どうせなら両方活かそう
自分が自意識過剰だなと思えるようになったのはいつの頃だっただろうか。
それまではもうあまりにも被害妄想のくせが激しかった。
小学校から地元から離れた場所に通って、見ず知らずの子と過ごすことにかなり神経質になっていたように思う。低学年の時はまだ純粋に仲良くできるような明るさが残っていたけれど、人に蔑まれることがなかった私は男子からの小さな一言に傷ついて、そのたびに内気になってネガティブになっていった。その状態が拍車をかけて負のループにはまっていた。
人とあまり喋らなくなると一人の時間が増えて、クラスの子の人間観察がいつの間にか趣味になっていた。休み時間に何を話しているのか、授業中に何をしているのか、観察する度に人がよく見えてくる気がした。
今思えばHSPだから余計に見えたり聞こえていたんだと思うんだけれど、何か起こりそうな人のところにすぐに意識が向いた。仲良くしていると思ったら別の子とその子の悪口を言っているみたいなよくない光景も見る一方で、やんちゃをしてばかりいて悪い子なのかと思いきや意外と優しい一面を見れたり、ノリがいい子が実は内向的で真面目な部分がある事を垣間見れた時もある。
ただ色々とそういう面を知る度に人の印象が変わるとともに、自分に言われた言葉だけではなくて、人に言われて吐かれた悪口にも傷つくようになった。すごく地獄耳なのもあって、ドロドロした気配をまとった言葉は基本耳に入ってきてしまった。
だから、仲のいい子の悪口だけでなく、本当は優しい子なのに誤解されている子の悪口を聞くのもだいぶ辛かった事を覚えている。
そうしてだんだん、嫌なことが起こりそうな時は気配で察し始めるようになった。
「あの子はこんな性格だから、これは言い訳やろうな」「この行動からして私の事嫌いなんやろうな」とか、普段のその人の行動と言動を照らし合わせるようになり始めた。
これも後々HSPの特性の一つだったなと思った。
そんな風に人の目を気にしながら俯く毎日を送っていたけれど、ありがたい事に素敵な人たちと出会って話すようになって心が上向きになった。その時に、「あ、思ってる以上に私の事って誰も気にしてないんだな」と思えるようになって、気が楽になる瞬間があったのだ。
まあたまに切り替わるネガティブとその思考が結びついてしまうと、「こんなに気持ちを伝えているのに何にも伝わってないんだなあ」という感じで、かえってそれが自分の首を絞める事にもなってしまうのだが。
ただやっぱり、自意識過剰と思う事で前より人目をあまり気にせずに動けるようになったのは大きい。自分とうまく折り合いをつけながら生きるのもまだまだ難しいけれどせっかくだったらもっと上手くこのHSPとHSSの両面を使って生きていたいと思う。
もっと効果的に自分の心を上手く持っていけるような訓練がいると思った今日であった。
読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。