私は点P
私は論理で教えられるよりも、イメージで掴めた方が理解が圧倒的に早いタイプの人間なのだなとつくづく思っている。
私は昔から理数系の科目が本当に苦手だ。
辛うじて小学校の時の算数は好きだった。理由は明確。文章題が多かったから。想像することが好きな私は算数の教科書に書かれた問題を読みながらいつも余計なことを考える。
花子さんは歩いて、太郎くんは自転車で一緒の地点からスタートして池の周りを回るという設定も「どういう状況?花子さん罰ゲームやん。あ、でも歩くの好きなんかもな」とか思っていたし、手持ちのお金でみかんとりんごをいくつずつ買えるか、みたいな問題も「みかん食べたいな。あれは手で皮剥けるから最高。りんごは包丁ないとあかんし」などと全然違うことなどを考えながら解いていた。
でも苦手ながらもきちんと小学校の時は結果が残せていて、上中下で分けるなら成績は上のうちには入っていた。
ただここからだ。中学校に上がって「数学」とかいう厳しい名前に変わってからは一気に私の好きな要素が削がれたのでまるっきり面白く無くなってしまった。
初めの方はついていけてたけど、途中からもうこの科目を得意になろうとすることを放棄していたように思う。何がって何度やっても答えに辿り着かないのだ。
なんでこんなに英語使うん!厨二病こじらせとんか!何で点Pはずっと動いてんねん!じっとせえ!あ、でもそれは私と似てるかも。私って点Pなんか。
家で数学の宿題をしているときはいつだって、そわそわしていた。面白くなさすぎて10問で1つの大きな塊の設問を解き終わるごとに椅子から離れては、覚えたてのPerfumeの振りを踊って、また椅子に戻るの繰り返しだった。忙しない。ほら、やっぱり私って点Pやないの。
点PのPはPerfumeのP。
理科系の科目だってそう。生物とか自然界の仕組みや言葉ならいくらでも覚えられるし、宇宙に浮かぶ惑星たちの特徴を映像や教科書で見てその不思議な仕組みには興味が湧いていたのに、物理や化学になって得体の知れないmolだとかKだとか小難しい単位や論理が出現してきた時点で「閉店しました」の札を私の頭は早々と出してしまう。
そして大人になっていくほど、私はとことん感覚の人なんだと自覚する日々である。
もう数学や化学といった世界は遥か彼方に行ってしまったけれど、生きているとどうしても自分の苦手に向き合わないといけない瞬間も出てくる。
ダンスのレッスンの時なんかは特に顕著なのだけれど、基礎を教えてもらう時にどこの筋肉がどうとか専門的なことも教えてもらう。
ただ、初めの頃は変にその筋肉だけを意識した結果全然違う筋肉が動いていたり、変なところと連動して別の筋肉のトレーニングになってしまうみたいな時がよくあった。
もちろん感覚を掴もうと努力はするのだがすぐには飲み込めないので、家に持ち帰って分解して丁寧に思い出す。結局自分の中での感覚がどうかというところを頼りにした方が変に力が入らずにできていることが多い。
よく足を組むから骨盤が歪んでるんや、とか、自分は右足にすごい乗って歩いてんねんな、とか、背中って思ってるより下にあったんやな、とか。
自分の中で心身が合致してきたあたりから急に色んなことへの飲み込みが早くなったように思う。
ストレッチや基礎のトレーニングをする時は、「お尻を締める感じ」とか、「バネが入っているみたいな感覚」みたいに例えて教えてもらった方が圧倒的にやりやすいし、振り付けを覚える時も「ざざっ」とか「だっだん」とかカウントじゃなくて音で教えてもらった方が覚えやすい。
これだ!と言う感覚を得られた時に後から論理も一緒になって入ってくる感じだ。
人と話す時もそう。
どれだけ見た目がフランクに接することができそうな相手でも、目の前の人のことを考えずに自分だけがわかる横文字を流用してベラベラ話されると途端に興味が無くなる。
性格がおとなしくても騒がしくても、お互いの言葉の温度感が丁度いいことに気づいた瞬間その人と仲良くなれる。
騒がしい、で思い出したのだけれど、私が学生の頃に過去一楽しみだった授業がある。高校の時の政経の先生が、まあ面白かったのだ。
私は昔から政治や経済の話は前述した理由で難しく感じてしまってよく倦厭してしまうのだけれど、そういった距離を置きがちなトピックをめちゃくちゃ興味をそそるような語り口調やたとえ話でしてくれる。
でもそんな授業のわかりやすさ以上に、その女の先生は圧倒的唯一無二だった。
「内閣のmember」とか「これを提言したpeopleは誰やろか」と口を開けば飛び出るルー語。和田アキ子の古い日記帳並の声量で「あっ!!!」と叫んでビビらせて寝てる人を起こすという新手の技。「遅刻しそうやったから焦って車飛ばしててんけど、オービスにしっかりピースしてきました」「先生の家は〇〇駅のいかがわしいホテル街にあります」と何の躊躇もなく放つエピソードトーク。
今考えてもやっぱり飛びすぎてたけど、授業はわかりやすかったのだ。あの先生じゃなかったら政経のテストの点、相当悪かったと思う。高校三年生にして感覚で教えてくれる授業の極地を見た気がした。
その分、人によって好き嫌いがはっきり分かれる先生だったけど、私は好きだったしインパクトとしてあれを超える先生を私は未だに見たことがない。
そんな先生が授業のチャイムが鳴るたびに言っていた言葉を書いて、今日は締めることにする。
「はーい、皆さーん、ぴんぽろぱんぽろ はらはらひりひり ふるふるへれへれ ふんにゅんかんにゅん そんにゅんもんにゅん いたしましょー」
どうやったらチャイムがそうやって聞こえるのか、誰もわからない。
どういう意味?とかわざわざ誰も聞かない。野暮だから。
あれぐらい感覚で生きてるのを確立されたら、もう誰も何も言えない。無敵だ。
あそこまでいけたら、私は最強、と言えるだろうか。
いや、やっぱりいつまで経っても忙しないと思うから、私は点Pで良いです。
読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。