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ソウルフィルド・シャングリラ 第三章(1)

承前 目次

第三章 祭りの中、運命の外 Across Fates


西暦2199年7月1日午前10時00分
澄崎市中央ブロック第一市庁舎前、戦勝記念公園内中央大広場

 万を越す市民達が広場に犇めいている。その身なりや雰囲気からほとんどが正規市民〈ハイアー〉だと分かる。もっとも、その多くが公務員か天宮など一流企業に属するハイアーでもなければこんな儀式に進んで参加する気も起きないであろうが。
 そう、それは儀式だった。ナノマシンが大気中に常時散布され、ALICEネットによる共時性通信網が都市を網羅し、エネルギー供給による飢餓なき時代にあってなお、人々は儀式を、格式を、支配者に対して求める。虚ろの栄華と偽りの威厳を保つために。
 祭りのために拵えられた舞台は大掛かりで、特別に解禁された楽器類が大量に並べられていた。音楽は文化を変容させるという理由から、50年近く前に失効テクノロジー認定が下されたのだ。故に特別措置とはいえ人の演奏は許されず、全て自動で鳴っていた。
 無人楽団の奏でる厳かな音を背景に、壇上では祝詞が詠み挙げられ、遥か昔の戦争で死んでいった英霊たちに形だけの黙祷が捧げられる。
 その後は市長によりこの街の縁起――陸と袂を分かち、洋上閉鎖都市として何故この街が存在するようになったかの発端が語られ始めた。
 ――技術的発散〈テクノロジカル・ダイバージェンシー〉。
 その発生が人類にとっての終わりで、そして澄崎市にとっての始まり。その影響は100年以上経た今なお、我々を捉えている。
 何が起こったのか、何があったのか。何故起こったのか、何故防げなかったのか。資料は散逸――いや文字通り〝発散〟し、当時の混乱から、未だ抜け出せないでいる。
 空宮と天宮の共同研究による市の公式見解では、技術とはそれを維持し、継承するのにもある種のエネルギーが必要である、とする。空間と複雑な相互作用を持つそのエネルギーは、ある時発達しすぎた技術に追いつかなくなった。発生のポイントは特定されていないが、エネルギーは散逸し、空間の性質は変化した。
 以降、新しい技術が開発される度にそれまで人類が営々と積み重ねてきた既存の技術は発散し、遺失されていった。
 技術発散が起こるとその影響はまず人間に顕れる。技術が記憶から消失するのだ。そして次は人が直接著した書物、次いでデジタルデータへと波及していく。技術は新しい時代のものから順に消えていったため即座に文明が崩壊するような事態にはならなかった。
 だが新たに技術を開発出来なくなった人類は、隣人から奪い取る道を選ぶ。
 技術開発が盛んだった先進国ほど発散の影響は深刻だった。他国に対して未だ優位を保てるうちに覇権を確保しようと、泥沼の戦争が始まった。一説によれば戦争は技術を短期間で飛躍的に発展させるというが――むしろ一種の自爆戦術として技術開発とそれに付随する〝発散〟は行われ、短期間で人類は大幅に衰退していった。〝100ヶ月戦争〟〝忘却の戦い〟等と呼ばれるそれが終わった時、人口は最早文明を維持するに足る数ではなくなっていた。
 そんな状況下で後に天宮総合技術開発公社と称される企業により、『新しい技術』が開発される。
 それは〝発散〟を起こさない技術。既存のテクノロジーとは全く異なる系統樹であり、異なるエネルギーを消費するため致命的な事態を起こさない、技と術だった。
 それこそがALICEネットや擬魂の基礎ともなった『魂魄制御技術』。
 それは統計と手探りでしか認知し得なかったヒトの魂を、体系立てて確かな手触りで扱えるようにし、またそれらをエネルギー源とすることすら可能とした。現在の澄崎市の全ての技術はこれを基盤に置いている。
 人類は、また発展を許されたのだ。そしてその技術を以って天宮と、そしてその研究を支援した政府――空宮は魂魄制御技術の実証の場として澄崎市を作り上げ、そこに戦争を生き延びた人類は移住した。
 また、魂魄制御技術を用いて過去のテクノロジーの再現を目指す実験も併せて行われることとなった。いつの日かかつての栄華を取り戻すことを夢見て。
 ……100年経った今、父祖の代から続く不断の努力の下、我々は今もこうして技術を発散させず文明を維持できている。再び母なる大地を我々が踏みしめる日も近いだろう――。
 雛壇では、天宮理生が無表情にその演説を聞いていた。
 ――全くの嘘も、100年つき続ければ真実に成り代わるものなのですね。
 かつて理生と仲間たちは無邪気にこの話を信じて――そして手痛い仕返しを食らった。7人で始めた彼らの都市救済計画――『プロジェクト・ライラ』は失敗に終わり、あの時のメンバーは今や半分も残っていない。
「――それでは、これより市政100周年記念祭を開始いたします!」
 やがて演説が終わり、市長により祭りの始まりが宣言された。
 ――わああああああああああああああああああああああ……!!
 市民の熱狂的な喝采。それはもちろん満足そうな顔で壇上を下りようとしている、何も知らぬ哀れな市長に対してではない。
 この祭りではついに、天宮の姫君がその姿を見せるのだ。
 事前に街のそこかしこに貼られたポスターやニュースに映った動画は、解像度が低く不鮮明だった。だがそれがむしろ更なる興味を惹起し、市民の話題は持ちきりだった。
 市長が理生に握手を求めてくる。完璧な笑みでそれに応え、理生もまた壇に上がる。
 天宮の姫を、不正と負債に満ちたこの街を救う少女を披露するために。
 壇を挟んで向かい側に座っていた悠理も、立ち上がる。その仕草だけでも優美であり、たおやかなその風情は人々の加熱した高揚を冷ます代わりに、期待の密度を刻一刻と高めてゆく。
 歓声が、一際大きく上がった。

