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一旦、全部手放してみよう

前に進みたいという話。


長く一緒にいると、別れが辛くなる。

3月、別れの季節に思わず涙が込み上げてくる経験を、多くの人はしたことがあるだろう。

これは、人との関係に限ったことではなく、所有する物や経験、考え方など様々なことに言えることだと思う。


私の場合どんなモノとの別れの時も、人との別れと同じように、心がぎゅっと締め付けられる。

例えば壊れてしまったイヤフォン。高校生の頃から、4年くらい使っていた物。毎日のように耳にさし込むと、カラフルな音楽の世界へと連れて行ってくれた。「心に寄り添う音楽」なんてよく言われるが、私の身体に密着して、物理的に寄り添ってくれたイヤフォンのことを忘れてはならない。

例えばYouTubeのチャンネル登録。ゲーム実況、○○大生YouTuber、歌ってみた系など、気付けば登録チャンネル数は増えている。3年近くほぼ毎日彼らの動画を見ていると、一度も直接会ったこともないのに、なぜか長い付き合いの友人かのように錯覚している。

例えば「いつまでも子どもでいたい」という考え。大人になると、自分の行動に自分で責任を持たなければならない。私は20歳を超えているわけで、いわゆる大人の仲間入りをしているはずだ。それなのにどうしてだろうか。無意識のうちに、将来に目を向けることを避けていたりする。

挙げたらきりがないが、私の周りには年月を経て、捨てるに捨てられなくなったモノがたくさんある。


だけど、部屋のキャパシティにも、心のキャパシティにも限界がある。

集まったモノたちが綺麗に整理され、自分でどこに何があるか把握できているうちはいいが、ホコリをかぶって、雑に山積みにされ始めたら、その時はお別れの時なのかもしれない。


一方で、いざモノを捨てようとすると、それと過ごした日々が思い出される。

「こいつがいたからここまで来れた」とか、

「こいつはいつでも見守ってくれていた」とか。

手放すというのは、なかなか気力を要する仕事だ。


だがこう考えたい。

たしかに、今ここに至るにはそれらが必要だったかもしれない。

しかしそれらが一緒にいることで、ここから前に進めなくなるのではないか。

と。


今まで共に歩いてきてくれたことへの感謝。

それがあれば、モノたちにも失礼がないだろう。

そう考えて、お別れを告げていきたい。


ありがとう、さようなら。




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