正義とか言い出したらキリないけど
正義のヒーローとかヒロインが登場するアニメは子どもの頃からよくやっていた。正義って言葉を何気なく聞いてきたけれど、今になって一体なんなんだったんだろうと思う。
小さい頃にテレビで見ていたあのヒーロ・ヒロイン達の姿を借りていうのであれば、悪者をやっつけ、困っている人を助ける存在というそんなざっくりとした言葉でしか説明できない。幼少期はだいたい必ず通るアンパンマンに始まり、プリキュア、仮面ライダーとか日曜8時台にやっているあの王道路線のどちらかを見ながら育っていく。ちなみに私は妹とプリキュアやおジャ魔女どれみを見ていた人間だ。
まあそんなことはさておき、正義と一言にいえど、現実においてはそういう風に定義してもなかなか平和的な解決にはいかない。
少し前、あおり運転の事件で逮捕された男性がいた。その時、共に車に同乗していた女性がいたのだが、公開された画像の人物と「似ている」というだけでSNS上で赤の他人の個人情報が晒された事があった。
なんという事だろう。このご時世だから恐ろしい拡散力で広まったに違いない。もし人伝いに聞いたとて爆発的に広がることなんてまずないだろう。普通に日常を生きていただけで冤罪を被せられるなんてたまったもんじゃないと思う。
それにコロナ禍に自粛警察なるものも多く出てきた。自粛を求められる中、県外のナンバープレートを見たら石を投げたり、営業している店を見つければ罵詈雑言を書いたビラや落書きをしたり、当人がどんな気持ちになるかも考えずに、ただ悪いことをしていると決めつけて自らの正義感から押さえつけるような、そんな心が痛むような光景も見たし、ネット上に多く拡散されていた。
SNSとかそういうものにめり込んでいる間の情って、普段のその人が生身で生きている時より適当になると思う。
ボタンを一つ押せば、コメントをすれば、自分の周りにあっという間に発信できるのに、匿名というだけで発言自体に重みがなくなるのだから当然だ。
もし広めた本人に悪意があったとて、なかったとて、そういう情報がもし偽物でも拡散に協力することで自分は正義に加担したと思えてしまうのもあると思う。強くなった気に簡単になれてしまう。ただそれは、その情報が正しかった時だけだ。
許せない気持ちだけが先行して、軽はずみになるものなど正義でもなんでもない。
正しい情報だったらいいけれど、めんどくさがりな人は調べるという段階をすっ飛ばす。もしそれが偽の情報だったと後でわかってもリツイートを取り消したりしてもいいわけだし、そもそも莫大な拡散量だったら、拡散元でない限り自分なんか訴えられるはずないと思うだろう。きっとその頃にでもなれば拡散したことさえ忘れている気がする。
正義って一体なんだろう。ただ単に悪を懲らしめるもの、ではないと思う。かつては魔女狩りというものもあったくらいだし、今だって色んな差別問題が蔓延っている。
表面上は勝ったとしても、悪とされていた側にどんな事情があったのかまでわかってやったのだろうか。どちらにせよ懲らしめる側は相手にとって不利なものしか持ってこないのだから、自分で調べたりしない限りは相手の気持ちなんてわからないだろう。
桃太郎だって鬼目線で読んだとき、もし病気の子供がいて仕方なしに人間からお宝を奪わざるを得なかったとか、人間からかつて酷い仕打ちを受けたとか、別の情報が挟まっていたら印象だって大きく変わっていたかもしれない。
別に悪者の肩を持つわけではないんだけれど、ただ憂さ晴らしの正義のヒーローごっこなんかは面白くも何ともないという事を言いたい。
正義はいざという時にこそ使い方が試されるものだ。
読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。