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石橋は壊しちゃう前に渡れ

私はとにかく石橋を叩かないと何事も進めないタイプである。
が、周りが思っている以上にしつこいぐらい確かめる。

最初から終わりまで隅々までヒビが入っていないか、欠損している場所がないか見るのはもちろん、それを自分が大丈夫だと思うまで何回も繰り返してしまう。

例えば、毎朝絶対やるのは家の鍵を閉めたかどうか。
いつも考え事をしながら家を出てしまうので、20歩ぐらい歩いてから「あら、私鍵閉めたかしら」と不安に駆られて引き返す。
無意識できちんと閉めているので今まで引き返して鍵が閉まっていなかったことなんて一度もないのだが、大阪に住んでいた頃に一度母が家の鍵を閉めわすれていたことに帰ってきてから気づいた事があって(幸い泥棒は入っていなかったけれど)、それ以来誰かに家に入られないかという事に関して無意識に恐怖を感じているのだろうなと思う。

あとは財布。
きちんと所定の場所にいつも入れているものがあるかどうか。ポケットに入れた後も何度も財布を出して確認してしまう。
勝手にカードや鍵に足が生えて歩いていくことなんてもちろんないのだけれど、これに関しては時折うっかり何の気なしに財布から出して置いていたものをそのままにしてどこかへ行き、必死に探した経験があったからだ。

他にもコンロの火をつけたままコンビニへ出かけて焦った時を境に、火の元は使ったら必ず消したかどうか何度も見に行くし、初めての場所に行く時はGoogleマップだけではなく、ネットでも検索したりSNSでその場所を見たり、きちんと辿り着けるように情報をできるだけ仕入れておく。

自分の人生においてもそうで、今だからこそイラストやダンスや音楽や言葉を使いながら色んなことができるようになったけれど、自信を持って自ら作ったものを世に出そうと思えるようになるまで5、6年かかっている。
入学した時は小さくて可愛らしかった小学生が、すっかり体格も変わって凛々しくなって卒業していくまでの年月の長さを思うとかなり長い。
ただ、自分の中でそれぐらいの時間を要して色んなチェック項目を通ってやっとゴーサインを出すような人間なので、何事にもすこぶる慎重である。ただ、ここに関しては腹が決まれば大胆に挑戦していくメンタルに変わっていくけれど。

ここまで慎重になってしまうのは、自分の時間を無駄にしたくないからなのだろうなと思う。
そう言うと、「何度も確認している時間かて無駄な時間やないか」とツッコまれるだろうし確かにその通りなのだが、自分の性格上、結果論で言うならこっちを取る方が心の余裕としてもよっぽどいいのだ。

自分にとって大きな何かを失ってしまって取り返しのつかないことになってしまえば焦って落ち込むだろうし、それらの問題の解決に多くの時間を割かなければならならなかったりするくらいなら、それが未然に防げるうちに時間を使った方がましである。

どこかに集まる用事があるときは絶対に早めに着くようにしているし、何なら周囲ですぐ駆け込めそうなトイレやモバイルバッテリーがある建物の位置を事前に把握できる時間も作ったりする。これは自分のお腹の調子が急に悪くなる傾向があったり、携帯のバッテリーの減りが速いために、最悪の事態を見越してやっていることだ。知っておいて損はないし結果的に誰かの助けになる事もある。

保育園での仕事だってちょっとでも不安な要素があるのなら、絶対に聞けるうちに先生たちに確認しておく。「後でいいか」というメンタルには相当な自信がある事でなければなることはない。後に心臓が縮む思いをするくらいなら、穏便にその日が終わってほしい。
不安や焦りがなければ、自分のしたいことに心置きなく注力できるから。

心配性すぎる、そこまでしなくても、と言われることもあるけれど、どうしてもやらずにいられないのは過去に肝を冷やす経験を何度もしてきたからこそなのだと思う。
自分が大変な思いをするだけならばいいけれど、周りに多大な迷惑をかけてしまった時のことを想像するだけで怖い。
一度やったことは二度やるな、というのが自分の生き方のポリシーであることも大きいのだろう。

私はこれからも目の前に現れた石橋はずっと叩きながら渡っているのだと思う。
とは言え、過度な心配をしては本末転倒になってしまう。石橋を渡るのが不安すぎるからって叩きすぎて壊さないように注意したい。

私にとっては「石橋は壊しちゃう前に渡れ」だ。

読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。