iCHi / 保育士・クリエイター

「彩りで、日常彩る」日々のエッセイを書いています/ 音楽、文学、ダンスなどなど...様…

iCHi / 保育士・クリエイター

「彩りで、日常彩る」日々のエッセイを書いています/ 音楽、文学、ダンスなどなど...様々な表現が好きなクリエイター/イラストレーター/ダンサー/保育士/HSS型HSP/Xジェンダー https://lit.link/ichio8624

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【 楽しんで描く 】

絵を描けるようになってみたいけど苦手意識を感じていたり、習うほどの勇気が出ないという方はいませんか? 日常の中で誰かに説明をする時、特に保育士や幼稚園教諭といった幼児教育を目指している方、現役の先生、保育士試験で「造形」の科目を受けようと考えている方、お子さまがいるお母さんやお父さんなんかは、絵が描けたら便利な場面も多いかと思います。 今回は今年度に入って、私が新たに始めたことについて書こうと思います。 これまで保育士として働き、表現者としても活動する中で、自分に何がで

    • 根は、ふざけたい

      子どもの頃から熱しやすく冷めやすい私だが、近年になってのめり込むほど好きになっている事がある。 芸人さんのトークを聞くことだ。 PodcastやYouTubeなど媒体は問わない。ご飯を食べている時、絵を描いている時、散歩をしている時・・・。とにかく芸人さんの話を暇さえあれば聞いている自分がいる。 元々、生まれも育ちも大阪だったこともあって、普段から痛快なトークを聞くのは大好きだった。 ただ歳を重ねるにつれ、子どもの頃にしていたようなたわいのない話をすることが減っていき、当た

      • きっと誰かが見てくれている

        「いつだって見ている人は見てくれているよ」という言葉を私の尊敬する人はどの人も言っていた。 小学校時代、陰で誰かに褒められるわけでもなく日々を過ごしていた私にとって、その言葉をはじめて聞いた時は衝撃で、以来ずっとお守りのように胸に置いていた言葉だった。 自分のことを好きになれなかった頃の私は、ただただ真面目に生きることでしか報われないと感じていたのだと思う。 だがそんなふうに生きていても陰口や嫌味を言われる日は訪れた。それ以降は生きていくほどに私の本当にやりたい事がどんど

        • 人の気持ちがわかる時

          今日は久しぶりに保育園での出来事を書こうと思う。 もう早いもので3月も残り数日となった。 年度の節目。どんな業界においてもこの時期は出会いと別れの季節だという方が多いだろう。 私も紛れもなくその一人である。 今年で保育園で働きはじめて6年目を終えようとしている。だが、担任した子どもを送り出す側になるというのは今年がはじめてだった。 卒園する子どもたちを担任したのは2歳クラスの頃。はじめての異動で不安に満ちていた上、新年度早々、緊急事態宣言が発令され在宅勤務を余儀なくされた

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          受け容れる余裕

          先月、往生した母方のおばあちゃんの告別式があった次の日、母と一緒に喫茶店へモーニングを食べにいった。 なんだかんだで二人きりでご飯を食べにいくなんて、学生ぶりのような気がする。 こんがり焼けたトーストと香ばしいコーヒーの香りの中で、一時間弱のおしゃべりを楽しんだ。 私と母との関係については先週書いたエッセイを読んでいただければと思うのだが、母親とは年々仲良くなってきている。 30を手前にして精神的にも成熟してきたこともあるし、どんな人に対しても近すぎず遠からずの関係が心

          すれ違いを経て

          前回はおばあちゃんとお別れをしに大阪へと戻った時の事を書いた。 その時には本筋から外れるので書かなかったのだが、その中の出来事で書き切れなかった事がまだある。 告別式の次の日の朝、大阪へ戻る前に母親とモーニングを食べに出かけた。 今日はその時の事を書こうと思ったのだが、それより前に母との関係を書いたほうがいいと思ったので、そうすることにする。 皆さんは母との仲は良いだろうか。 子どもの時はよく話していても大人になるほど話す事が気恥ずかしくなったり、面倒になるという人もきっ

          慎ましやかで、ロックで

          先月、大阪にいた母方のおばあちゃんが亡くなった。 12月頭から寝たきりになって点滴で水分を入れてもらいながら過ごしていていつ何が起きてもおかしくはない状況だったので、当時は内心ヒヤヒヤしながら生活していたのだが、二ヶ月間しっかり生き切って皆に見送られながら空へと旅立っていった。 大往生だったし、私も生きているうちにきちんと会いに行けたので後悔なく見送ることもできた。 目まぐるしいここ数ヶ月だったが、この一連を通して人間の底力みたいなものを何度か感じた瞬間があった。 今日は

          慎ましやかで、ロックで

          今日から、再び

          あけましておめでとうございます。今更すぎるが、冬眠していたわけではない。28歳、爆睡はするようになったけれど。 どうやらnoteを書くのは半年ぶりみたいだ。気がつけば年が明けて3月を迎えていた。 年月が過ぎていくのはどうしてこんなに早いんだろうか。毎日を楽しいと思って生きているからだろうか。一週間ぐらいの感覚で過ごしていたらもう一ヶ月経っていたという事が年を重ねるほど増えている気がする。 保育園で仕事をして、ダンスで舞台に立って、イラストを描いて、音楽を作って・・・。色ん

