頭の中でごちゃごちゃに散らかって、ああだこうだと言っている様々な思いたちを、少しずつ整理しながら、noteに文章として書き起こしていく作業。 まだ始めたばかりだけど、これがなかなかに有用なもので。自分の気持ちと正面から向き合うことで、自分がいかに自分を知ることから逃げていたかを知ることができている。 要するに私は寂しいらしい。 できれば誰かがずっとそばにいてほしい。 それが無理ならずっと私のことを考えていてほしい。 自分で書いて、鼻で笑っている。 これは俗に言うメン
寂しい。 2022年になり2日目の今日、私は自室で一人パソコンに向かっている。 おそらく6畳くらいの部屋の、片側の壁に寄せて置かれたベッドの上で、壁との間にクッションを1つだけ挟み、あぐらをかきながら。 このnoteアカウントを開いて記事を書くのはいつ振りだろうか。たしかかなり久々な気がする。 あの頃、記憶が正しければ1年ちょっとくらい前の約1ヵ月の間、生活する中で生まれた色々な思いを記事にして、毎日のようにnoteに投稿していた。 当時も急な思い付きで書き始めたよ
明日こそは頑張るんだ 逃げたっていつかやらなきゃいけないのなら、早いうちに片付けてしまおう 明日はちょっと無理をしよう
できれば笑っていたいという話。 最近は大学のオンライン授業やゼミだけでなく、プライベートでも友人とテレビ電話をごく自然にするようになった。 もうさすがに慣れてきたけど、ちょっと前までは普通じゃなかった日常が流れている。 今はインターネットが発達しているから、自宅にいながらオンラインでたくさんの人と繋がりを持つことができている。もしも、この自粛生活にインターネットがなかったら、私は孤独に飲み込まれてどうかしていたと思う。いや、むしろインターネットがなかったら、こんなに孤独
忘れたはずのバスタオルの香り。 連続性を失った時計の針。 小さなチョコクロワッサンがいくつ集まろうとも、 カーテンは閉じられたまま。 3年前って何してたっけ。 青空の下、気持ちいい風が吹く牧場で、 ホルスタインの唾液に溺れる、瑞々しい草だったのかも。 雨が降ると心が躍るのは、そういうことだったのか。
最近空腹に弱くなった気がする。 意識し過ぎかもしれないが、お腹が空くとすぐに頭が痛くなってくる。 多少空腹状態の方が、頭の回転が良くなると言うが、今の私に空腹は毒だ。 そのくせ燃費が悪い私。 ほんとすぐにお腹が空く。 これはどうしたものだろう。 1時間おきに食事をとりたいくらい。
何を書こうか考えても何も思い付かないから、適当に指を動かしてみる。 これから書く文章は何の意図もなく、思い付いた言葉を適当に繋げているだけです。多分。 ペットボトルの水がキュルキュルと鳴るような音が聞こえる。扉が開いて、リンカーンが口を馬鹿みたいに開きながら近付いてくる。彼の前歯の下の方、黒くなっているのが何ヵ所か見える。瞬間、私は「臭そうだな」と思ったが、実のところそんなことはなく、隣に座った彼からは甘いフルーツのような香りがする。これはリンゴ?いやモモか?そんなことを
できることなら時間を戻したい だけどできないから 与えられた環境の中で どれだけのことができるか 人生ってそういうゲームなんだろうな
人生上手くいかないもんですね 頑張ろうと心に決めて、ようやく少しずつ進み始めたのに、思わぬところに障壁があって しかも冷静になってみると、その障壁に気付いていたのに目を背けていた自分がいて 今まで逃げてきたツケが回ってきたのか 大きな方向転換が求められそう とにかく不安
自分を成長させようという話。 何か目標を立てて、それに向かおうとする時、どうしても他者と自分を比べてしまうことがある。 「あの人は私より優れているから、簡単に目標を達成できるんだろうな」 とか 「こんな私が、この目標を追っていいんだろうか」 とか。 他者と比べてその人に憧れを抱き、自分も頑張ろうと思うのなら良いのだが、比較してしまったことが原因で目標を諦めてしまうのはもったいないと思う。 世界に何十億人も人間は存在していて、仮に自分がその中で上位5%に入るほどの
主体的に生きていこうという話。 「明日、あなたにとある事が起こります。 それは楽しいことかもしれないし、悲しいことかもしれません。 ただし、あなたはそのどちらかを自由に選ぶことができます。」 もしもこんなことを言われたら、誰もが楽しい方を選ぶだろう。 悲しいことはできるだけ避けていきたいものだ。 だがはっきり言うと、実際こんなことを言われることなどない。 神様とやらが夢の中に現れて、なぜか自分にだけ特別に言葉を下さるのなら話は別だが、そんなことは起こり得ない。
前に進みたいという話。 長く一緒にいると、別れが辛くなる。 3月、別れの季節に思わず涙が込み上げてくる経験を、多くの人はしたことがあるだろう。 これは、人との関係に限ったことではなく、所有する物や経験、考え方など様々なことに言えることだと思う。 私の場合どんなモノとの別れの時も、人との別れと同じように、心がぎゅっと締め付けられる。 例えば壊れてしまったイヤフォン。高校生の頃から、4年くらい使っていた物。毎日のように耳にさし込むと、カラフルな音楽の世界へと連れて行って
今かなり疲れてるという話。 もう金曜日らしいですよ。 noteを書こうとする頭が回っていない。 おそらく、今週の私はかなり頑張ったということなのだろう。 こんな感じで自分のことを褒めてあげないとね。 というか、前々から思ってたけど、なんで一週間って、 平日、平日、平日、平日、平日、休日、休日 っていう並びになってるんだろうか。 私が並べ替えていいのなら、 平日、平日、休日、平日、平日、平日、休日 にする。 はい、すごく読みづらいですね。 つまり週休2日
時間が欲しいという話。 初めてnoteに投稿してから1週間とちょっとが経った。 ここまでの感想は、文章を書くの楽しいなということ。 自分と向き合うきっかけになって、自分という存在を再構築しているような感覚だ。 どの記事にも愛着があって、恥ずかしながら何度も読み返していたりする。 自分が書きたいと思った内容を、書きたいように書いているので、毎度読んでくれている方がいるのが不思議なくらい。 そしてさらにスキしてくれる方々、ほんとに嬉しいです。 好きなことをしているの
1. あの人は僕を覚えているのかなそんなことよりサイダー飲もうか 2. あの風はあなたがそこにいる証そんな気がしただけだったんだ 3. 現実が理想を超えたその先に待っているのはきっと現実 4. 「少し走ればもう多分夏だよ」と君は笑って眠りについた
一歩目はいつだって怖いものだ。 地面から離した足が、再び着地できる保証なんてないし。 一歩進んだらもう後には引けないような感じがする。 ただ前へ前へと、進まなければいけないような感じがする。 そう、一歩目はいつだって怖いものだ。 でもだからといって、いつまでもここにいるわけにはいかない。 ここに留まっていても、得られるものは何もない。 安全地帯ではあるかもしれないけど、 ここは、何も変わらない代わりに、何も変えられない場所。 一歩目はいつだって怖いものだ。