      †

西暦2199年7月1日午前10時00分
澄崎市極南ブロック第2都市再開発区域、19番街D3號通り

 街が、祭りの空気に浮ついていた。
 明るい表情でそぞろ歩く家族。朝から既に酒精が入っているのか、赤い顔をして公道で殴り合う男達。それを囃す連中。何を食わせるのかすら定かでない怪しげな屋台が並び、その隙間を縫って子供達が嬌声を上げながら走り抜ける。
 イルミネーションのために電送用のマイクロ波を違法に受信している奴もいれば、巨大な青黒い胃袋様の大型有機発電機に燃料ペレットを給餌している者もいる。
 サイレンの音。車のブレーキ。犬の吼え声。人の悲鳴。
 護留は足早にその熱気の中を通り抜ける。生々しい。全てが確かな実在としていることに喜びを見出している。
 共感など、毛ほどにもできなかった。
 自分は、彼らにはどう見えているのだろか――いや、『見えて』いるのだろうか?
 計画当日だというのに、護留は苛立っていた。3日前、己條への依頼の品を指定の場所に取りに行った時に起こった出来事が理由だ。

 鍵を開け、ビルの屋上に足を踏み入れた護留を待っていたのは、武器道具一式ではなく、暗灰色のスーツの男だった。
「おや、奇遇ですね。引瀬さん」
 思わず、固まった。ドアを開けるまで気配を察知出来なかった。
 一箇所しかない廃ビルの入り口に仕掛けたトラップやセンサー類は、ここ一週間でこのビルに出入りしたのは己條だけであると主張している。壁を登ってきたか空から飛んできたか――いやそれ以前にどうやってここを嗅ぎつけたのか。己條が漏らしたとは思えないが、その協力者たちから辿られた可能性はあり得る。
「屑代――だったか。依頼を達成するまで姿を見せるなと言ったはずだ」
 疑問を押し殺し、まずは探りを入れる。
「もちろん覚えております。これにも私は一応反対したのですよ。ですが助力は惜しまないと申し上げた手前、誠意をお見せしろと〝上〟からの通告がありまして。後ろを御覧ください」
 注意は屑代に向けたまま、半身になり視線を背後にやる。今しがた開けたドアに、鍵がぶら下がっていた。
「あれほどまでに大量の武器、さすがの己條さんの手にも余るようでしたのでね。微力ながらお手伝いをさせていただきました」
 鍵には、血がべったりと付着していた。
「貴様……何をした」
 一番高いビルを選んだのはこうなる事態も想定してのことだ。依頼を受けた時のような狙撃の恐れはない。護留の掌から白銀の流体が滴り、ナイフを形成する。距離を目測。凡そ5メートル。1秒もかからずに詰められる。
 屑代は意に介さず喋り続ける。
「私はなにも。別の部署がやったことですので詳しくは存じ上げません。ただその鍵は己條さんの事務所の物、とだけ申し上げておきます」
「……殺したのか」
 ナイフを構える。前に刺した時の手応えから身体構造は大体把握出来ている。今度はしくじらずにやれるだろう。
 屑代は少し眉根を寄せた。
「荒っぽい人たちですので、その蓋然性は低くはないでしょうね。とにかくここには己條さんが用意した武器はありませんので事務所の方に行ってもらえるでしょうか? 手間を取らせてすみま――」
 狙ったのは上腕。前も避けなかった相手だ。案の定屑代は動かない。身体改造者なら腕を切り落とされても平気だろうから、高を括っているのか。
 否、一拍遅れて反応する。護留の踏み込みに対応できていないのだ。以前は一度死んで、〝声〟が身体を動かした直後だったので、速度だけは人間の限界を越えていたが、機械的で直線的な体捌きしかできていなかった。今回の動きが護留本来の物。五年間、路地裏で何度も惨めに殺され復活し、肉体と精神にヤスリがけをして無理やり形作られた、生を捨てた者だけが出来る運足。相手の攻撃を躱すだとか、急所を守るなど、ただ攻めるためには〝無駄〟となる要素を削ぎ落とした死者のみが刻むステップ。
