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片想いのmusic(第2話)


6 ウルフ

時計を見ると、夜の8時を回っている。
体育館の中は、異常なほどの熱気で満ちている。
ステージから見て後ろ半分は、椅子やテーブルが並べられている。
テーブルの上に置かれたお菓子は食い散らかされ、ペットボトルは汗を吹き出している。

軽音楽部の演奏は続く。
2回出演する部員はそのまま裏で待機するが、坂本達の出番は1度だけなので、演奏が終わって、フロアーに下りた。
さきほどまでは四人まとめてもみくちゃにされていたが、今は後ろの椅子に座り、休憩をしている。
周りに生徒をたくさん引き寄せている坂本健吾。
しかし、その健吾以上に人を集めているのが、中村貴志。
元々整った顔立ちだからモテそうなものだが、口数が少ないせいか、近寄り難い存在に見られていた。
今日、そのイメージすら吹き飛ばした。

『さぁ、次は我が軽音楽部の新入生No.1バンドだ!』

昇り詰めたかに見えた体育館のテンションが更にあがった。
演奏に合わせて、美沙子の歌声が響く。
ついさっきまでどん底にいた人間とは思えないほど眩しい笑顔と声で、体育館を包み込んだ。

『ある晴れた春の一日
 私はあなた探して公園行ったの
 あなたの好きなサッカーできるのここしかないもの
 
 雲一つない晴れた日
 暑いくらいな春の一日を
 あなたと過ごすの夢だと思ってたけどね
 
 ちょっと行ってみたい所があるんだ
 私にも好きな場所があるの
 
 電車に乗って行こうかな
 自転車に乗ってみようかな
 歩いたら日が暮れちゃうかな
 でも着く所は同じはずだよね
 前の日にはきっとワクワクして眠れない
 あなたに会うの久しぶりだな』

NAメドレーが続く。
体育館にいる男の誰もが美沙子に惚れる時間だった。
曲が止んで、ふいに昔の映画のテーマソングが流れだした。
映画が好きな人は誰もがつぶやいた。「ロッキーだ。」
突然の音楽に誰しも戸惑いを見せるが、テンションがテンションなだけに、「何かが起こる。」と誰しも思った。

ステージの照明が落ちた。
その瞬間、ステージとは反対側、体育館の正面扉が轟音と共に開いた。
全員の視線が走る。健吾いわく、「それが狙いとも知らずに。」

観客の視線がステージと反対方向へ向くか向かないかのところで、扉が再び轟音と共に閉まった。
その直後、今度はステージから人間の声と判別するのが難しい程の叫び声が体育館に響いた。
一瞬にして観客の視線がステージに戻る。
照明はまだついていないが、人の配置が変わっている。
中心に立っているのは先ほどの美しい女性ではない。
その叫び声が止んだと同時に、激しいドラムの振動が体育館を走り抜けた。
そして、健吾ヴォーカルバージョンが始まった。
美沙子も順調に演奏を続けたが、明らかに顔が強張ってた。
それが裏目に出たのか、これまで一度も間違えてなかったはずの曲で、楽譜が飛んだ。
なんとかつないではいたが、途中で限界になり、ギターの音が止まった。
一瞬、沈黙が流れ、健吾がマイクで何かを言おうとした瞬間…

体育館にマシンガンを持った男が乱入したのかと思われるような音が激しく響いた。
ものすごい速さのドラムの振動が、体育館のテンションを否応無しに上げていく。

一定のリズムを刻んでいたドラムの音が変速になっていく。
それを聞いた健吾は、満面の笑みで歌い出した。

超高速のドラムソロの曲。クラッシャーの「ウルフ」。

『俺の中を楽しく舞う黒いゴミ
 俺を狂わす赤い瞳
 あの龍はどこから来た
 そして人を食らってどこへ行く
 龍は言う
 「我は神の仔」

 血塗られた跡を追う獣達
 激しい鳴き声は天地を響かせ
 太陽を無能にさせる
 赤い瞳の女は言う
 「我は神の仔」

 狂ったような稲妻を帯びて
 獣達が太陽を食い逝く
 獣の瞳になぞられ
 赤い瞳に吸い込まれ
 俺は逝くだろう
 あの世界へ』

狂ったように目を見開き、口をだらしなく開け歌う健吾。
その様と歌声が非常によく合っている。
この曲は、めったにお目にはかかれない。
ドラムのテクニックと共に、人間離れを思わせるほどの体力が必要なのだ。
それだけに、会場の目は一点、中村貴志の元へ集められた。

 演奏の後、美沙子が泣きながら中村にお礼を言った。
しかし、「ただやりたかっただけだ。」とつき返す。
「あいつ練習してたんだろうな。多分。」
部長の言葉に、美沙子の目がさらに潤む。
少し離れた所を歩く中村の後頭部をおもいっきり叩く健吾の姿を見る美沙子。
会場のテンションのせいで、言葉は聞こえないが、彼の事だ。「おまえイケてんなぁ!」とでも言ってるのだろう。
美沙子は心の中でもう一度礼を言った。

「ありがとう。」

その心は、いつのまにか、感謝から別のものへと変わっている気がした。

7 海か山

軽音ライブが終わると、生徒たちの話題はもっぱら期末試験に注がれる。
六月の終わりから七月の始めにかけて行われる期末試験が終わると、いよいよ夏がやってくる。
この学校では、期末試験終了後、一週間ほど学校があり、すぐ夏季休業となる。
つまり、七月中旬から八月一杯の一ヶ月半、丸々夏休みというわけだ。
そして、夏休みに待っているのが、1泊2日のクラス旅行だ。
クラスごとに行く場所を決め、教員引率なしで旅行へ行く。
さらに、その旅行で仲良くなった友達同士で、八月にもう一回旅行へ行く、というのが恒例となっている。
これは、一年から三年まで、共通の行事だ。
三年にとっては、これが高校最後の夏の思い出となるであろうから、自然と力が入る。
その話は、期末試験前から出る。
これについては、教員側は良い事だと考えていないが、期末後に話し合っても間に合わないので仕方ない。

