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艶のあるユポ紙、書きやすい鉛筆

 基本的にどこへ行っても大人になれば選挙というものに参加することになる。私も毎回選挙があるたびに行くようにしている。

 選挙といえばすごく前のことなのだが、私が初めて投票というものに行ったのは八王子に住んでいた頃の市議会議員の選挙か何かだった気がする。4月のことだった。
 16日に20歳という節目を迎えたばかりの時だった。ある日の朝にポストを見ると選挙のお知らせとともに封筒が入っていた。その頃はまだ18歳から選挙権がなかったので、周りの同級生たちはまだ誕生日を迎えておらず投票できない。

 先に法的に成人を迎えた自分の特権であることに、なんだか特別な気分を味わいながらも、当時の私は遅い反抗期を迎えていた上にすごく政治に無知だった。
 投票には行ったけれど、あろうことか「この紙書きやすー」と投票所のユポ紙のツルツルさと鉛筆の書きやすさに感動して、友達が言っていた候補者の名を書いたくらいなのだからどうぞ、阿保や、と笑ってあげてください。
 まだ市議会の選挙で良かったほんとに。いや、よくないけど。

 けれど年齢を重ねるにつれて、この「投票」という行為がいかに大きなことで、大人になるという事がどれほど怖いのかを私にくっきり感じさせるのだった。

 煙草だって、お酒だって20歳にならなくても実際隠れて飲んでいる人はいる。でも黙認されている。言われたり検査されなければバレようもないし、まあ自分にとどめておく分には誰にも迷惑がかからないから。害を受けたとしても自分とその周りだけの話。

 けれど、投票という行為には私たちの未来がかかっている。コロナの一件でも感じた部分は沢山あると思うが、住みやすい国にするためにはまず自分の意志が大事なのだ。「私ごときで」と思って棄権するなら、もうどんな未来になってもその人に文句を言う権利はないと思う。

 一時のめんどくさい、やったところで、という気持ちはあるかもしれないが、投票自体はたかが数分で終わる事だ。
 あなたの信頼する人が周りにいるならば、その人と話し合ってみるのもいい。私は政治に対してお堅いイメージが強すぎて、当初全く近づく気になれなかったのだが、ものすごく身近な人がわかりやすく教えてくれたおかげでだいぶ印象は変わった。

 私は見ず知らずの人に無理強いするのはあまり好きではないけれど、ぜひ考えてみてほしい。

 ちなみに私はこんな話をできる友達を増やすために少しずつ活動の幅も広げるようになったし、インターネットでもわかりやすく教えているサイトを見つけて勉強してみたり視野を広げ始めた。自分の知らない知識や考えを持っている存在って大事だ。
 それなのに、「そんな事も知らんの」と見下してくる人がいる。そういう人がいるから取っ付きにくくなっているのもきっとあると思うのだが。正直そんな人なんかほっておけばいい。本当に未来のことを考えているならそういう人たちのことをきっと丁寧に扱うだろう。

 兎にも角にも、未来が価値あるものになるかは、今をどう生きるかで決まる。それは大人だけが持っている責任だ。

読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。