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「普通」になるのが怖い20歳へ#聞いてよ20歳

二十歳の頃、自分には無限の可能性があると信じて疑わなかったし、将来自分が何者になるのか、想像がつかない未来にわくわくしていた。きっと自分も知らない自分がそこにはいて、私は「普通」の社会人にはならないだろう。そんな漠然とした自信があったし、「普通」にはなりたくなかった。




そう、ちょうど今の私みたいな。

私は結局「普通」の大人になった。今の会社に勤めて10年目。社会人になるまで紆余曲折あったわけでもなく、職を転々として波乱万丈でもなければ、今の会社で誇れるような何かを成し遂げたわけでもない。ただ淡々と目の前の課題をこなしていたら10年がたった。

20歳のみなさんは、こんな私をつまらない大人だと思うかもしれない。私だって、自分だけはこんな大人にはなるもんかと思っていたし、実際そうじゃない人もたくさんいるとは思う。

でも、今はこんな私でいいかと思っている。参考になる成功体験も失敗体験もないけれど、そう思ったきっかけとなる話をさせてください。


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二十歳と言えば、ちょうど大学2年生くらいの頃。私はちょうどサブカルにかぶれ始めていた頃で、「普通の人とは聴く音楽も読む漫画も違うんだぜ」そんな涼しい顔で人混みを横切るような嫌なやつだった。そんな私がいつか就職するなんて想像も出来ず、就職するとしても「自分の感性」が活かせるようなとこで働けるだろうと根拠のない自信があった。金融系一般職とかSEとか、そういう「普通」の職種で「普通」に働く人間にはなりたくないなあ。そう思っていた。

ところが。就活を始めてみて、結局「他人からどう見えるか」の見栄だけで大手企業の総合職ばかり受けていた私は、ことごとく落ち。やっと採用してくれたのは大手ではあるけれど大量採用の金融系一般職だけで、私はあの時あれほど嫌だった「普通」になることが決まったのだった。

***

そんな就活中、同じ大学の友人Hちゃんとはお互いにその悩みを打ち明けていた。いつものように話していたとき、「実は」とこぼすHちゃん。彼女も私以上に就活が長引いていて、苦労しているようだったけど、なんと親戚のコネで広告会社に就職するあてがあるという。それでも、彼女は

「自力で自分の居場所を見つけたいんだ。」

そう言っていて、もったいない話だけど、偉いなあ。なんて思っていた。



だが、その数週間後、Hちゃんはその広告会社に就職を決めた。

広告会社は、採用人数が少ない狭き門。そんな彼女の就職先を知った周りの友人らは「広告会社!?すごいね」と口々に言った。(私以外、彼女がいわゆる「コネ入社」だとは知らない。)

その時、Hちゃんは


「なんかね、面白い人材が欲しかったんだって」


そう平然と言い放った。どういう心境で彼女がそう言ったのか理解出来なかったし、「いや、コネ入社じゃん」そう内心思っている自分が卑しくて、嫌で仕方がなかった。就活中、Hちゃんとはお互い励まし合い、支え合った仲だ。コネだろうが何だろうが、晴れて就職先が決まったなら、心からお祝いしてあげればいい。なのに「面白い人材」という言葉が、「普通」の私へのあてつけのように聞こえてしまった。

「面白い人材だからじゃなくて、普通だから採用されたくせに」

思わず喉元までこみあげた言葉を飲み込んで、胸がいっぱいになる。

それからというもの、Hちゃんとは連絡を取らなくなった。


***


普通の自分に嫌気がさして、新生活にも希望が持てない。そんな大学生活も終盤に差し掛かったころ、私はある漫画に出会った。


よしながふみさんの漫画「フラワー・オブ・ライフ」。

確か初めて読んだのは高校生くらいのころ。最終巻だけ読んでいなかったことを思い出して、全巻買って読み直してみたのだ。


衝撃だった。

最終巻が発売されたのは数年前にも関わらず、この時期までおあずけされていたのは神さまが今の私に読ませたかったのでは?と思うほど、この漫画には、私の心に刺さるセリフがあった。


