書きたくても書けない、だから書く vol.481
こうやってライティングを続けていますが、これを苦痛に感じていては意味がないと思うのです。
私にとっては、少々のストレス程度。
「おい、ストレス感じているじゃないか!」
とツッコミをもらうかもしれませんが、このちょっと感じているくらいがちょうどいいのです。
今日はそんなライティングについて改めてほんの少し考えてみます。
ライティングは第二象限
書けないなら、書かなくてもいい。
書く時間がないのなら書かなくてもいい。
書くというのは強制されるべきものではなく、読書のようなものなのです。
例えば本は読まなくても死にません。
生きているうえで大きく困るタイミングもなかなかありません。
ライティングも同じです。
そんなに困る瞬間はなかなかありません。
つまり、ライティングとは第二象限に分類される行為なのです。
重要であったり成長できると感じつつも、なかなかその覚悟がなければ、ライティングにまで行動をうつせません。
それが難しいところ。
逆に言ってしまうと、これを習慣にすればとてつもなく大きな力に変わっていくのです。
脳みそで迷子
ライティングをするにあたって、一番よく聞くのが「時間がない」という言葉。
いや、本当にその通りなんです。
ライティングは私たちの時間を少なからず奪っていきます。
当然でしょう。
話すのに比べて、ライティングはそこに表現する言葉を考えてから書きます。
出発地点は脳で一緒なのですが、口から出る言葉より、書き出す言葉の方が脳で迷う時間が非常に長くなるのです。
こればっかりはどうしようもありません。
しかし、よくよく考えてみると、話すと書くとは何が違うんでしょうか。
どちらも、自分の考えを言葉として表現しているだけです。
ただ一つ言えるのは記憶に残るのか記録に残るのか。
それだけの違いなのです。
時には甘えと優しさを
他人に厳しく、自分にはもっと厳しくとありますが、ライティングについてはそれにあてはまりません。
そんなに負荷をかけて自分自身を傷つけてしまっては意味がないからです。
だから、ライティングができなくても時には許しの心を持って、自分自身を認めてあげるのが大事です。
だから、私自身も毎日1記事投稿と謳っていながらも、時には日中に登校できないときもあります。
昨日も見事に寝落ちしてしまいました。
そして、朝の4:00に目が覚めてしまうという。
そういったときでも、自分の中で許せる範囲をどこまで動かすか、そして動かしたラインを、それ以上動かさないという覚悟を持つ必要があります。
これこそが、甘えの中にも厳しさをってやつです。
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