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リワーク日記105 高圧的な会社の偉い人に怒り爆発。怒りへの対処はこれで良かった?

例年、ゴールデンウィーク直前は年始以来の疲労の蓄積でフラフラになっているのですが、今年も予定通りヘトヘトさんになっています。

とりあえず土曜日は1日寝ていました。睡眠不足が健康には一番良くありません。少しは体力回復できましたので、日曜日の今日はかねてより計画していた超大盛海鮮丼を提供してくれるお店に片道2時間半ドライブして、たらふく海の幸を堪能してきました。分厚いマグロと甘い甘いネギトロにたっぷり盛り付けられたイクラ、とろけるウニが最高で、元気が補充できました!お腹が喜んでいます。自分にご褒美をあげることができたのはとても良いことでした。まだまだご褒美タイムは続きます!!

さて、私が疲労の限界を迎えていたその時に、わざわざ電話をかけてきて高圧的な口調で私の仕事にケチをつけてきた会社の偉い人がいました。その態度はあたかもダイハツのような、上層部が不都合な事実を受け止めようとせず現場サイドに負担と責任を押し付けるというあの悪しき風習そのものでした。下っぱは上が喜ぶよう全て整えろ、上の手を煩わせるな、という態度です。不愉快極まりない醜悪さです。

普段ならいざ知らず、疲れていて受け流す心の余裕が全くなかった私は、怒りの気持ちを隠しもしない声で彼の嫌がるであろう不都合な実態をむき出しのまま突きつけ、彼の発する無責任な言葉をことごとくおうむ返しにして即座に打ち返しました。この不都合な事態を処理する責任は上層部であるあなたにある、というメッセージを込めて。

彼がどう思ったかは知りませんが、最終的には「そうか、わかった…」と力なく答えて電話を切りました。いつもは通用していた彼の高圧的なコミュニケーション方法が、今回の私に対しては全く期待した通りに機能しなかったことだけは理解できたようです。その後色々と彼も問題の解決に向けて動いたようです。最初からそうすべきだったと彼は反省すべきでしょう。上層部を安心させることは私たち下っぱの仕事ではありません。

だいいち、上層部が現場の権限を制約すればするほど、現場が対処できる問題のサイズは小さくなります。当然、現場が手に負えず溢れ出す問題が多くなりますので、それらを全て扱うべきは権限を保有する上層部の仕事になるのは論理的に自然な結論です。なのに現場に責任を押し付けるのは論理的に成立しませんので、必ず上層部が対処すべきという結論にしかなりません。現場を信頼しないなら、上層部が働くしかありませんねという単純な話でしかありません。まったく、何のために人を雇っているのでしょうねぇ?コスパ悪いんじゃないの?ま、知ったことではありませんけど。お偉方は勘違いを捨てて主体性を持って仕事をしてもらいたいものです。

非常に残念なことに、私の会社はこの手の勘違いおじさん・おばさんが結構たくさん幅を利かせているということがわかってきまして、これは良くない風習だと日々嘆いているところです。彼ら彼女らに苦しめられている若手も多いということも見えてきています。幸か不幸か私は外部から入ってきた人間なので、郷に入っては郷に従えの立場でありつつ、古いしがらみに囚われていない立場でもあります。せっかく入社した会社でダイハツの二の舞はイヤですので、外様の私が喧嘩を引き受けて少しずつでも会社の風土を変えていくことも必要かもしれないとも思っています。

ちなみに私の前職の会社はダイハツと同じく風通しの悪い社風で、しかも不祥事をやらかして経営危機を招きました。再びあれを経験するのは避けたいですから、一時的に波風を立てたとしても、不祥事を招きやすい体質にはNOを言うことで事件が起こる前に社風を変えていきたいという思いは持っています。

さて、私の怒りへの対処方法は適切だったのでしょうか?全然適切ではないでしょうね。セオリーから外れまくっているどころか、悪い見本ですらあります。明らかに怒りの態度全開で噛みつきましたからねぇ。

ではどうすれば良かったのでしょうか?もう少しやんわりとこちらの主張を相手に伝えることはできたかもしれません。しかし、あんなに疲れている状態で、丁寧語皆無の雑な言葉遣いで一方的に捲し立てられ威圧的に責め立てられて、それでこちらだけ温和な態度を保つのは正直不可能でした。付け加えると、たとえ「目上」の人であっても、いえ、「目上」であればあるほど、敬意を払うに値しないと思ったら、私はそれを露骨に態度に出す癖があるので今回のケースは完全にそれでした。

できるとしたら「いま立て込んでいるので後ほどかけ直してよろしいでしょうか?」といったん距離を置いて気持ちを落ち着けることくらいだったでしょう。確かにそれは紳士的で穏当な対応ですが、それでは相手の態度の問題点は温存されるままです。そこで、相手の態度の悪さについては例えば直属の上司に報告して改善の申し入れをしてもらうというやり方が教科書的には最も妥当だったかもしれません。

そして私の怒りをもう一段掘り下げると、私は「社会的により強い立場にある者は、その地位と報酬に見合った大きな責任を負うべきで、弱い立場にある者に犠牲を強いてはいけない」という考えを持っています。今回の私の怒りの発露はその価値観を侵害されたために発動したものと考えられます。