 緩急をつけ、左側の死角に周りこむように移動する。一足ごとに加速、水溜りが爆発したように飛沫を跳ね上げ、0.5秒で相手の横に。同時にナイフを無呼吸で振り抜く。
 キィィィィン!
 ナイフが屑代の上腕の肉を裂くというよりは刳り飛ばし、強化骨格に衝突し激しい音を立てる。E2M3混合溶液はその分子配列上硬い物を斬り裂くのには向いていない。よって、腕を落とせるなどとはもちろん考えていなかった。上半身で攻撃の当てやすい場所を狙っただけのこと。護留の全体重と速度を乗せた斬撃は屑代の体勢を崩すどころか、140Kgは優に越す重度改造された身体を半ば浮かしていた。
 そのまま体位を入れ替え、背後を取った。急停止。過大な負荷に足の腱や筋肉が断裂する音を聞きながら、屑代の膝裏を思い切り蹴りつける。
 だが屑代のふくらはぎの当たりから返しのついたブレードが唐突に飛び出し、安全靴の底をも貫いて護留の足裏を縫い止めた。
「ちっ!」
 とっさに引き抜けない。再生能力が仇となって肉とブレードが癒着してしまっている。前のめりに倒れる屑代に引き込まれ護留もバランスを崩す。
 どうっ、と鈍い振動。転ける前に護留が左腕を極めたため、屑代は受け身を取れず顔面からコンクリート打ち放しの床に衝突した。常人なら脳震盪でしばらく行動不能だ。だがもちろん屑代は常人ではなかった。
「なっ、くそっ」
 背中に馬乗りになって掴んだ腕の部分から激しい電撃が放たれた。あまりの熱量により空気が瞬間的にプラズマ化して膨張し、まるで落雷のごとき破裂音を響かせる。いや――それは実際に霹靂だ。空中に浮遊する数も知れぬナノマシン。それらは電気的に中性を保っているが、どうしても摩擦などの要因で帯電してしまい、〝ダマ〟になって落下する。それを防ぐためにALICEネットのエネルギー送信回線を用いて電気を除去するのだが――屑代の腕から放たれるのは送信先を変更されたその雷霆そのものである。
 掌が炭化し、煙が立ち上る。二回、三回、四回。視界に極彩色の光が飛び散り、脳が灼け、体液は沸き立ち、筋肉はでたらめな収縮を繰り返す。激痛、目眩、吐き気。
 ――こんなもので『負死者』が死ぬかよ。
 即座に治癒した護留は、放電を続ける腕を離さずナイフを何度も延髄に突き立てた。激しい火花が散る。さすがに急所は守りが硬い。だが再生力に任せた自らの身体すら壊す護留の異常な膂力と、E2M3混合溶液製のナイフは確実に穴を穿ちつつあった。
 護留の顔の穴という穴から沸騰し黒色になった血液がどろりと溢れてくるが、それらはすぐに意志持つようにざわめき体内に格納されていく。
 ナイフの柄が護留の握力で砕ける。渾身の一撃を振り下ろす直前、屑代は骨が剥き出しになっている腕を人間の関節の可動範囲を越えた動きで背後に閃かせ、ナイフの刃を正確に掴んで止めた。
「――釈明させていただけませんかね?」
「黙れ」
 護留は掴まれたナイフをE2M3混合溶液に戻し体内に吸収、循環させ右手に集め、そこに刃を改めて形成する。そしてそのまま屑代の喉笛を掻き切った。ビクンと大きな痙攣を最期に、屑代は動かなくなった。エネルギー供給ラインの中で一番太い物を切ったのだ。予備に切り替わるまでタイムラグが生じる。護留は今度こそ延髄にナイフを突き立てる。
 ほとんどの身体改造者の延髄には副脳が収まっている。副脳とは複雑で精妙な機構を持つIGキネティック義肢を統合制御するための認知強化や、ALICEネットとの通信を〝翻訳〟して論理網膜に表示するための器官だ。脳と呼ばれているがサイズはおよそ二センチ四方の膨大な擬似神経の凝集体であり、延髄と脊髄に絡みつく蔦のようにも見える。これを壊せば、どれだけ頑丈な重度身体改造者でも体中の各デバイスから送られてくる信号を統合処理することが不可能になるため、身動きが全くできなくなるのだ。
