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「人としての《強さ》。」


森鴎外著・「高瀬舟」を読んだ。

罪人を遠島に送るために高瀬川を下る舟に乗る護送役の羽田庄兵衛は、罪人である喜助の様子が気になる。

弟を殺し今から島へ送られるというのに楽しそうで晴れやかな顔をしているからだ。

羽田は今まで何度も護送してきたが、こんな清々しい顔をしている罪人はいなかった。

きになった羽田は護送中にその理由を聞く。

というのがあらすじの森鴎外の代表作。

数十分で読める短編小説ではあるけど人としての「強さ」を感じた。


強さを感じたポイントは二つ。


まず、喜助は足るを知るという考え方ができている。

つまり、今の自分に無いものに目を向け嘆くのではなく今あるもの・あってくれるものを知り感謝しているんだ。

喜助は今まで借金を返すために骨を休ませず働きまくりながら貧しく苦しい生活をしてきたけど、
今はお上の慈悲で貰った二百文の銭があること(喜助は生まれてはじめて二百文の銭を持った。)や、牢に入れば仕事をせずに食事ができることに感謝している。

足るを知るっていつの時代でも人が生きていく上で重要な考え方だ。

現代人は足るを知れないからストレスを抱えたり差別を繰り返しているんじゃないだろうか。

昨日、SNSは罵詈雑言が蔓延しているから精神衛生上悪いと書いたけどSNSは自分に足りないものばかり目に付いてしまう。

その結果、簡単に人を罵ってしまうんだろう。

人を罵るより、無いものを嘆くより、今あるもの・今いてくれる人に感謝したほうが心は豊かになる。

自分には何があるのか?誰がいてくれるのか?
いつも足るを知っている人間は強い。



二つ目の喜助の強さは現実を受け入れているところ。


確かに喜助は弟を殺した(とどめを刺した)けど、それは弟が頼んだこと。

弟は喜助と共に借金を返すために休まず働きまくっていたけど、ある日病気になり働けなくなってしまった。

病気になってしまっては喜助の力になるどころか余計な荷物になってしまうと考えた弟は、喜助に少しでも楽をさせるために自殺を図る。

ただ、その自殺が失敗し死ねきれず重症を負い苦しんでいるところを喜助が発見する。

喜助は医者を呼ぼうとするも弟はそれを止め、喉に刺さっている剃刀を抜いてくれと頼む。

あまりにも凄い眼で訴えてきたので、それを承諾し喜助は剃刀を抜く。

その瞬間をたまたま近所のおばさんに見られて弟殺しの罪人になってしまう。


流れを知れば確かに弟を殺したけど、苦しみから救った喜助は果たして罪人なのか?と思う。

だけど、一番それを訴えるべきである喜助は罪人としての現実を受け入れている。

恐らく、喜助と弟以外現場にいなかったから何を言っても無駄とは思ってるんだろう。

ただ、その何を言っても無駄という現実すら受け入れている喜助に強さを感じた。



強さを感じた二つのポイントを考えると、

足るを知れれば現実を受け入れられるし、現実を受け入れられれば足るを知れるとわかる。

どっちが先ではなくどっちかが出来ればどっちも出来るようになるんだ。


俺みたいな凡人が何か結果を出したい・今より良い人生を送りたいと思ったらまずは現状を把握することだ。

現状を把握して初めて戦略が考えられるんだからね。

ただ、その現状を把握するには、現実を受け入れる器と足るを知ることが出来ないといけない。

だから喜助の強さは、人として・何かを望んでいる俺みたいな凡人にとって学ぶべき大切なものなんだよね。


じゃあ、現実を受け入れる器と足るを知ることが出来るようになるにはどうしたらいいか?というと

徹底的に知識を付け多くの経験を積み自分の知っている・見える世界を広げることだ。

そうすれば、悔しい思いをするだろうがどうすることも出来ない自分の今のクソな現状を把握できるようになる。

現状を把握すれば、現実を受け入れるしかなくなる。

そして、そこで怒りや憎悪に身を委ねないことだ。

自分がクソだからってそんなことをしたら何の意味もない。

クソなら今の現実を受け入れ成長するしかないんだ。


現実を受け入れろ。
足るを知れ。
それが強さだ。


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