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イスラエルとパレスチナの対立はどこから生まれた?【ゼロから学ぶ世界情勢解説】

 現在、イスラム組織ハマス掃討のため、イスラエル軍はパレスチナ自治区・ガザへの攻勢を強めています。

 このイスラエルとパレスチナの対立は、どこから生まれたのでしょうか?

 今回は、その争いの起源について、簡単に紹介します。

 問題を起こしたのは国連?

 発端は第一次世界大戦の時です。当時、世界で散り散りになっていたユダヤ人の中で、2000年前に住んでいた故郷パレスチナに、自分たちの国をつくろうという動きがありました(19世紀末のヨーロッパで始まった、この運動をシオニズムと言います)。

 イギリスはそこに漬け込み、勝った後にパレスチナに国をつくって良いという約束をユダヤ人を行い、お金を支援してもらおうとしたんです。

 しかし、実はその約束をオスマン帝国支配下のアラブ人にもして味方につけていました。

 が、結局イギリスはその約束を反故にします。このできごとがのちの対立を生みました。

 その後、ナチスによるユダヤ人迫害があり、第二次世界大戦が終わった時には、ヨーロッパに数十万のユダヤ難民がいました。

 

 ユダヤ人が多く住み、影響力を持っていたアメリカは、この時、パレスチナにユダヤ人の国をつくることを支持しました。

 また、当時パレスチナはイギリスが統治していましたが、暴動に手を焼き、国連に問題をパス。そして1947年11月、国連はパレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分けることを決定します。

 ただ、その割合はパレスチナに古くから住んでいた多数のアラブ系住民に約43%、 新しく移住してきた少数のユダヤ系住民に約57%の土地を与えるという内容でした。

イスラエル独立→戦争へ

 決議を受け、1948年にはユダヤ人の国として、イスラエルが独立を宣言しましたが、エジプト・シリア・ ヨルダン・レバノンなど、周辺のアラブ諸国が猛反発(アメリカはトルーマン大統領がユダヤ側と関係が深かったことからすぐにイスラエルの国家承認を出し、ソ連もこれに続きました。翌年にはイスラエルの国連加盟が承認されています)。イギリスによるパレスチナ統治が終了する同年5月15日の前夜、国連がユダヤ国家の領土とした地域に軍事侵攻して第一次中東戦争が始まりました。

 この戦争の中でイスラエルは、国連が認定した以上の土地を手に入れます。イスラエルからすると、そこはもともと神がユダヤ人に与えた土地とされているからという理屈です。

 この時、70万人以上のパレスチナ人がふるさとを失い、難民となりました(現在はさらに増え、2021年時点で約560万人に達しています)。

 その後も、争いはたびたび起こり、イスラエルは、パレスチナの土地をどんどん占領していっているのです。

 これまでにアメリカも仲介して幾度か和平に向けた道筋も見られたのですが、どちらかが譲ってもどちらかが譲らないというようなことが続き、結局いまにいたっています。

 冒頭の「イスラエルとパレスチナのこの対立は、どこから生まれたのでしょうか?」という質問に答えると、1948年にイスラエルが独立宣言をしたときともいえるし、2000年前、ユダヤ人がパレスチナを追われた時ということもいえるのでしょう。

この対立は、以前解決が見えない状況です。次回以降も、パレスチナ問題について解説していきたいと思います。

 

 



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