坂本達の1年2組でも、話し合いが行われた。
すでに二つの案が出ている。
極めて単純。「海」か「山」。
クラスがきっちり半分に分かれて討論しているようだ。

「海」の横には「湘南、熱海、房総」と書かれている。
「山」の横には「箱根、キャンプ」と書かれている。

仕切り役の生徒の顔を見れば解る通り、ここまで二つに分かれてしまうと進展がなくなる。
教室がシンと静まり返っている。

「えっと…」

仕切り役の生徒がようやく口を開く。
「何も意見出ないし、このまま黙ってても仕方ないから…くじ引きで決めたいと思います。」
その言葉を聞き終わらないうちに、教室が騒がしくなった。
文句の出ないうちに、仕切り役は紙を等間隔に切った。
「えーと、下に当たりって書いてある方が当たりです。」
二本の紙を手に握る。
「じゃあ、海が良い人と、山が良い人の代表の方、来てください。」
生徒同士の「押し付け合戦」が始まった。
負けた時の責任を負いたくないからだろう。
こういう時に決まるのは、飛びぬけた人気者か、中途半端な知名度で、断れない性格の者だ。

しかし、例外はある。

「海派」から、無理矢理押し出されたのは坂本健吾。
それを見た「山派」は、「あいつに勝てるのはおまえしかいない!」と、坂本美沙子を送り込んだ。
クラス中の面々が見守る中、仕切り役を挟んで、坂本同士のにらみ合いが始まる。

「早く取りなさいよ。」
「レディーファーストでどうぞ。」
「レディーファーストぉ?あなたが私をレディー扱いした事なんてあったかしら。」
「ああ、今な。」
「調子いい事言ってないで早く取りなさいよ。」
「なんで俺が先じゃなきゃイケねぇんだよ。」
「あんたが先に出てきたじゃない。ここに。」
「そんなもん関係ねぇだろ。んな事言うなら、先に意見出たの「山」だぜ?」
「あなた女相手になに引き腰になってんの?だっさい。」
「誰が引き腰だよ。」
「あんたよ。」

終わりそうにない討論に観客がクギを刺す。
「おい、夫婦喧嘩はいいから早く取れよ!」
教室が笑いに飲み込まれた。

「だとコラァ!」
「ああ、もう、先取るわよ!」
「待て!俺が先だ!」
「なによそれ!さっきまであたしに取れって言ってたじゃない!」
「うるせぇ、気が変わったんだよ。」

健吾の手がすばやく動いて、仕切り役の手から紙が一枚抜き取られる。

「勝手な男。」

ゆっくりと残りの一枚を手に取る美沙子。

そして、結果は…

8 山と海

「やっと着いたぁ!」
一人の男子生徒が疲れと嬉しさが半々な声をあげた。
「けっこう遠かったな。」
最近髪を切り揃えて、また染め直した健吾が、大きなかばんを持ち直し、歩き出す。
夏の風が一行を包む。
「ねぇ、宿って遠いの?」
「ううん、もう見えてる。あそこだよ」
女子生徒の指差す方向を見ると、「高山」と書かれた看板が見えた。

三階建ての格式ある和風の宿。
汗だくになって、肩に乗せた荷物を揺らす一行を迎えるにはあまりにも綺麗な宿だ。
砂利道を少し歩くと、玄関が見えてきた。
開け放された玄関の脇に、着物姿の女性が数人立っている。
「お待ちしておりました」と言わなくても伝わるくらい、柔らかく頭を下げる。
一行が玄関まで到着すると、「どうぞ」と、入るように促し、別の従業員が荷物を受け取る。
「ご案内いたします」
その中では一番若く見える着物の女性が、一行の前を歩く。
長めの黒髪が午前の太陽の光を柔らかく跳ね返す。
整えられた美沙子の髪とは違い、自然なままで綺麗な髪をしているように見える。

着物の女性が立ち止まる。
「こちらでございます」
ドアを開けて、中へ促す。
まず最初に入った男子生徒が「すげぇ…」と声を上げた。
その声に引かれ、皆足早に部屋へと入る。
最後に、案内してくれた着物の女性が畳の上に正座をし、簡単な説明をする。
一礼して部屋から出ると、一行の声が部屋を埋める。
「すげぇ。眺めが超いい」
部屋の奥は、壁一つ全面ガラスになっていて、外の景色が一望できる。
そのガラス窓を開けると、小さなベランダがついていて、二人の男子が足をつける。
少し高台になっている場所に位置するこの宿からは、遠くまで見る事ができる。
懐かしい雰囲気をにおわせる町並み。その先にある青い海。
この部屋には、男女各4名、計8名が1泊する事になっている。

クラス旅行は山へ行った。
くじを引き当てたのは美沙子だったのだ。
健吾はその後海派から襲撃を受けた。
それで、八月に入ってから、「やっぱり海へ行こう」という事で集められたのがこの8人。
先ほどの「高橋」の親がこの宿のオーナーであり、ちょうどよく予約も入っていなかったこの部屋を安くとってくれた。

