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根は、ふざけたい

子どもの頃から熱しやすく冷めやすい私だが、近年になってのめり込むほど好きになっている事がある。
芸人さんのトークを聞くことだ。
PodcastやYouTubeなど媒体は問わない。ご飯を食べている時、絵を描いている時、散歩をしている時・・・。とにかく芸人さんの話を暇さえあれば聞いている自分がいる。

元々、生まれも育ちも大阪だったこともあって、普段から痛快なトークを聞くのは大好きだった。
ただ歳を重ねるにつれ、子どもの頃にしていたようなたわいのない話をすることが減っていき、当たり障りのない会話をすることにしんどさを覚え始めた時期があった。

歳をとるほど鋭敏になっていく感覚のせいで、相手が何となく自分の事が苦手なのか勘づいてしまう。それに気づいてしまったらそれ以降は、深入った話なんてできるはずがない。
はじめましての時は問題ない。趣味趣向を知る分には楽しいけれど、だんだん話すことがなくなっていくと気まずくなってしまうのが嫌だった。

大学生になると同じ授業を受ける友人も減るし、当時所属していた吹奏楽団も百人を超える人数が在籍していたので、人間関係にはことさら悩んでいたように思う。大勢でいるよりも対面で話す事の方が好きな自分にとって、自分のことより人のことで盛り上がる空間は居づらいこと極まりなかったように思う。
人の失敗ややらかしを笑ったり、色恋沙汰の話をして大勢で盛り上がるという事にだんだんと苦痛を覚えていくようになった。

だから社会人になって肩の荷が一気に降りてようやく気が楽になっていった。職場の人は職場だけ。今まで繋がってきた人のことも私生活でそれほど気にしなくてもいい。

加えて私にとって大きかったのがコロナ禍に入った時だった。
オンラインでの飲み会が流行し、コロナ禍を理由にご飯の誘いをやんわりと断る流れも出来た頃、人間関係を一度さっぱりしようと決めた時期がある。

もうほとんど会っていない知人のプライベートな動画や写真がInstagramで流れてきた時、自分と比較してエネルギーを謎に消費してしまっている自分にモヤモヤしてしまっていた。
「私、この人と今後関わる必要があるかな」「老後でも一緒に話していたい人って誰だろう」と一旦我に返ってSNSでの繋がりをある程度精査したおかげで、見ても見なくてもどちらでもいい情報にエネルギーを浪費することも少なくなった。

そんなふうに身の回りの物事においての断捨離を日々行っていたら、いつの間にか生活の中に一番「笑い」を求めている自分がいることに気がついた。
保育園にいるときは、子ども達の面白い行動や言動、先生達との談笑で心がほぐれている。
ただ、家にいる時間や休日であまりにも一人の時間が長くなりすぎると、これからのことばかり考えてしまって、気難しいモードに入っていることがある。

小説の世界の中に入って楽しんでいたのに、気づいたら哲学書にすり替わって物事の意味についてずっと考えているような、例えるならばそんな状態。
もちろん、その時間も自分にとって大切なのだが、難点なのがそこから戻ってくるのに時間がかかってしまうということだった。

そんな中でよく聞くようになったのが、芸人さんのトークだったというわけだ。
Aマッソやラランド、怪奇Yes!どんぐりRPGなど元から好きだった芸人さん達はいるのだが、楽しくて他の動画やラジオのエピソードを遡っていると数珠繋ぎで好きな芸人さんが増えていった。

絵を描いている時や掃除洗濯などの家事をする時は音楽を聴いてしまうと体がノり始めてしまうので、基本的にPodcastやYouTube主体で聴きながら作業をしていることが多い。
なので最近は専ら、ネタというよりも平場のトークを先行して聞く機の方が増えた。なんならネタよりもそちらの会話の方に魅力を感じているのかもしれないとさえ思うようになった。

と言うのも、私ももう30代を目前にしているので、同年代と話す機会があってもどうしても恋愛や結婚、家庭などある程度話すテーマが絞られて偏っていってしまうことが増えてきた。
おまけに、うっすらマウントのような圧を感じる人もいて、その場に居合わせてしまうとしんどい。それに私自身その内容にあまり興味をそそられたこともない。

そうなった時、私が普段友達と話したいのは芸人さん達のトークのようななんでもない日常の話なのだと感じたのだ。
振り返ってみると社会に出てから7年経った今も時間を共にすることの多い数少ない私の友達は、話が面白い子ばかりだということにも気がついた。

皆共通しているのは、着飾らないというところだ。変なところも隠そうとしない。自分で言うのもなんだが、私も大概「変な人」と言われてきたので今更隠そうとも思わず生きている。
その変なところありきでお互いを認めているから、その友人たちとも何年経っても関係がずっと続いているのだと思う。

ほんとはきっと誰にだって変なところはあるはずだ。だけどその部分をあまりに覆い隠そうとしている人とは話す気を失くしてしまう。私はその面白みを知りたいのに。

好きな芸人さん達のトークはいつだって心地いい。たとえ誰かを腐していても、そこにはきちんとスキルがあるから嫌な気分にはならない。
それでいて、思いっきりふざけているから私まで楽しくなってしまう。

友達や保育園の子どもたちと冗談を言い合ったりボケたりツッコんだりするあの時間も同じ心地よさがある。
だから芸人さん達のトークを聞いていると、「そうだ、私って根っからふざけたい人間だったんだ!!」と子どもの頃に立ち帰る瞬間がある。

学生時代は真面目な皮をかぶってしまったがために、心から笑えないようになってしまっていたが、クラスのおちゃらけた男子が教壇でやっているしょうもないギャグが面白くて本当はそれがめちゃくちゃツボに入っていた。
あんな子と普段話していたらまた違った価値観が自分の中に生まれていたのかも、と思うと勿体無い事をしたな・・・と悔やむこともあるけれど、まあ過ぎたことは過ぎたこと。

私も目の前のやるべきことには焦点を当てつつ、もっと力を抜くところは抜いて気を楽にしながらこれからを生きてみたい。

今年は芸人さんの単独ライブによく足を運ぶようになった。やっぱり生で観る時間は楽しいし、帰る時には会場に来た時よりも体が元気になっている。画面越しに見たりイヤホン越しに聞いていた芸人さんたちのネタやトークは生で観ると何倍も笑える。

誰でも出来そうで出来ないことだからこそ、私はこれからもずっと芸人さんに憧れ続けているのだろうなと思う。
ふざけていられるくらいの余裕はもっていよう。

読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。