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『嫌われる勇気』を読んで(引用と感想)

こんにちは。ひっさしぶりの本のレビューです。5月末頃から現職を休職していて、在職ニート期間にコンスタントに読書はしていたのですが、この本ばかりは読んだ感想をしっかり振り返っておきたいと思い、noteを書き出しました。
※追記:自分でもブックマークしたいと思うくらい良い記事な気がします(笑)

超超名作、『嫌われる勇気』。最初の発行日が2013年だったので、11年越しに読んでます。遅すぎます。大学1年生の頃、1つ上の先輩に「これ読んでみたらいいよ〜」って貸してもらったことがあるのですが、当時の私は「長いし難しそうだしめんどくさい」と思って読みませんでした(笑)

そして、今思うと先輩に貸してもらったのが2015年とかだったので、私自身もほぼ10年越しに最後まで読みました。結論、「なんでもっと早く読んでおかなかったんや〜」と少しだけ後悔。それから、当時先輩がなぜ私にこの本を貸してくれたのかがよく分かると同時に、私のメンタルは10年前から変わっていないんやな〜とも気付いて少し落ち込んでいます。

前置きが長くなってしまったのですが、この本は端的にいうと、アドラー心理学を青年と(アドラーを学んだ)哲学者の対話によって分かりやすく解説してくれている本。アドラーの目的論という考え方は、過去ばかりをみて後悔し落ち込む私を、未来に目を向けさせてくれるような考え方です。

このnoteでは、特に私が心に刻んでおきたいと思った内容を引用とともに感想を述べる回にしていきます。

人生のタスクと行動面と心理面の目標

人間の行動面と心理面の目標

行動面の目標が、次の2つ。
①自立すること
②社会と調和して暮らせること

そして、この行動を支える心理面の目標として、次の2つ。
①わたしには能力がある、という意識
②人々はわたしの仲間である、という意識

『嫌われる勇気』 岸見一郎 古賀史健 著 P.110

アドラーは、すべての問題は対人関係にあると述べているのですが、その対人関係のゴールが「共同体感覚」だと言います。そしてその共同体感覚には3つの循環サイクルがあって、それが「自己受容」→「他者信頼」→「他者貢献」※分かりづらいので勝手にまとめた図を載せます(図も分かりやすくはないかもw)

共同体感覚の3つのサイクル

そして、行動面と心理面の目標のそれぞれ①が自己受容に該当し、それぞれ②が他者信頼からの他者貢献の流れに該当すると言います。

なんだか、仕事面でもプライベートでも思い当たる節があるような…。「自分が嫌いで受け入れない」→「他者を信頼していない。他者から嫌われることが怖くて探りながらコミュニケーションを取る」→「他者を敵だとみなす。仲間だと思えない」→「他者貢献したいところまでいかず、他者から嫌われないようにどうするか?」に意識が向いてしまっている→「誰にも貢献できず、何にも役に立てず自分を無能だと思う」

こんな悪循環が起こっているのが今の自分だと感じます。現実にするのは簡単ではないと思いますが、アドラーの言う循環に自分を適応していくと、確かに仕事でもプライベートでも対人関係が良くなりそうだと感じます。

人生のタスクとは?

ひとりの個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるをえない対人関係。それが人生のタスクです。

『嫌われる勇気』 岸見一郎 古賀史健 著 P.111

先述の通りですが、すべての問題は対人関係にあると考えるのがアドラー心理学。自分に置き換えた時、私が今抱えている悩みはすべて対人関係に紐づいていると気付きます。「自分が嫌い」「自分に自信が持てないのがつらい」など、一見自分に対する問題でも、なぜ?つまり?と辿っていくと、対人関係の悩みに発展します

そう考えると、人間の悩みってシンプルだよな〜と思えてきました。

課題の分離について

対人関係の問題を解決する手段が「課題の分離」とされています。「課題の分離」とは、下記。

他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。

『嫌われる勇気』 岸見一郎 古賀史健 著 P.150

多くの人は、対人関係のカードは他者が握っていると思っています。だからこそ「あの人は自分のことをどう思っているんだろう?」と気になるし、他者の希望を満たすような生き方をしてしまう。でも、課題の分離が理解できれば、すべてのカードは自分が握っていることに気がつくでしょう。

