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「生きる」とは何か

私は考えてしまった。
「なぜ生きているのか」と。


就活の時期にさしかかった私は就活に対する億劫さもあり、
「なぜ就活するのか。」
を考えた。

答えはすぐに出た。
「職についてお金を稼ぐためだ。」
と。
では
「なぜお金を稼がなければいけないのだろう。」
と次の問いに移った。

また答えはすぐに出た。
「食っていくためだ。」
と。

ただ問いは続いた。
「なぜ食わなければいけないのか。」
「なぜ健康を維持しなければいけないのか。」
など...

こう自問自答しているうちに、
考え込んでしまう性格も相まって、
最終的に
「なぜ生きているのか」
という問いにたどり着いてしまった。

こうなったら容易に答えは出ない。

もちろん生物学的には、
「子孫繁栄のため」
と言えるのだろうが、
今日の人間はそれ以上の意味を持っていると思う。


この問いが生まれてからはひたすらに、
全てのものごとについて考えた。

「大学はもう辞めても良いんじゃないか。」
「将来結婚ってした方が良いのだろうか。」
「子供も必要か?」
「そもそもなんで今ここに存在しているんだ?」

全てのものごとに理由が無ければ納得のいかない脳になってしまった。 

このような人生はひいきめに見ても楽しいわけがない。
つまり
「なぜ生きているのか。」の疑念を増進させ、相乗させてしまう。
負の相乗効果だ。

絶望の日々

そんな中、
ちょうど大学の卒業論文のテーマを決める時期だったため、
思いきって3年間学んできたこととは全く違う
『生死論』
というものをテーマとして提出した。
これまで述べてきた考えに基づくものだ。

案の定先生には、
そのテーマにした理由や背景を話しに来い
と言われた。
そこで上述のことを話すと、
先生も教養のある人で、理解してくれた。

「死にたくない(≒死について考えたくない)のであれば、
自分にいろいろな課題を与えて“忘れる”ことが大切だ」
と言う。

ここで言う課題とは、
死について考えること以外のこと。
例えば
仕事や遊び、趣味などふつうのこと。

正直先生の返しは的を射ていなかった。
しかし、
話をした後に何かスッキリした気持ちになった。
別に死にたくないわけではなかったが、
答えを得られたような気分になった。

悩んではいるが人に言うには少し憚るような内容だったため、
先生と話しただけで、
言葉にして発しただけで、
誰かに伝えただけでスッキリした。 

そこから、
「死にたい」と思うことは少なくなった。
ただ、
今でも「死んでも良い」とは思っているが。笑

上では述べていないが、
自分で考えるにあたって数冊の本を読んだ。
もちろん生死論についての。
しかし、
そこから本自体のおもしろさにも気づき、
さまざまな分野の本も読むようになった。

そして、
本を読んでいくうちにわかることがあった。
それは

『人生の可能性の大きさ』

学術書などのような現実。
評論書などの客観的見解。
小説のような空想。
はたまたビジネス本のような生を前提としたもの。

そこにはさまざまな世界があった。


小さい頃から
想像上ではあるが、人生の中ではいろんなことができることはわかっていた。
ただ、
その想像をはるかに越える可能性があることがわかった。

幼稚園から小学校に上がり、
中学校を出て高校、大学へと進学して就職。
5年後くらいに結婚して子供をつくる。
そこから40年ほど勤め上げ、
老後はゆっくり暮らす。
こんな人生がメインにあり、
サイドで自由なことをする。

この「サイド」を自由にできる
というのが今まで思っていた人生の可能性だった。
しかしこんな人生が全てではない。
「メイン」の部分さえ自由にできる。

大学に行かず海外へ旅に出ることもできる。
就職せずアルバイトだけの生活もOK。
1年仕事、1年遊びのサイクルを繰り返す生活だって良い。

本の中の生活もファンタジーではない。
全ての選択が可能なのだ。 

これらのことがわかってからは
人生が“おもしろい”とさえ思うようになった。
「楽しいか」
と聞かれたら悩むかもしれないが、
「おもしろいか」
と聞かれたら100%YES。

人生全てのことがプラス。 

ちょっと前まで死を意識していた人間がこうなった。笑


人間の、生物の根本である『命』について考えたことで、
ものごとを真剣に、かつ楽観的に考えられるようになった。
「これをやったらこれからの人生どうなるだろう。」
「これをやらなくても死にはしないだろう。
なんなら死んでもいいし。笑」
という具合に。


こうして
さまざまなことがわかった。
さまざまなことを学んだ。

そして
私は成長した。
確実に成長した。

ただ、
未だに『なぜ生きているのか』の意味は
“わからない”
まま。
おそらく
これからも“わからない”ままだろう。
死ぬまで。いや死んでも。

しかし
“わからない”ということは『わかった』。 



#人生観
#死生観
#イのホンネ

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