 護留は屑代を蹴飛ばし、仰向けにさせると、胸が上下しているのを確認した。ここに転がしておけばそのうち回収されるだろう。どうせ護留には人は殺せない。故に最初から行動不能を狙って襲いかかった。戦闘能力なら恐らく屑代の方が上だったが、護留の殺意の薄さに対応がコンマ1秒遅れたのが明暗を分けた格好だ。
「己條……クソっ」
 扉にかけらていた鍵を手に取る。血はまだ新しく生乾きだった。
 計画の決行日までは天宮には従う素振りを見せるつもりでいたが、向こうからこうも大胆な介入をされるとは想定外だった。
 護留が暗殺をする意志がないことを悟っているのだろうか。だがこちらを調べあげた上での依頼だったことを考えると、その可能性も低いように思える。
 とにかく己條の事務所に行く必要がある。掌の上で転がされているようで不快極まりないが、実際に武器の類が必要なのだ。澄崎市において火器類は全て使用者がALICEネットで認証をしないと作動しないように作られている。その制限を外した物でないと当然護留には扱えないからだ。
 血塗れの鍵を使って入った事務所にはもちろん己條は居らず、代わりに発注した品物一式が整然と積み上げられていた。悪趣味なことにコンテナの側面には血文字で調達にかかったであろう金額が添えられてある。鍵についていた血といい、あからさまなこちらに対する挑発、ないしは警告だった。
 己條は市警軍へのコネクションを通じて天宮からも仕事が持ち込まれていた。だからもし事が露見しても見逃される、等と甘い考えを抱いていたわけではないが情勢と情報に敏い己條ならば、不穏を察した時点で即手を引くだろうと思ってはいた。その間もなくやられたということか。
 天宮としては計画を知る人間はただの不確定要素としか映らないのだろう。それを良しとせず便利なコマの一つや二つ即使い潰す程度には、奴らも本気ということだ。
 次期当主の暗殺計画。大逆だ。天宮も流石に表立って動かないだろうと思っていたが、どうやら多少の露出は厭わないようだった。今回の件では反天宮勢力の消極的協力が見込めると護留は考えていたが――浅慮だったと言わざるをえない。この五年間、反天宮活動を行ってきたが向こうからのリアクションは皆無だった。それがここに来てこれだ。この依頼のために今まで泳がされていたのか。
 結局、天宮が用意した武器類は使う気になれず、再整備区域にある個人経営の違法銃火器店から購入した。質も量も予定より大幅に下がるがやむを得ない。当てにしていた情報も手に入らなかったが、もう計画を変更する時間もない。屑代から渡されたディスクを信用するしかないだろう。
 手詰まりだ。だが、やるしかない。
 このチャンスを逃せば次はいつ表舞台に悠理が出てくるか分からない。いや、ここで見逃せば悠理は天宮の中で消されるだろう。そして、もちろん護留も。
 
「舐めなんよっ!」「死ねやオラァ!」「やっちまえー!」「おいおい俺はお前に賭けてんだぞ!」
 喧嘩の怒声とそれを囃す声で、意識が現在に引っ張り戻された。全身これ筋肉といった体の巨漢の青年と、身体改造をあちこちに施し半ば人間離れしたシルエットをした女が素手で殴りあっている。周りでは既に賭けも始まり、二人を中心に人集りができて交通がそこだけ麻痺していた。
 その近くで、フードを目深に被った子供が転んでへたり込んでいた。怪我でもしているのか、立ち上がろうとしない。だが誰も省みる者はいなかった。
 白くて華奢な手足。痩せぎすなその体つきから、ろくにエネルギーが供給されていない非市民〈ノーバディ〉だとすぐに分かるからだ。護留と同じく、あの子供も周囲からは〝見えない〟存在なのだろう。
 さっきの苛立ちが蘇りそうになり、護留も目を逸らそうとした、その時。通行人に蹴飛ばされ、子供が悲鳴を上げて横に倒れた。被っていたフードが外れ、顔が露わになる。
 少女だった。
 護留は思わず立ち止まり、次の瞬間駆け寄っていった。
 少女は、白い髪と紅い瞳をしていた。

(続く)

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