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休職日記「自己否定から自己受容へ、適応障害からの回復の兆し」

 ここ数年ずっと気分が鬱々としていた、でも原因が分からない。何度も人間関係のトラブルを繰り返し、生きること自体に疲れてしまい、自分は社会不適合者だと悲観する日もあった。まったく先が見えない苦しみほど辛いものはない。

 2023年の9月に体調を崩し休職。2024年の1月からリワークに通い半年が過ぎた。リワークへ通いながら心理療法を学ぶことで、少しづつ回復への道のりが見えてきた。希望が見えると、生きることに前向きになれる、リワークに通った時間は無駄ではなかったと心から思う。

 やはり自己回復の鍵はCBT(認知行動療法)やACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)などの認知療法だ。自分を客観視できるように日々モニタリングを続け、ネガティブな自動思考を書き出し、マインドフルネスやコーピングなどの対処法を行う。

 認知行動療法の4つの領域(認知行動整理)やコラム法、問題解決法なども役に立つが、重要なのは自己観察だ。気分が鬱々として1日寝込むようなときでも、客観的に自分の状態を観察することだけは根気強く続けてきた。

 自分の場合はリズムケアというアプリをカスタマイズして1日5回気分と体調の疲労度を5段階評価で記録。さらにネガティブな自動思考がどんな時に湧いてきたかも合わせて記録し、余裕があれば対処法を試し、効果を観察するようにしている。

 ただ、ネガティブな自動思考が湧いてくるたび、鬱々としないように対処をし続けるのは、永遠に終わらないモグラ叩きのようで、先が見えない。だから、最近まではこんな調子で社会復帰できるのかな?と不安だった。

 やはりモグラ叩きを終わらせるには、モグラが出てこないようにするしかない。根本的な問題を解決したくて「スキーマ療法ワークブック」を自分で行ってみることにした。

 スキーマ療法は認知行動療法の発展形で、その人が囚われているネガティブな自動思考を、その人の幼少期に「中核的感情欲求=愛されたいなど」が満たされなかった傷つき体験から自信を守るため作られた「スキーマ=考え方」が不適応をしていると考える。

 例えば、幼少期に「親に愛してもらいたいという欲求」が満たされなかった場合、傷つき体験から身を守るために「愛されることは期待しない」という「スキーマ」が作られる。その考え方が身に沁みこんでしまうと、大人になってから、上手に感情表現ができなかったり、コミュニケーションがそっけなくて人付き合いが悪かったりして、人間関係がうまく築けなくなる。

 ネガティブな自動思考はこうした過去の傷つき体験から身を守るため作られる。人に傷つけられたなら「人は信用できない」人に見捨てられて傷ついたなら「人に嫌われたくない」自信の思慮の足りない行動で傷ついたなら「自分はダメな奴だ」などなど。過去の傷つき体験を繰り返したくないからこそネガティブな自動思考は何度も湧いてくる。

 ネガティブな自動思考の目的が自分自身を守ることなら、対話ができる。子供の身を案じているからこそ、お母さんがガミガミ勉強しろと言うのと同じことだ。相手の気持ちが分かれば、寄り添うこともできる。

 傷つかないように身を守ることが行き過ぎると引きこもって社会と接点を断ってしまう。人には社会的欲求と言って、人と交流したいという欲求が生まれながらに備わっている。引きこもれば他者から傷つけられることはないが、孤独感は生きる気力を奪っていく。そうしたことを避けるためにも、ネガティブな自動思考との対話が重要だ。

 このことを意識するようになって、以前よりも鬱気分のコントロールがうまくできるようになってきた。自分自身を守りたいからこそネガティブな思考が湧いてくると気づけると、そんな自分と一緒に良い未来に向けて進んで行きたいと思えるようになった。それを自己受容と言うのだろうか。

 振り返ってみれば、自分を「ダメな奴だ」と思うことで、よりましな未来を探し続けてこれたんだと思う。鬱々する度、新しいことに取り組もうという気力が湧いてくるのも「このままじゃダメだ」ともう一人の自分が言い続けてくれたからだと思う。だから全部ひっくるめて自分なのだ。

 今はまだ「自己否定3:自己受容7」ぐらいの割合だけど、根気強く自分自身との対話を続け、「自己否定4:自己受容6」くらいまでは持っていきたい。良い部分も悪い部分もまとめてそれも自分だと受容できるようになれば、自信をもって歩んでいけると思っている。

 

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