「っしゃ!行くか!」
男子の一人が声をあげ、それにつられて数人が部屋を出た。
残ったのは、坂本二人と、髪の根元の方の色が少し抜けてきている片岡冬未だ。
「うし、俺らも行くか」
自分の荷物を整理し終えた健吾が立ち上がる。
「ちょっと待ちなさいよ」
「ん?」
「そのギター持って行くの?」
健吾の手には明らかに「ギター」と判る黒いケースが握られていた。
「まぁな」
「あんた最近アコばっかね」
「ああ、ちとハマっちまってな」
アコというのはアコスティックギターの略だろう。
それを聞いた健吾はケースからギターを取りだし、軽く弾き始めた。
「いい音だろ?」と言いたいような顔で二人を見る。
片岡冬未は小さく拍手している。美沙子は興味が無さそうだ。
「さ、行こうぜ」
軽く準備をし、三人も部屋を出る。
美沙子がカギをかける。

宿を出て、海に向かう。
正面から、道を抜けて潮風が流れてくる。
ひらけた所へ出ると、目の前に堤防が現れ、その上に上ると、海が一望できた。
健吾が海を眺めている間に、一緒に来た女子二人はとっくに砂浜に降り立っていた。
誰が用意したのかはわからないが、スカイブルーの大きなシートが砂浜に敷かれていた。
その上にいくつかの荷物が転がっている。
シートの上で日に背を向ける水着姿の男子が一人。
「おい、ムラ。更衣室どこだ?」
背中を焼くムラと呼ばれた男子が顔を上げる。
「ああ、あっちだよ。あそこの飲み物売ってる裏にある」
先ほどの堤防の、海から見て右手の方に“海の家”が立ち並んでいる。
その中の一つをムラの人差し指が指差す。
指さした方へ歩いて行く三人。

しばらくして、水着に着替えた三人が戻ってくる。
美沙子が、ムラに対して「ちょっと聞いてよ!」と言わんばかりに話を始める。
また、坂本二人で何かモメたらしい。
しかし、ムラの目は明らかに聞いていない。
水着姿のクラスのヒロインにくぎ付けである。
それに気付いたのか、美沙子も話すのを止めて、健吾達を一睨みした後、海へ歩き出した。
遅れて到着した二人をだらしない顔のムラが迎える。
「いやぁ、美沙子ちゃんマブいなぁ」
「マブいって…古い言い方するな…」
ムラが後ろを振り返る。
「あぁ、ユミちゃんもいいなぁ」
「ありがとう田村君」
笑顔で返す片岡。
「他の連中は?」
「ああ、けっこうバラバラになって、その辺で泳いでるよ」
ウーロン茶方手に海を見渡す。
美沙子は女子二人と合流したようだ。
そのそばに男子が二人。
「そんなバラバラ、ってわけじゃねぇんだな」
「ねぇ、坂本君、あそこ行ってみない?」
片岡が右手に見える磯を指差す。
「ああ、いいね。んじゃあ行ってみるか」
「待て」
立ち上がる健吾を止める。
「このギターどうにかしろ。寝れねぇだろ」
「いいよ、砂の上で」
「行こう!」
片岡が健吾の手をひく。
その二人の背中を見て、田村は思う。
「あいつら…できてるのか?」 

9 浜辺にて

男子四人は海の家で着替えたが、女子は宿に帰ってから、お風呂ついでに着替えた。
男子たちも、一度部屋に戻ってから、誰かが言った「飯の前に入ってこねぇ?」という意見で一致したらしく、タオル片手に部屋を出た。
さすがに、旅館の大きさに比例するだけの立派な温泉だった。
さっさと脱ぎ、さっさと洗い、さっさと入り、さっさとあがる。男の入浴などそんなものだ。
女性陣より10分以上遅く入ったのに、10分ほど早く出た。
男性陣が部屋に戻ると、旅館の人が夕食の支度をしていた。
「申し訳ございません。少々お待ちください」
着物姿の女性が頭を深々と下げる。
「あ、そんな。俺らが上がるの早すぎたんですよ。まだ戻ってきてませんし、ゆっくりでかまいませんので」
健吾が軽く頭を下げると、着物姿の女性はもう一度頭を下げ、再び支度を始めた。
支度を終え、部屋を出るのと入れ違いで女性陣が帰ってきた。
「遅せぇな」
最初に文句を言ったのは坂本健吾。
それに最初に反応したのは坂本美沙子。
「うるさいわね。あなたと一緒にしないで」
「わぁ、すごい!」
片岡が満面の笑みで歓声をあげる。
いつのまにか、テーブルの上は料理で埋め尽くされていた。
誰かの「いただきます」という掛け声で、食事が始まった。一つのテーブルを八人で囲んで。

話の盛り上がりと共に、食事が終わる。
ふいに、高橋が提案する。
「花火しない?」
「え?あるの?」
「行こう行こう!」
誰も反対する者はいない。全会一致で海へ。
高橋が宿の人に頼んで用意してもらった大量の花火を豪快に消化していく。
後半になってくると、“とっておき”の特大の打ち上げを点火させる。
それもなくなると、みんなして線香花火をやりだす。
浜辺では風が強く、難易度が高い。それがまた闘争心を誘うらしい。

線香も尽きてくると、個々に話し始めたり、海を歩いたりし出す。
最後の一本を終えた健吾の隣に座っているのは片岡冬未。
「終わっちゃったね」
「ああ。ここだと風が強えからな。なかなか続かねぇや」
残った線香花火を風に乗せる。
真っ黒い海を眺める二人。
片岡は下を向いて砂をいじりだす。
「どうした?」
砂いじりを手伝いながら聞く健吾。
「ううん。別に」
不意に健吾が立ち上がった。
少し周りを見まわす。他の連中とは少し距離がある。
どの影が誰だかはわからない。
足元に転がっていた小さな石を持ち、海へ向けて投げた。
どこに落ちたのか確認はできない。