当たり前ですが、私とは異なる価値観を持っている人も世の中には大勢いることでしょう。「社会的に上の立場の人物は優れた能力と実績を持っているので、常に敬意を払い謙虚な態度を取るべきだ」という考え方がその一例です。

わかりやすく整理すると、私は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と考え、件のお偉方は「亀の甲より年の功」を重視していると言えるかもしれません。古くからのことわざや言い回しには、どちらの立場も含まれているあたりは日本の文化的な厚みを表していると言えるでしょう。先人はどちらか、ではなくどちらにも真実性を認め、現代まで引き継いできたのです。もう何が言いたいか分かりますよね。両方とも自分の価値観や考え方を押し付けようとせず謙虚になれ、というのが妥協点ですよねという話です。

これで次からは私は私の怒りの正体をわかった上で落ち着いて対応できるでしょう。でも疲れていたらやっぱり無理かも…。

いうまでもなく現代においては私の考え方の方がより立場を強めています。ハラスメントやブラックな組織運営に対する社会的な視線が厳しさを増す中で、特に強い権限を持つ組織の指導層には「頭を垂れる」よう要求が高まっているためです。過去の「年の功」重視の弊害があまりにも大きくなりすぎ、社会的にこの弊害を容認しきれなくなってきたのでしょう。いずれは「年の功」の復権もあるでしょうが、まずは「頭を垂れる」方が先です。

もう少し丁寧に整理すると、昭和から平成初期の日本社会において続いてきた「年の功」重視から小泉政権ごろを境に「実力主義」「成果主義」重視へと移行しましたが、それらは企業による報酬カットの方便として利用され、働き手の収入は減少しただけに終わりました。しかも弱肉強食に対する手当てのなさと自己責任論がセットになっていたこともあって格差拡大に歯止めがかからず、起業の成功者が注目される一方で働き手を薄給で酷使し虐げるブラック企業の存在も広く知られるようになりました。現在ではハラスメントやブラック企業に対する批判が高まり、強者に対して「頭を垂れる」よう求めるのが社会の潮流です。

私は今回の記事で、「年の功」と「頭を垂れる」を対立軸として設定しましたが、実際の日本社会はもう一つ「実力主義」の考え方があります。それは「年齢に関係なくより多くのお金を稼いだ者は、自らの能力と努力の成果として成功したのだから、当然尊敬を集めるべきだ」という考え方です。新興起業家に支持されている価値観でしょうか。年齢という要素の価値を否定しているあたりが特徴的です。年功序列に反対する人にはウケが良いのでしょうが、年功序列のエスカレーターに乗って上層階に既に到達した人を敵視する一方で、エスカレーターに乗ったばかりの人やなかなか上層に達せない多くの人々に対して冷淡なのは年功序列とたいして変わりません。むしろ上層階への到達を自分の実力と思っていることの裏返しとして、下層階に対する自己責任論押し付けの強さは行き過ぎがちです。

つくづく思いますが、結局のところ誰もが自分に敬意を払えと社会に要求しているのです。蔑ろにされていると思ったら人は怒って自己主張するものなのです。いいえ、これは何も人間に限ったことではなく、動物でも自分への扱いがぞんざいだと感じたら抗議して待遇を改めさせます。これは社会性を持った動物が必ず抱えることになる「公平性」を巡る問題に行き当たるわけです。人間が社会性動物である限り、常に公平性のバランス調整からは逃れられません。何をやっても必ず文句は出るのです。そして、だからこそたとえ下っぱであっても公平性を問題にして抗議するのは極めて自然な行為なのです。

私も、上階の人物に不公平な扱いを受けたことに怒ったとも言えます。その意味ではこの怒りは自然なことで、それによって扱いを変えられたという点ではやるべきことをやったともいうことができるでしょう。もう忘れ去られたことではあるのですが、昭和の時代には目上の人が偉そうな態度を取ることと、目下の人がそれに反発して突き上げることはセットでした。そのぶつかり合いとせめぎ合い、そして腹を割った話し合いと歩み寄りが日本式の組織のバランスの取り方でした。現代ではデモすら盛り上がらず目下サイドの発言力がなくなり反発する文化も消滅したため、目上サイドだけが昭和のコミュニケーションを残している状態ですが、上に物申すこと自体は何も悪いことではありません。

あとは時代に合わせてスマートな形で物申せるとより良いのかもしれません。ここは私がもう少し修練すべき点でしょう。ですけどねぇ、ホント私は「態度の悪い目上の人」というのが大嫌いなんですよねぇ。きっと次も私は反撃してしまうはずです。(実は既に別の勘違いおばさんに反撃してしまっています)

ということで、なんだか話がずいぶん遠くまで来てしまった気がしますが、今回はここまでです。せっかくの連休中に私が職場で感じた怒りの浄化に付き合わせてしまい申し訳ありませんでした。ぜひ皆さんもご自分にご褒美をあげてください。私ももう少しご褒美をあげることにします。次回も楽しみにしてください。

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