『嫌われる勇気』 岸見一郎 古賀史健 著 P.168

つまり、自分にコントロールができないことは考えても仕方がないし、自分が考える問題でもない。ということ。これは過去にも耳にタコができるくらい言われたことがあります(笑)

でも、この事を「課題の分離」と端的に言い表してくれているところがいいなと思います。他者の課題、つまり自分にはどうしようもないことで悩んでいる時、「今私は、課題の分離ができていない」と思えるだけで、問題がシンプルに顕在化されスッキリするような気もしてきます。

共同体感覚

人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる。

『嫌われる勇気』 岸見一郎 古賀史健 著 P.205

人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたときにこそ、自らの価値を実感できる。
(中略)
他者に働きかけ、「わたしは誰かの役に立っている」と思えること。他者から「よい」と評価されるのではなく、自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えること。それではじめて、われわれは自らの価値を実感することができるのです。

『嫌われる勇気』 岸見一郎 古賀史健 著 P.206

「貢献」を主観で感じるというのが新しい発見で、メモしました。確かにそうなのかもな〜と思います。なぜなら、私が過去に「他者貢献できた」と感じた出来事も、思い返してみると主観だったなと思うからです。

確かに、相手から「ありがとう」と感謝されることもありましたが、過去の出来事で私が覚えているのは、具体的な”何か”をして感謝されたことというよりも、その相手と関わった時間全体を指して、「あの一連の出来事で、あの人に少しは役に立てたかな」と実感するのです。相手はおそらく、具体的な何かを指してお礼を言っている気がする。でも私が覚えているのは、その具体というよりも、その相手と過ごした時間全体。

と考えると、結局他者貢献は主観なのかもなと思うのです。(とても分かりにくい気がします😂)

他者貢献

他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。

『嫌われる勇気』 岸見一郎 古賀史健 著 P.238

そしてアドラーは言います。他者貢献とは自分のためだと。

それもその通りだなと思うのです。自分の人生は自分が主人公である。自分が幸福でいることが自分にとって一番大事なこと。他者貢献をして一番充実感を感じるのは自分。「自分ってこの世界に生きていていいんだな」と思える大きな手段が、他者貢献だと私も思います。

幸福について

人間にとっての最大の不幸は、自分を好きになれないことです。この現実に対して、アドラーはきわめてシンプルな回答を用意しました。すなわち、「わたしは共同体にとって有益である」「わたしは誰かの役に立っている」という思いだけが、自らに価値があることを実感させてくれるのだと。
(中略)
他者貢献とは、目に見える貢献でなくともかまわないのです。
(中略)
あなたの貢献が役立っているかどうかを判断するのは、あなたではありません。それは他者の課題であって、あなたが介入できる問題ではない。ほんとうに貢献できたかどうかなど、原理的にわかりえない。つまり他者貢献していくときのわれわれは、たとえ目に見える貢献でなくとも、「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚を、すなわち「貢献感」を持てれば、それでいいのです。

『嫌われる勇気』 岸見一郎 古賀史健 著 P.252

自分が主観として誰かの役に立っていると感じる時、そしてその時間が多くある時、人は充実感を感じ、自分が好きになり、幸せを感じるという循環。これも納得。当たり前だけど、これまでのアドラー心理学の言うことのまとめという感じがします。

幸せになるためには、「他者貢献」を「主観」で感じることだ!!!

と考えたら、なんか人生シンプルな気がします(笑)

人生について

どこに到達したのかを線で見るのではなく、どう生きたのか、その刹那を見ていくのです。
(中略)
遠い将来に目標を設定して、いまはその準備期間だと考える。「ほんとうはこれがしたいけど、やるべきときがきたらやろう」と考える。これは人生を先延ばしにする生き方です。人生を先延ばしにしているかぎり、われわれはどこにもいけませんし、味気ないモノクロームの日々が続くだけでしょう。「いま、ここ」は準備期間でしかない、我慢の時期だと思っているわけですから。
(中略)
「いま、ここ」を真剣に生きること、それ自体がダンスなのです。
(中略)
人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか見えたつもりになることです。