遠い話声と、波の音が響く。

「そう言えばもうすぐ文化祭だね」
片岡が立ち上がる。
「ああ、そうだな」
「坂本君って委員会入ってたっけ?」
「まぁ、一応な」
「でも軽音のライブもあるんでしょ?」
「ああ」
「忙しくなるね」
「そうだな。まぁ、それを楽しむのが文化祭だからな」
「そっか」

しばらく波の音が響く。

「座るか」
「うん」
同じ場所に腰を下ろす。
「しかしまさか高橋がここまで金持ちだとは思わなかったな」

片岡は下を向いて砂いじりをしている。
「どうしたんだよ」
「あのね…」
砂をつかんで、指の隙間から落とす。
「あのさ…」
「なんなんだよ」
「坂本君は、美沙子の事好きなわけじゃないんだよね?」
「は?なにいきなり言い出すんだよ」
「だって、もしそうだとしたら勝てないかな、と思って」
「んなわけねぇだろ。あんな男みてぇな女を恋愛対象にしたらホモになっちまう」
「そっか」
「…勝てない、ってなんだよ」

再び砂をつかみ、指の隙間から落とす。

「わかる…でしょ?」
「勝手に解釈して良いならな」
「うん…勝手に解釈していいや」
「だから何なんだよ」
「だからぁ…」
足元の砂をぐしゃぐしゃに混ぜだす。

不意に手が止まり、うつむいたまま静止する。
「大丈夫か?」
「うん。大丈夫だよ」
片岡が顔を上げる。それから、ゆっくりと向きを変え、健吾と向き合う。

「坂本君?」
「ん?」
「付き合ってくださいませんか?」
「ようやく言ったか」
「お願いします」

片岡が目線だけ下に向ける。
片岡の視界には、さっきから自分でかき回している砂が映っているだろうか。
それとも何も映らず、何かを考えているのだろうか。
健吾は肺にたまった二酸化炭素をすっくり吐き出す。
浜辺に吹く潮風を体にめぐらせる。

10 夜の宿にて

「俺は別に何の文句もないさ。」
「えっ。」
片岡の大きな目が、さらに大きく開かれ、三日月の光を返している。
今まで水の中にいたのではないかと思われるくらい綺麗な瞳をしている。
「それって…そういう風に受け取って良いの?」
瞳の奥から、波が押し寄せてきた。
「そういう風って、別に問題ねぇだろ。」
健吾が少し笑ってみせる。
「ホント?本当に本当?」
泣き笑い、とでもいうのだろうか。
必死に笑いを作りながらも、瞳は濡れて、健吾の目を見る片岡。
「本当に本当に本当だよ。何をそんなうろたえる必要があんだよ。」
「だって…だって…」
片岡の頭が健吾の肩にそっと乗る。

二人の間を浜風が抜ける事がなくなった。
そう言えば他の連中はどこへ行ったのだろう。
気付けば誰もいないじゃないか。
俺とした事が。今更気付くとは。
そう。おそらく皆知っていたんだろう。
そして美沙子は片岡の気持ちを尊重しながらも「あんなのやめた方がいいのに。」とか言っていた事だろう。
さて、この状態で宿に戻ったら何が待っている事やら。しかし、戻らないわけにもいかない。
「何考えてんだ。当たり前だろ。」
「え?何?」
片岡がすばやく顔を上げる。
「あ、わりぃ。何でもない。さ、戻ろうぜ?」
健吾は自分の足についた砂を軽くはらい、立ち上がろうと足に力をこめる。
しかし、それにも増して、腕にからみつく片岡の力が増した。
「なんだよ。」
健吾は一瞬本気で迷惑そうな顔をしてしまった事を反省した。
「ごめん…」
片岡の力が抜ける。
「あー、悪い。そういう意味じゃねぇんだ。でもさ、早く戻らねぇと、つまらん誤解されんだろ?」
「イヤ?」
「え?」
「つまらない誤解、っていうのがどういう意味だか解るつもりだけど、私は別にかまわない。」
「おいおい。」
「ううん。むしろ誤解じゃなくしても…」
「こらこら。いきなり突っ走るな、って。第一、こんなトコで何ができるわけじゃねぇだろうが。」
「そっか…そうだよね。ごめんね。」
「あ、いや、な…」
「行こうか。」
片岡が勢い良く立ちあがる。
立ち眩みでもしたのだろうか。
立ちあがって、一秒後に足元が危うく動いた。
「おいっ。」
健吾がすぐに立ちあがり、抱きかかえる。
「ごめん。いきなり立っちゃったからふらっときちゃった。」
相変わらず綺麗な笑顔だ。
そう思った瞬間、健吾の体が動いて、二人の唇が触れた。

