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小さな世界を作る

不思議なもので、大きな闇にぶつかる度に、大きな愛を受けている。
そんなコントラストを感じるここ最近です。

でもどうやら、そう感じているのは私だけではないようで、親しい人々の話を聞くと、似たような事例が起きているようです。内容を聞いてみると、大体が「お金」「契約」が絡み、そこに加え「夫(妻)」「先生(生徒)」「客(作り手)」といった双方の肩書が、何やら話をこじらせているように感じます。なんなんでしょうねえ?

なんとなくですが、今ここ何年、もしくは何百年という時代が「物質世界」と「精神世界」の亀裂、もしくは狭間に入っているのかな、という感じです。

世界観が違うもの同士の話しは、双方にそれぞれの信念を持っているので、話の落とし所が尽きずらく、問題が長期化しやすい傾向があります。
あくまで主観ですが「物質世界」の方は、「見える形」や「数字」を結果として求め、感情を「怒り」として変換している。
「精神世界」の方は、「わかちあい」や「双方の心地よさ」を求め、感情を「フラット」にしているように感じます。

しかし、そうなると現実的に「怒り」を表現する「物質世界」の方が優勢になりがちなので、それもどうなのかな?と私は思っているこの頃です。

さて、今、皆さんはどのような感覚で、人付き合いをされていますか?
「なんだか最近、人間関係がうまくいかないな」
「やりづらいな」
そう感じていらっしゃる方はいるでしょうか?

今は正解がないからこそ、世界観が「似たもの同士」が寄り添う場が必要なのではないかと感じています。自由に語り合い、認め合える「温もりのある世界」。
自分は守られている、安全である、ということを体感していける事が、心の平穏を守れることにつながるのかなと感じています。

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