          未来は楽しみですか

          自分の願いを叶えたいと思うことは誰しもあることだと思う。 私も自分のやりたいことを叶えるために、日々何をすればいいかを考えながら生きてきた。でも最近になって「誰かの願いを叶えたい」という想いも強くなってきたように思う。 私の場合、その相手は子どもたちである。 保育園に勤めて早6年。現在の職場に至っては4年目になる。 毎日、家族と同じくらい一緒に時間を過ごしている子ども達だが、いずれは別れがやってくる。 そして毎日、彼ら彼女らに内在しているものを知っていくたびに、どうかこの

          「君たちはどう生きるか」

          ※この投稿は核心に触れない程度の映画のネタバレを若干含んでいます。読む際はお気をつけください。 ついこの前、やっと観たかった映画を見にいくことができた。 スタジオジブリの最新作であり宮崎監督が約7年をかけて制作した集大成とも言える作品。衝撃的だったのはそのタイトル。 「君たちはどう生きるか」 青サギの顔だけが映ったそのポスターと共に上映されることが公開数日前になってしれっと発表され、突如として現れたその映画に各地の映画館が当日から賑わっていた。 SNSやラジオで聞いている

          「君たちはどう生きるか」

          変化を急がなくてもいい

          街中へ出かけると、職業柄ついつい子どもを見てしまう。そしてご両親がどんな声をかけているのかなんかも見ていたりする。 大体が微笑ましい場面なのだが、時たま子どものイヤイヤが止まらなくってどうしようもない場面なんかにも出くわす。 日頃から疲れが溜まっていて怒りをぶつける方もいれば、気持ちを丁寧に受け止めようとする方もいたり、人間だからその姿勢も様々だ。 私は保育園という限られた場所でしか子どもと関わることがないが、家族ともなれば朝も夜も時間を共にするんだと思うと、仕事をしなが

          変化を急がなくてもいい

          持てる者、持たざる者

          保育園で子どもがおふざけをするシーンに出くわすことが何度もある。危なっかしい子は喧嘩に発展しかねないので目を光らせているが、中にはまだ周りが見えてなくてふざけている子もいるので、その光景が微笑ましいあまり笑ってしまう事もしばしば。 もちろん話を聞くべき時にしているおふざけは注意するのだが、側から見ていて愛され上手な人って本当にそういう力が元から備わっているのかなと思うくらい、何かあどけなさが溢れ出ていてつい注意するのを忘れそうになる。 生まれたばかりは沢山愛してもらえるけ

          何を選ぼうかな

          この前、何かしらの書類を書いた時のこと。何も考えず自分の年齢を「26歳」と書き込んでしまった。 「いや、間違えた。28歳やん」と独り言を言いながらもう一枚書き直した。 年々自分で自分にツッコむことが増えている気がする。 単純に老いかと思った。 でもそれと同時に、「あ、私って自分の年齢、あんまり認識しながら生きてないんかも」ということに気がついた。 アラサー、アラフォーといった言葉、「もう〇〇歳やし」といった年齢という基準で何か一区切りしようとする風潮、ただの数字なのになん

          どうしても叶わないこと

          この前、保育園で少し早い夏祭りがあった。 昨年や一昨年はコロナ禍だった事もあってお祭りは秋へと持ち越しになり、例年とは違う形での開催だったので、ようやくこれまでの状態に少しずつ戻りつつある事を感じている。 年長だけが作っていたお神輿を今年は3歳児から5歳児まででチームに分かれて作っていたのだが、そのお神輿がとても素敵で。 私自身はとりわけ何をしたわけでもないのだが、過程を見ていただけに子ども達の頑張って作っていた姿が頭に浮かんで、とても微笑ましい気分になった。 屋台も例年

          どうしても叶わないこと

          最近の変化と学び

          今日は大人になってから感じた私の変化について書こうと思う。 ズバリ、「引きがすごい」ということだ。 語彙力のなさが際立つが、あえてこのような書き方をしている。 本当にあれよあれよとこの数年間で色んなものを引き寄せてくる自分の纏う「見えない何か」に、自分で怖いと思っているくらいなのでこんな過剰な表現の仕方をしている。 私は学生時代が終わって社会人2年目が終わるまでは、本当に気分の波が激しく、しょっちゅう病んだり昂ったりを繰り返していた。 HSS型HSPだという事がまだわかっ

          誰かになろうとするよりも

          自分という存在がどうしようもなくて、それに相反するように周りが煌めいて見える時は誰にでもあると思う。 あの人になれたらな、と思う時だって。 私もかつてはその一人だった。 学生時代は特に、誰かに噂されいじられては自分自身にコンプレックスを抱いて、「なんてしょうもない人間なんだろう」と落ち込むことばかり。 なよなよしている雰囲気、どこを見ているかわからない目や骨張った体、小学校2年生からある白髪、消え入るような声のトーン、体育で疫病神扱いされる運動神経のなさ…。 いくらでも欠点

          誰かになろうとするよりも