「ん…」

片岡が何を思う暇なく唇は離れ、健吾は歩き出した。
その後ろを笑顔を隠せないと言うような表情で追う。 

部屋に戻ると、中からはかなりの盛り上がりを感じた。
「うわぁ。入りにきぃ。」
「しょうがないよ。」
「おまえ何で人事なんだよ。」
片岡が玄関と部屋を仕切るふすまを開ける。
健吾からは見えなかったが、盛り上がりが一瞬にしてこちらの方へ向いたのは確かに感じた。
おそらく彼女は笑顔で入ったのだろう。
健吾が部屋に一歩踏み入れた時には、待ってましたと言わんばかりにはやし立てられた。
「おいおいおい!」男子が健吾の背中や頭を叩く。
「おめでとー!」女子が片岡に拍手を送る。
「おまえらまさか飲んでねぇだろうな?」
異常なテンションに疑問を持った健吾は部屋を見渡す。
アルコールは無いが、ジュースやお菓子が大量に置かれ、トランプなどのゲームもいくつか用意してあった。
「おいおい。なんでこんなにあるんだよ。」
「馬鹿野郎。ここをどこだと思ってるんだ?女将さんが持ってきてくれたんだよ!」
健吾の背中を全力で叩きながら笑う田村。
砂浜ではあれだけ普通に肌を焼いていたこいつが、これほど変わるとは。
「俺の分は?」
「おっ!さすがは坂本の兄貴!姉サンとはノリが違うねぇ!」
本当にアルコールを摂取していないのだろうか。
「ちょっとムラ!姉サンって言うな!」
「おいコラ、どうして俺とこの女が兄姉なんだ?」
二人の坂本にカラまれる田村。しかし、逆に楽しそうだ。
「イヤン。日本一愛し合う兄姉に挟まれたら僕溺れちゃうわ!」
部屋中が笑いに包まれる。
健吾は部屋のドアを確認する。きちんと閉まっている。一安心。
「って、愛し合ってるってなんだよ!」
「ちょっと!何言ってんのよ!こいつが愛してるのは私じゃなくてユミでしょ?!」
「え?!」
片岡の顔が一瞬にして赤くなる。
「おっと。そうでしたそうでした。こいつは大きな勘違いをしてしまいましたね。失礼。」
田村が深々と頭を下げる。
「ちょっと待て、なんで突然…」
「なに?まさかここまできて愛してないとでも言う気?」
「んな事言われたって、ついさっきの話で、イキナリ愛せなんて無理な話だろ!なぁ?」
「そ、そうだよ!そんな事…」
微妙な抗議をする片岡。
「あーあ。ユミの事いきなり傷つけた。悪い男ー。」
「そんな!大丈夫だよ私は!」
「無理しない方がいいわよ?こういう時にハッキリ言わせておかないと、すぐ逃げるわよ、この男。」
汚物を見る目で健吾を見る美沙子。
「あ!」
田村が何かを発見したかのような声をあげ、美沙子を指差す。
「…なに?」
「今の顔いい。」
「は?」
「今の表情すっげぇいい。」
田村が一歩ずつ美沙子に近づく。
「どうしたの?」
「いや、今の、健吾を見る目、表情、動き。かなり色っぽかった。マジ惚れた。」
「あらそおかしら?ありがと。」
片目をつぶり、投げキスを田村に贈る。
田村の足が止まる。
「あ、俺もう死んでいいや。」
部屋中が笑いに包まれる。
健吾が真剣な顔で田村の肩を叩く。
「おい、おまえ、本当に殺されるぞ?」
「あら、それは私が美し過ぎてって…」
「自惚れんな。」
「なによ。あなただってナルシストのくせに。」
「ナルシスト、っていうのは、ロクな容姿でもないくせにやたら頑張る奴を言うんだぞ?」
「あら、まさにじゃない。」
「そういう事言うと、おまえと片岡の仲に亀裂が入るんじゃねぇの?」
「はぁ?何の関係があるのよ。」
「俺の事けなす、って事は片岡の恋愛感をもけなしてんだぞ?」
健吾は不敵な笑いを浮かべ、横目で片岡を見る。
複雑な顔をしている片岡に気付き、慌てる美沙子。
「あ、違うの!別にあなたをけなしたわけじゃないのよ?私はただ、この男が…」
「んー?俺が何?」
「あー!もう!いいわよ!」
勢い良く座って、手近にあった缶ジュースを飲む。
「さ!続きやりましょ!」
テーブルの上にあるカードの束を取る美沙子。
「何やってたんだ?」
「大富豪だよ。」
「よし、乗った。片岡もやろうぜ。」
「うん!」
複雑だった表情が晴れ、健吾の隣に座る。
「おいおいおい!夏だってのに気温上げてんの誰だよ!冷房入れろ冷房!」
田村の力強いツッコミと共に、ゲームが始まった。

 

「消すよー?」
高橋が部屋の電気のスイッチに手をかけながら皆に呼びかける。
所々で小さく「待って待って」と聞こえる。
しばらくして、部屋の明かりが落ちた。
時間は2時半。
つい10分前まで「ラストゲーム」で目を血ばらせていた。
そのゲームの結果で、寝床の場所を決められるのだ。真ん中のふすまは閉まっていない。
ランダムだと喧嘩になる、という事で、勝った順に窓側の端から決定していった。
ここ一番で力を発揮した田村が一位を獲得。
「隣には絶対女の子!」と願ったが、二位は男。

そして…

「もう少し離さない?」
「ああ。実に賛成だが、どうしようもない。我慢してやる。」
「私のセリフとならないで。」

最下位、坂本健吾。ブービー、坂本美沙子。
部屋一杯に布団を敷いているため、隙間はない。
「ねぇ、ユミと代わってもいいでしょ?」
暗闇と月明かりの中、半身を起こして皆に聞く。
「ダメ。」という否定の回答しか返ってこない。
「なんでよ。ユミがここ来た方が、ユミも幸せだし、私も…」
「最初に決めたんだから、ダメ。」
せっかく勝ったのに隣が男だからだろうか。
妙に不機嫌な田村が、断固否定をする。
「早く寝ろ。」
仕方なく布団に入る美沙子。
健吾はすでに体を壁側に倒し、寝息をたてている。
美沙子もそれと反対側に体を倒す。

そして、朝を迎える…

11 緒方香澄

「いいんじゃない?」
部活の後の部室。今日も外は暑く、部室の中には熱気がこもっている。
半分以上の人間が帰った中で、健吾が一曲歌った。
それに対しての、部長の感想だった。

