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きゅうたろうの旅立ち

季節が二つも前の話。
当時は公開できなかったnoteを、ようやく公開しようと思った。

書くのが辛くて、涙が出て、やっと書いたのにまた保存して。その繰り返し・・・それが嫌で、自分のnoteを見るのさえも嫌になった。

当時の感情が、心の中で大きな波のように自分をさらってしまうような不安はまだあるけれど、やっぱり「ありがとう」を伝えたいので公開しよう。

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ある日、母から緊急LINEがあった。

「きゅうちゃんが大変です。今病院にいる。熱中症かもしれない。」

きゅうちゃん というのは、実家で16年一緒に暮らしてた雑種の犬のこと。保険証などに記載する正式名称は きゅうたろう 。私のSNSネームは、この子の名前を受け継いでいる(アイコンの猫は別の名前)。桜の花が満開の頃、兄が野球場できゅうたろうを拾ってきた。普段あまり強く主張することのない兄が、どうしても飼いたい、と言い張ったらしい。

丸々とした顔に、よく走り回る仔犬だった。その様子を見た父は男の子だと思って "きゅうたろう” と名づけたのに、病院に連れて行くと女の子だと判明して、皆で笑った。でも"きゅうたろう"という名前は変えなかった。"きゅうちゃん"と呼ぶと、一目散に駆け寄ってくる姿が愛くるしかった。

ひっくり返って家族の様子を見ているきゅうちゃんは、お世辞にも賢そうには見えなかったけれど、見る人を笑顔にする天才だった。

車のエンジンの音、誰かの足音、蝶やトンボの動き。色んなものに敏感に反応するので、この子は頭が良いのか、やっぱりおバカさんなのか、と母と一緒にまた笑った。

きゅうたろうが7歳のころ、父がそう鬱病になった。

当時、父は3日以上眠れない不安を家族にも言えず「俺は武士なんだ」と毎日叫び狂っていた。目はどこを見ているかわからないけれども充血し、フラフラの足取りで家中を歩き回っていた。

ある日「昨日と同じ服装だよ」と私は友だちからツッコミを入れられたけど、着替えているときに、お風呂に入っているときに、父に刺されるかもと思うと、一番奥の物置に隠れるしかなかった。ついでに言うと、そのときは2日連続ではなく、3日連続同じ服装だったと思う。

そんな父に、唯一、屈託ない笑顔で近づいていくのが きゅうたろう だった。彼女にとっては、父は病気になっても「いつものお父さん」だったのだ。散歩に連れていってくれなくても、隣にいてくれて撫でてくれるお父さんだったのだ。きゅうたろう だって、異変を感じていただろうに、それでも自分から近づいていた。

父が今も生きているのは、間違いなく きゅうたろう がいたからだ。

ここ数年は、彼女がこの冬を越せるか、この夏を越せるか、と思いながら帰省していた。おそらく秋田犬の血がまじっていた きゅうたろう は、冬の寒さよりも夏の暑さの方が辛そうだった。

人間の年でいうと80歳近くなった14歳頃から、後ろ脚の力が弱くなり自分では起き上がることができなくなった。お尻の部分を支えるような介護用ハーネスをつけて人間が「よっこいしょ」と持ち上げてようやく歩けるくらいまでに弱っていた。帰省のたびに痴呆症の傾向は強まり、夜中は一時間おきに起き上がりたいとクンクン鳴くので、一緒にぐるぐると庭を何度も回り歩いた。母はそんな きゅうたろう に毎晩付き合っていたようだ。

動物の命は限りなく短い。

頭ではわかっていたけれど、まさかこんなに早く逝ってしまうなんて。もしものときはすぐに帰るからねと言っていたのに、翌日の仕事を理由に帰らなかった。2日後に帰省したときには小さな箱の中にいて、私は号泣した。ごめんね、ごめんね。最後にたくさん触って、お別れを言いたかった。

こんなふうに泣いたのはいつ以来だろう。

私は自分の感情にもえらく鈍感だという自覚がある。そうしないとあの田舎で、あの家族とは生きていけなかった。友が去って行ってもしょうがないと諦め、自分の希望が通らなければそういう運命だと受け入れ、また新しい何かがあるさ、と自分を納得させていた。

でも、きゅうたろう に代わりはいなかった。16年間の大半を離れて暮らした私たちだけれど、喪失感は想像以上だった。

それでも会社には行かねばならず。
それでも何かに追われる日々は続いていくわけで。
そして自分はまた立ち上がれるのだろうか、と不安になった。

不安に押しつぶされそうで、自分が参加しているコミュニティ・コルクラボのメンバーには、きゅたろうの死を伝えた。ちょうど数ヶ月前に 漫画倶楽部 で きゅうたろう をテーマに漫画を描いたから知らせたい、と思ったのが理由の一つ。

そこでまた信頼出来るコミュニティのありがたさが、身に沁みた。

漫画を描くために一日中きゅうたろうのことを考えて過ごしたあの日はとても幸せだった。いま悲しみを癒すために一日中好きなだけきゅうたろうのことを考えてしまうのが正しいのかどうかわからないけれど、心の底から伝えたい言葉がある。

きゅうちゃん、ありがとう。
コルクラボのみんな、ありがとう。

本当に伝えたい気持ちは、気の利いたセリフではなく、言葉にできないものかもしれないね。

今日、私が私の感情に素直になって書いているのは、他の誰でもない きゅうたろう がいてくれて、コルクラボのみんながいてくれたから。

ありがとう。

ありがとう。

きゅうちゃん、またね。

#コルクラボ #家族 #日記 #熟成下書き #犬 #犬のいる暮らし #エッセイ #シニア犬

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