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『モリー先生との火曜日』ミッチ・アルボム

はじめに:生きるとは何か

本作は、実話である。ALSに侵され、余命宣告を受けた大学教授モリ―が、昔の教え子であるミッチに毎週火曜日をくれた。そこで教授は、ミッチと話しをする。人生についての話である。

女史は、アメリカ人の友人から本著を薦められて読んだ。アメリカのいくつかの学校では、授業の中で使われるほど、有名な作品らしい。

結果、女史は、モリ―先生の言葉に感銘を受け、涙を流し、自分の人生をしかと見つめなおす必要があることに気づいた。

異郷から来た女史が何者か知りたい人はこれを読んでくれ。

そして、女史のnoteをどう読むか、こちらを参考にしてくれ。

価値ある人生:本当に大切なものを見極める

著者ミッチは、売れっ子のスポーツ記事ライターで、毎日多忙を極めていた。いわゆるワーカホリックのサラリーマンだ。とはいえ、高給取りであり、自分の暮らしには満足を感じていた。

そんな時、ALSに侵された大学教授のニュースが目に飛び込んでくる。そこには、過去に自分を指導してくれたモリ―先生が映っていた。ミッチは、すぐに荷物をまとめて、モリ―先生の自宅に出向く。この時、ミッチは、モリ―先生を取材して、売れる記事を書くことを期待してもいた。

モリ―先生は、そんなことを知ってか知らずか、ミッチを温かく迎え入れてくれる。そしてなんと、余命短いにもかかわらず、毎週火曜日にミッチと会って、話をすることを受け入れてくれたのである。モリ―先生の最期の授業である。

モリ―先生は、ミッチの日常の話を聞く。そして、自分の過去や体験を振り返りながら、ミッチに、人生で重要なことは一体何なのか、教えてくれる。

毎日仕事ばかりして、お金を稼ぎ、地位を得ることは、確かに人間をいい気分にさせてくれる。しかし、人はいつ死んでしまうか分からない。本当に価値があるのは、君にとって一体何なのか。モリ―先生は読者に問いかける。

周囲の人に信頼されているか、信頼しているか、思いやりを持って接しているか、愛しているかetc...人生を語る上で、当たり前だが、実践するのは難しいような事柄を、モリ―先生は死に瀕しながら、ぽつぽつと語りかける。

そして、死ぬときに、”よく生きた”と言って、死ねるだろうか。そう読者に問いかける。

おわりに:自身の人生は価値あるものか

女史が、最も心に響いたモリ―先生の言葉がある。

多くの人が無意味な人生を抱えて歩き回っている。自分では大事なことのように思ってあれこれ忙しげに立ち働いているけれども、実は半分寝ているようなものだ。まちがったものを追いかけているからそうなる。人生に意味を与える道は人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと、自分に目的と意味を与えてくれるものを創りだすこと。

女史は、日々、コンサルタントとして多忙な毎日を送っている。タクシー帰りになることもざらにある。死ぬときに、そんな日々を振り返ってみて、「あー、自分の人生はなんてすばらしかったんだ!」と、女史は言うことができるだろうか。きっと言えない。なぜなら女史は、まちがったものを追いかけているからだ。

女史は本著を読んで、自分の価値を活かして、社会に役立てるようなことをしたいと強く思った。そのために、まずは自分がいる環境を変えようとしている。(具体的なアクション内容は別記事でいつかまとめようと思っている。)

空いた時間に本著のモリ―先生の授業を体験し、自分の人生について深く考える時間をとることも、価値ある人生を送るためには大事なことであると女史は思う。



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