「俺的にはもうちょっと軽くした方がいいかな、と思ったんスけど。」
「いや、俺はけっこう好きだな。こういうの。」
「マジっすか。いやー、嬉しいな。なぁ香澄。」
「うん。かなり嬉しいね。あたしも寝ないで書いたかいがあったってもんだよ。」
香澄と呼ばれた女が嬉しいというよりも安心した感じの表情で答える。
茶色に染められたセミロングの髪を後ろでアップでたばねた、活発そうな女の子だ。
「ホントに緒方が書いたのか?」
部長が楽譜を見ながら今度は緒方と呼ばれた、香澄を疑う。
「本当です。あたしが昨日まで睡眠時間削りに削って書いたんですから!」
「削ったって言ったってどうせ1時間とかでしょ?」
顔に向けて、センスのないうちわで風を送る美沙子が口を出す。
「あ、バレた?」
香澄が美沙子に軽く舌を見せる。
「でもスゲェよな。これだけ書ける、ってのも。」
「何言ってんだよ。この詞書いたの誰だよ。」
「今度の文化祭はオリジナルライブでもやるか?」
さっきから楽譜を手放そうとしない部長が、目を輝かせて三人を見る。
「えっ!無理です!あたし1週間で1曲が限界!」
香澄が、しかめっ面の前で手を振る。
健吾もそれに習う。
「俺は2週間で1曲だな。」
「いや、それでも今から頑張れば、文化祭までにはあと数曲作れるわけだろ?」
部長は俄然乗り気のようだ。
「そうよ。やろうよ!」
美沙子も同調する。
「んな事言われたって…なぁ?」
苦笑いの顔を香澄に見せる。
「いや、ここまで言われちゃやらないワケいかないでしょ。」
「おいおい、マジかよ。」
「いいじゃない。さくっと作ってやりましょうよ。」
香澄が部長から楽譜を奪って立ちあがる。
「はいはい。わかりましたよ。」
しぶしぶ重い腰を上げる健吾。
その足で、さっきからずっとドラムをイジっている中村の所へ行く香澄。
「ねぇ中村。こういうのできない?」
香澄が中村の顔の前で楽譜を書く。

遠くから健吾の声が飛ぶ。
「おーい、香澄。そいつはウルフできるんだぞ?何を今更要求するってんだ。」
黙って香澄の動く手を見ていた中村が、納得したようにゆっくりと態勢を戻す。
そして、スティックをゆっくり動かしだす。
細かいリズムをしばらく刻み、突然音が大きくなる。が、すぐに止まってしまった。
「難しいな。」
軽く首をひねり、再度挑戦する。
しかし、何度やってもできないらしい。

「ホントかよ。ウルフが一番難しいんだと思ってた。」
「あの曲はただ早いだけだよ。どちらかと言えば『朝の夢』の方が難しい。」
香澄が解説を入れる。
「朝の夢って誰の曲だっけ?」
美沙子が健吾に問うと、即答された。
「ガスだよ。知らねぇのか。」
「あー、あれか。あれの方が難しいのか。へぇー。」
横で聞いていた部長が納得する。

その会話の間も、ドラムの音が鳴り響いている。

香澄が楽譜を置いて戻ってくる。
「やっぱ難しいかな。彼でダメなら打ち込みでも良いんだけど…それじゃあ盛り上がらないし。」
「どんなやつなんだ?」
「変速のスリップビート。まぁ、変速を不定期で打つ、ってトコだよ。」
「へぇ。」
四人はしきりにドラムを叩く中村を見つめる。

「ったくよ。」
その沈黙を健吾が破る。
「香澄も中学ん時軽音やってりゃあな。」
「ホントよね。」
二人の坂本が緒方香澄を意地悪くにらむ。
「ふっ。あたしはあんた達と違って、本物のバンドをやってたのよ。」
「そんな事言って、どーせレベル足りなくてハブかれたんだろ?だからこんな軽音…」
「こんな?」
健吾の言葉を部長が拾う。
「あ、別にここの事をけなしたわけじゃないですよ。」
苦笑いで部長に謝る。
「いいじゃない。あたしも気楽にやりたくなったのよ。」
「あっちは気楽じゃなかったの?」
気まずそうな顔をしている健吾に代わって美沙子が聞く。
「楽しかったわよ。でも、ずっと張り詰めてたから、息苦しい感じはしたかな。」
「それで高校からこっちで。」
「そうね。まぁ、何よりあんた達がまた一緒にやるって言うなら、あたしだって参加したくなっちゃうもの。」
香澄が満面の笑みで勢い良く座る。
立っていた健吾は特に何もなかっただろうが、座っていた部長には何かが見えたらしい。
数秒間、香澄から目が離れてなかった。
「だったら一緒にやろうぜ。」
健吾も座る。
「だってあなた達のバンドは人数足りてるじゃない。」
「いいじゃねぇかよ。五人だって。」
「いいわよ。あたしはあたしで楽しいんだから。」

