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「人を信じよう。」


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では、本題。


山岸俊男著・「安心社会から信頼社会へ」を読んだ。


人を信じることは、お人好しのする愚かなことか?
それとも誰も信じないで「人を観たら泥棒と思え」と思っている人こそ愚かな人間か?

この問を出発点としたこの本は、安心社会である日本と信頼社会である欧米の違いを知れるとともに、それぞれの社会がつくりだす心理の違いも知ることができる。

わかりづらく解釈しきれていない部分もあるけど、納得のいく面白い本だった。


この本で定義している安心社会とはなにか?

それは、

・相手が自分を騙さないという期待の中で、相手の活動についての評価にもとづく部分のこと。

・市場取引において、長期的に利害関係を共有する社会関係に基礎を置くこと。

・関係の安定性がその社会で暮らす人々に「安心」を提供している社会のこと。

つまり、相手の行動によって自分の身が危険にされされるとは考えていない社会のこと。

この社会では社会全体の安心を第一に考えるから、わざわざ相手が信頼できる人間なのかどうかを考える必要性が少ない。

この安心社会が日本社会であるという。

たとえば、

もうただの幻想だとわかっているけど会社に就職すれば定年まで働けるという「終身雇用」なんかが象徴的。



対して信頼社会の定義はなにか?

それは、

・相手が自分を騙さないという期待の中で、相手の人格や自分に対して抱いている感情についての評価にもとづく部分のこと。

・相手の行動によって自分の身が危険にさらされると考えつつ、相手の人間性から相手は自分にヒドイ行動はとらないだろうと考えること。

この社会が、欧米社会であるという。


そして現在の日本は、安心社会の崩壊が起こっていて信頼社会へ移行するいい機会になっているという。

上述したように、終身雇用という安心は崩壊した。

他にも年金問題等、日本社会の安心を疑うようなニュースはよく聞く。

たとえば、増税したのに福祉に回されていないニュースを見ると安心なんてなくなる。

それに働き方改革と謳っているけど、リモートワークが根付かない原因はまさに安心社会だからだろう。


安心社会・信頼社会についてはオレ自信ちゃんと解釈ができていなく上手くまとめられないからここまで!笑




じゃあ、この本の最初の問いである、

人を信じることは、お人好しのする愚かなことか?
それとも誰も信じないで「人を観たら泥棒と思え」と思っている人こそ愚かな人間か?

はどうなのか。

これは実験の結果、「他人を信じようとしない人」が「よく信じる人」よりも騙されにくという事実は得られなかったという。

それだけじゃなく、

多くの人は甘っちょろい信念をもっている「よく信じる人」はだまされやすい「お人好し」だと思っているけど、

そう思われている人こそが「他人を信じようとしない人」よりも、


他人の行動を正確に判断していることがわかった。

つまり、「お人好し」の人は「ずる賢い」人よりも、よく人をみれているということ。

さらに、よく信じる人の方が、良い環境に恵まれるという。

それは、他人との協力関係を積極的に作っていこうと考えるので、


いろいろな人とつきあい、いろいろな人の人間性について学ぶ機会が多くなり、結果的に社会的知性が育つからだ。

つまり、単純に経験値が多くもらえるってこと。

人は人で磨かれると聞いたことがあるけど、そういうことだ。

逆に、「他人を信じようとしない人」は経験値が少ないから、相手の人間性を理解する能力に乏しいままで、騙されたりヒドイ目にあう可能性が高くなってしまう。



オレはこの実験結果を知って、人をまず信じようと思った。

そのスタンスにすれば成長はできるなと。

騙されたくないと思ったり、信じてもらいたいと思ったり、良い環境に入りたいとおもったら、まず自分が目の前の人を信じることからなんだよね。

それでもしイタイ目をみても、その分人を見る目は養えるわけだから経験値として捉えて、また人を信じればいいんだ。


そうやって、社会的知性を磨いていけばいいんだ。


人を信じよう。

見る目を養おう。


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