ここでちょっと漫画の内容をご紹介。

※以下ネタバレ含みますので注意

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主人公は高校1年生の春太郎。春太郎は白血病を患い、その闘病生活を経て、みんなより1年遅れて高校生となる。フラワー・オブ・ライフはそんな彼とその友人との高校生活を描いた青春群像劇である。

友人にも恵まれ、漫画家になるという夢を追いかけ、充実した生活を送っていた春太郎。そんな彼は物語の終盤、ひょんなことから、かつて患っていた白血病が再発する可能性があると知ってしまう。完治したと思っていた春太郎は、自分が人の何倍も「死にやすい」という事実にショックを受ける。

そして、この漫画を語る上でもう一人重要な人物。生粋のオタクである「真島」は、「自分は周りの馬鹿なやつとは違う」と思っていて、誰かとつるんだりせず、我が道を行くタイプ。そんな彼は担任の先生(女性)を手玉にとって付き合うようになり、ますます「俺は周りとは違う」という自我を強めていく。

人より死にやすい春太郎と、人より特別でありたい真島。彼らは性格も正反対で、春太郎は社交的で明るく、真島は閉鎖的で近寄りがたい。そんな水と油の関係である春太郎と真島は、物語の中でも直接関わる場面は少ない。

そんななか、真島は自分の交際相手が、かつての恋人(同じ高校の先生で不倫相手)とこっそりヨリを戻していたことを、たまたま学校で見かけたことで知ってしまう。一人教室に取り残され、呆然とする真島。侮辱された腹いせに、彼はカッターナイフに手をかけた。

そのとき、その現場を一部始終見ていた春太郎は、真島に向かってこう言う。

お前どーせ今までクラスのみんなのこと馬鹿にしてただろ
自分は他のやつらとは違う特別な人間だって思ってたんだろ?
付き合ってた女に二股かけられてキレて恋人殺すなんてつまんねえ話
もともとお前はフツーなんだよ
キレやすいバカなフツーのクソガキなんだよ!!

そう挑発する春太郎に対し、真島は持っていたカッターナイフを春太郎に向けようとするが。

そのとき春太郎は泣いていた。そして泣きながら言う。

フツーの何がいけないんだ
俺は普通がいい
普通の高校生で
普通に恋愛して
普通に失恋して
普通に恥かいて

普通に普通の人間にはなりたくないと思いたい
俺はお前みたいに普通になりたい
お前がうらやましい・・・



普通に普通の人間にはなりたくないと思いたい


この部分。この部分が私はたまらなく好きだ。

私って、どこまでも普通なんだ。だから、普通でいたくないって思うんだ。

その事実を突きつけてくれたセリフ。思い当たる節がありすぎて、ぐさぐさきて痛いくらいに恥ずかしかったけど、何者にもなれない自分を楽にしてくれた言葉だった。

そして、ふと気づいた。あの時のHちゃんも、きっと私とおんなじだったんだ。

Hちゃんは自分のことを「面白い人材」と言った。でもそれって彼女も、「普通の自分」を恥ずかしいと思っていたからなんだ。

Hちゃんも私と同じ。普通の自分を怖がっていた。それがわかったら、なんだか楽になった。



それからというもの、私は普通を怖いと思わなくなった。むしろ、歓迎すべきことだと。

それでも、たまにテレビやnoteにいるような所謂「面白い人」を見ると、こんな人生もあったのかなあなんて思う。でも、そんな時には必ずこのセリフを思い出すようにしている。それで、ああ私はどこまでも普通の人間なんだなあとしみじみ思うし、そう思える幸福を噛みしめるようにしている。

20歳。これから無限の可能性がある君たちは、何者にもなれるし、何者にもなれない。もちろん何者かになろうとして、邁進するのだっていい。だけどその結果、何者にもなれなくたって、悲観することはない。そういう悩みはある意味幸せなことで、そんな目の前に転がっている幸せを見つめ直すのだって悪くはないし、それは人生サボってるわけじゃないよってこと。

長くなったけど、そういうことを、私は20歳の私に伝えたかったなと思う。

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