「ねぇ、部長?」
美沙子が部長に目を向ける。
「一年生バンドとか組んじゃダメですか?」
「俺が抜けて緒方が入る、って意味か?」
「そうです。」
健吾が身を乗り出す。
「なんだ、俺はそんなに邪魔か?」
「別にそういう事じゃないんです。部長の腕は誰だって認めてますよ。私も。」
半分照れて、半分当然の事としている顔に見える。
「まぁ、ギターならやっぱ部長の方が上だろうな。香澄より。」
健吾も部長の顔を見る。
「まぁな、一応年期はあるからな。」
納得した表情をしている。それだけやってる、と言う事だろう。
「でも、やっぱりやってみたいんスよ。ダメですかね?」
「いや、俺は別に構わんよ。」
「マジっすか?」
健吾の体がさらに乗り出す。
「ああ。俺も10月で最後だし。てかすでにやりすぎだしな。最後くらい3年で組みたいしな。」
「じゃあ決まりね。」
美沙子の目線が部長から香澄に移る。
嬉しさしか表現されていない表情をしている香澄。
打ち疲れたのか、いつのまにか中村もそこに立っていた。
「それじゃあ、今度の文化祭は、一年オリジナルライブ決行、って事で。」
美沙子が三人に目線を配る。
「そうか。やっぱ書かなきゃならねぇんだ。がんばろうな、香澄。」
「おうよ!10曲でも20曲でも…!」
「無理は言うな。」
「…おうよ!」
その場に暖かい空気が流れた。
そして皆気付いた。
今は夏だという事に。
その場は解散となった。 

家の方向が同じため、帰りは一緒になる事が多い坂本健吾と緒方香澄。
途中まで一緒だった美沙子と別れ、夏の夕暮れを二人で歩く。
「しかしおまえとできるとは嬉しいな。」
「あたしも嬉しいよ。長年の夢だったからね。」
「長年、っておまえ何歳だよ。」
健吾の表情が緩む。
「中学ん時から、ずっとおまえらの事は聞いてたんだ。やり手の夫婦がいる、ってな。」
「コラ!」
「あはは!冗談だよ!で?今でも付き合ってんのか?」
健吾の顔を下からのぞきこむ。
「だからよ、一辺たりとも付き合った事はねえ、って言ってんだろうが。」
「いつまで通じるかな、その言い逃れ。」
「だから…!」

香澄は笑い、健吾は怒る。
こんなシチュレーションが、昔から続いている。
「最初の頃は本気で殴ろうかと思うくらいムカついてたからな。」
真剣な顔で話す。
「あたしも最初の頃は本気で夫婦だと思ってた。」
またいつもの図式が成り立つ。
「まぁな、あたしは人に気ぃ使うの苦手だからな。」
「そのわりに男にこびるのはうまいけどな。」
「うるせえ!」
香澄の右足が健吾の左太ももに当たる。
ダメージを受けた健吾は少しフラつく。
怒る香澄に笑いを返す健吾。

「それよりも曲どうすんだよ!」
香澄が声をあげる。
「あ、そうだな。」
「明日やるぞ。」
「は?!明日?!」
健吾が画に描いた様な「驚き」を体で表現した。
二人の足が止まる。
「そう。明日までに書いて来い。あたしも明日までに書く。」
「無茶言うな!」
「いいじゃねぇか。一曲くらい書けるだろ?」
再び歩き出す香澄。
それを追って足早に歩き出す健吾。
「一曲くらい、ってな。俺らはプロじゃねえんだぞ?そんながんばらなくても、4、5曲できりゃいいんだか…」
「馬鹿言うな。誰かに期待されてる限りはプロなんだよ。」
「…ったく、変わんねぇなぁ…」
暑さと汗で少し元気のなくなった髪を触る。
「それは良い意味で、だよな?」
「まぁ、そうとも言うな。」
「よし。」

もう別れの言葉もネタ切れなのか、「明日だからな。」「はいはい。」の一言で違う道を歩き出す二人。
明日で夏休みも終わる。
約一月半、全く会わなかった人とも会う。学生にとっては楽しみな日でもあり、再び「平日」が始まってしまう、とても憂鬱な日でもある。
二学期になれば行事が目白押しとなる。
城浜高校で何より盛り上がるのが、10月に行われる文化祭。
風はまだまだ暑いが、これから涼しくなっていく事だろう。

12 私は歌詞を書く

9月中旬。ちっとも風の温度は下がらない。
教室にクーラーなどない。
教室の窓も廊下の窓も全開だ。しかし、通りすぎるのは生ぬるい風だけ。
授業も午後。さらに後半になるとダラけた顔の生徒が目立ってくる。
これが最後の授業だから、がんばろう。というよりも、もうこれで終わりだからいいや…と。
そんな中、一人の男が思考回路を全力で回している。

「はぁ…」

昨日も詞書いたばっかだぞ?
それなのになぜ今日の部活までに一曲、なんだ?
もう俺のネタ帳も限界だよ。
言葉の引き出しなんて多い方じゃないからな…
こうなったら仕方がねぇ。誰かの曲を…ダメだ。香澄知識ハンパじゃねぇからバレる。
くそー!何書けばいいんだよ!
今詞が浮かばなくて混乱してる事?それは先週書いた。
こうして授業を受けてる事?それは新学期早々に書いた。
ダルい事?それは書こうとしたがそれすらダルくて諦めた。
どうすりゃいいんだよ!!
だいたい、こんなのに頭使う時間を睡眠に使って、夜ギターでもやった方がよっぽどいい時間だよ!

「はぁ…」

しきりにため息をつく健吾を見かねたのか、通路挟んで隣の席に座る片岡冬未から小さな紙が回ってきた。
(どうしたの?)
返事を書く健吾。
(文化祭で歌う歌の詞を書いてるんだけど、良いのが浮かばない)
先生の視線が逸れたのを見計らって紙を渡す。
紙を広げ、数秒動かなかった片岡が動く。
そして、紙が来る。
(私が書いてあげようか?)
健吾は視線を片岡の方へ向ける。目が合う。
軽く2、3度うなずくと、片岡は笑顔を返し、自分のルーズリーフから一枚取り、何かを書き始めた。

