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秋の憂愁


秋の憂愁


秋の雨が、色付き始めた街路樹を濡らす。

私は、雨は嫌いではない。
晴れやかな気分には、勿論なるわけではないが、落ち着いた気持ちになれるからだ。

窓を伝う雨の雫を眺めていると、様々な想い出が胸に浮かぶ。
若い頃下宿していたパリのアパートでも、雨の日にはよく窓の外を眺めて、物思いに耽ったことを想い出す。

窓越しに眺める外の世界は、私の想像力をかき立てた。
向かいのカフェに出入りする人たちや、ワインの瓶を片手に、酔っぱらって歩くホームレスの老人の人生を、勝手に想像したりしたものだった。

雨に濡れながら(パリの人たちは、よほどの雨が降らないと中々傘をささない)肩をすくめ、胸に大事そうにフランスパンを抱えて歩くパリジェンヌの後ろ姿。
雨にもかまわず、道路の真ん中で、いつまでもしっかりと抱き合っている、若い男女。
行き交う人々に、誰彼かまわず何かを訪ねて廻る、年老いた女性。

窓の外の雨の世界には、私の描くテキストや詩の原風景となるものが、そこここに溢れていた。

当時の私は、友人が沢山いたにもかかわらず、いつも孤独を感じていた。
原因は勿論私にあった。どんなに友人達が私に対して心を開いて接してくれても、私自身の屈折した心が、中々それを受入れようとしなかったからだ。
孤独の中に、私は敢えて安らぎを見出そうとしていたのだ。

閉ざされた私の心から覗いた外の世界と、雨の日の窓越しに眺めたパリの街の風景は、不思議な程に共通するものがあった。


雨の日は、静かに静かに時が流れていく。
自分だけの時が、自分だけの世界がゆっくりと流れて行く。


2020/9/25 à Tokyo 一陽 Ichiyoh

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