幼児なみの知能しかないチャーリイ・ゴードン。そんな彼に夢のような話が舞いこんだ。大学の先生が頭をよくしてくれるというのだ。
これにとびついた彼は、白ネズミのアルジャーノンを競争相手に検査を受ける。
やがて脳手術によりチャーリイの知能は向上していく…
天才に変貌した青年が愛や憎しみ、喜びや孤独を通して知る人の心の真実とは?


改めて読むとSFとしてもすごく面白い。
テクノロジーが人間の意識や精神を変容させるという点でサイバーパンク的だ。

しかしそれよりも降って湧いた病的な高知能に振り回され暴走する主人公チャーリーの姿に

「あれ?俺?」ってなった。

つまり私はとてもチャーリーに似ている。

私の知能は全体では正常の範囲内だが、言語や理屈を捏ねる能力がその他と比べアンバランスに高い。そのため頭の中に知的レベルの違う複数の自分が同居しているように感じることがある。
自分が自分を置いてけぼりしたり、自分が自分の足を引っ張るのだ。
加えて自閉症スペクトラムの診断も受けている。
簡単に言ってしまえば多くの人が当たり前にやっている人間関係の呼吸の読み合いがものすごく苦手だ。
それを補うために理屈と言語を捏ねる能力に頼るが、常に頭はオーバーフロー気味だし、また他の部分と対立する。
もう、なにをやってもストレス。

この究極がチャーリーだ。
知能や精神の発達のアンバランスが極まった主人公の悶絶にぞわぞわさせられた。

この知能パラメータ異常や自閉症スペクトラムの傾向がある人の内面をすごくリアルに描いている。
そういった意味でも面白い小説である。

そしてなによりぞわぞわさせられたのはチャーリーが味わう孤独だ。
同じ手術を受けたアルジャーノン以外は、誰とも、そして自分自身とも分かり合えない究極の孤独だ。
考えられる中で最も恐ろしい状態だろう。

ちなみに実家で飼っていた猫にソーニャ・アルジャーノンと名付けたことがある。彼女は私が実家を出てほどなく家出をしてしまいそれっきりだ。


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