『嫌われる勇気』 岸見一郎 古賀史健 著 P.274〜276

「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てて、今この瞬間を真剣に生き続けていく。人生は線ではなくて点だ。将来のために生きすぎて今を我慢の時期だと考えるのは、人生を先延ばしにする生き方だというアドラーの考え方。

これは、私の人生に光を当ててくれるような考え方でした。私自身、「今は、将来こういうキャリアを積むための我慢期間。本当にやりたいことではないけれど、将来のためには重要だから一旦この道を通る」という考え方をよくしてしまいます。今この瞬間、幸せになれる道や満足する道を選ぶのではなく、将来のために今を選ぶという選択の仕方をしてきたせいか、「今、私めっちゃ幸せ!!」と思えることは、人生振り返ってみてそう多くはなかったです。

現に今も、将来のために必要な道だと思って選んだ道だけど、結果的に頑張りきれなくて、つらい中で“今”頑張る理由がなくて、適応障害、休職という状況に追い込まれてしまいました。

でも、今どれだけ一生懸命頑張ったって、将来のことは将来になってみないと分からない。今目指したい道も、将来も目指したいと思っているかどうかなんて分からないし、社会もどんどん変化していくから、外部環境も変わっているかもしれない。し、そもそも今この時点でも、将来目指しているものを本気で死ぬほど目指したいかと言われると、そうでもなかったりする。

「今この瞬間、幸せになれそうな道は”悪”とみなして、何かの目的のために我慢してでも頑張ることが、”善”」と、知らず知らずのうちに思い込んでしまっているのだと思います。

だからこそ、アドラーは「今この瞬間のために生きていていいんだよ」と教えてくれているような気がして、人生に光を当ててくれている気がしたんです。

話が逸れますが(逸れるというか元に戻るという感じですが)アドラーの目的論とは、フロイトの原因論と対極にいる考えなのですが、これがわりと好きです。

  • フロイトの原因論:今のこの状況は、過去の何かに起因しているという考え方

  • アドラーの目的論:何か目的のために今この状況を作り出しているという考え方

私の例で考えましょう(自分しか分からないw)
私は今、適応障害で休職をしてもうすぐ丸2ヶ月になります。体調は結構回復してきているし、自分的にもそろそろ仕事がしたいと思っているけれど、何かを選択する勇気が出ないです。

この状況について考えた時、フロイト的な考えだと、

  • 休職の要因は部署の環境にあるから、復職してもまた同じことが繰り返されると思って怖くて復職できない

  • 転職するにしても、短期離職を繰り返してしまっているから、また転職できるか不安

  • 転職に2度も失敗しているから、また失敗しそうで不安

これらが原因で、休職期間を引き延ばしてしまっているということになります。

一方アドラー的な考えだと、

  • 働きたくないから選択をしない

  • 今の状況だとストレスもほぼないし、ストレスがあっても容易に避けられるので楽だから選択をしない

  • 何の選択もしないということが、何の負担もなくて楽だから選択をしない

こういう目的のために、休職期間を引き延ばしているということになります。残酷だけど、分かりやすい(笑)

で、なんで私が、原因論より目的論が好きだなと思ったかというと、ラクな生き方だなと思ったからです。

もちろん、原因論はめちゃくちゃ必要なことで、自己分析もほとんどが原因論の話だと思います。原因論があるからこそ、自分を知れます。でも、原因論ばかりに縛られると、自分の可能性を狭めてしまうし、どんどん人生が苦しくなっていってしまう気がします。

過去のこういうつらい経験があったから、今の自分はこうだ。過去にこういうことができなかったから、これからもできない気がする。過去にこういうことをしてしまったから、これからはこう生きないといけない。みたいな考え方をしてしまったら、どんどん自分の首を絞めてしまいます。

目的論で物事を考えること、人生は線ではなくて点で考えることが、今この瞬間も幸せに生きるために大切な考え方なんじゃないかな、と思います。

今、『嫌われる勇気』の続編、『幸せになる勇気』を読み進めています。これも読了したらレビューを書くかもです。

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