授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、体ごとそちらへ向けると、ルーズリーフが文字で埋まっていた。
「おお!やるな!」
「ありがとう。でもこんなのでホントにいいのかな?」
「おお、十分だよ。サンキュ!」
紙を取り、自分の荷物を整理して、「じゃな!」と片岡に笑顔を見せて、走り出そうとすると、片岡が止める。
「ねぇ、今日は何時に終わるかな?」
「あー、悪いな。今日もわからねぇや。なにせもう近いからな。帰って良いや。」
「そっか。わかった。がんばってね。」
「なぁ…」
「ん?」
「いいや。じゃあな。」
自分の荷物を取り、教室を出る健吾。

「はぁ…」

ため息をつく片岡。
夏休み終わってから一度もゆっくり会ってないなぁ…
坂本君忙しいから仕方ないんだろうけどさぁ。
でも、でも彼と付き合えるだけでも幸せ者だよ。私は。
うん、そういう事にしとこうかな。
でも…
まぁいいや。

「はぁ…」
「どんっ!」という音が背中から聞こえたかと思ったら、痛みが走った。
「いたぁい!」
「元気ないぞ?どうした?なに、恋の悩み?」

夏、都合により一緒に海で一泊できなかった友達だ。
あの日、一緒に行った人しか、片岡と坂本健吾が付き合ってる事は知らない。
片岡自身恥ずかしい、っていうのも、周りからの目が気になるのもあるが、彼が嫌ったのもある。

「うん。ちょっとね。」
「てかさ、あれって本当なの?」
「あれって?」
「文化祭で、健吾君が書いた曲を歌う、って噂!」
「ああ、本当みたいよ?彼必死に書いてるから。」

少し胸に何かが刺さるのを感じた。
視線を自分の机に落とす。

「それって詞だよね?」
「どういう事?」
「なんかね、噂によると、他のクラスの女が曲を書いてて、つまりは合作になってるらしいのよ!」

先ほど刺さった何かが奥へ進んだ。

「そう…なんだ。」
「まだ噂でしかないけどね。でも、なんかその二人は付き合い長くて、もしかしたら…なんて噂もあるの!」
「もしかしたら?」

視線を上げる事ができない。

「付き合ってるかもしれない!って!悔しくない?!」
「そう…だね。」
「なんかリアクション薄いなぁ。あなた健吾君にかなりこびてたじゃないのよ。」
「うん。なんか、さ、ほら、この暑さでバテちゃって。」
「夏バテ?休んだ方いいよ?」
「うん。ありがと。バイバイ。」

自分の荷物を持って立ちあがり、教室を出る。
下駄箱で靴に履き替え、外に出ると、軽音楽部の部室の方から、激しい音楽と共に、自分が付き合っているはずの男の声が聞こえた。
さきほどの何かはまだ刺さったまま、どこかへ引っ張る。

イヤ。そっちには行きたくない。
何も見たくないの。
お願い。今日はもう帰ろうよ。私。

寄り道しないで…

13 6時55分

「本当にこれおまえらが書いたのか?」
静まりかえる部室で部長の声が響く。
「だって、部長が明日までに書けって言ったんじゃないですか。」
「これはけっこう自信あるんですけど。」
マイクの前に立つ健吾とギターを肩からかけて立つ香澄。
「いや、いいと思うよ。なぁ?」
聞き入っていた部員達が首を縦に振る。
「じゃあ今度は私達入ってやってみましょうよ!」
美沙子が中村に視線を投げて促す。中村は読みふけっていた2枚の紙から視線をはずし、「ああ。」と言いドラムスティックを掴む。

四人の演奏が始まる。
香澄のエレキギターを基調として、ようやく慣れてきた美沙子のギターと、中村の変速ドラムが加わり、健吾が歌い、香澄と美沙子がハモる。
作詞、坂本健吾。作曲、緒方香澄。
制作の二人が今までで一番と絶賛する曲が出来上がったようだ。
部室の空気がしばしアルコールを含む。 

「おまえいつになったら戻るんだよ。」
「え?自分ではもう戻ってるつもりだけど。」
休憩時間にギターをいじる美沙子にツッコミを入れる健吾。
「いーや、昔の方が音良かったな。」
「あら、そお?昔、ってあたしそんなに上手くなかったでしょ。」
「いや、少なくとも今よりは上手かったな。」
「そおかな?」
「だっておまえあの曲弾けただろ?」
健吾の目線が動く。
その先では中村とリズム合わせをする香澄の姿がある。彼女が弾いている曲を指しているのだろう。
「そうだっけ?覚えてないけど。」
「いつだか俺に自慢してきたじゃねぇか。わたしこれできるようになったのー!って。」
「あたしそんな事言わないわよ!」
「いや、言った。俺は覚えてる。」
「ウソだね。危ない危ない。だまされるところだったわ。」
「おいおい、人聞き悪い事言うなよ。おまえがあれ弾けたってのは本当だ。」
「そうだっけ?」

部室の一角の音が止まる。
それにつられて、沈黙が部室中に広がっていく。
部長の「おーい、いいかぁ?」という声が聞こえる。
「とりあえず今日の部活はこれで終わりな!あと、自主練する奴は、7時までは使えるから!」
部室から「おつかれー!」という声が返ってきて、部室が再び騒がしくなる。

「もう一回やっとくか?」
健吾が他の三人に呼びかけると、皆何も言わずに各自の準備を始めた。
もう一回と言ったものの、誰も納得いった様子がなく、何回も繰り返していた。
気付けば、もう6時55分。
「ヤベっ。もう時間だ。」
「うそー、もう1時間も経ったの?」
香澄が部室にある時計を見上げる。
「早いね。」
中村に回答を求めるも、自分の片付けをしていて聞いていない。
「さーて。早いトコ退散するか。」
いつもの倍のスピードで片付けを終えて、部室を出る。施錠は上級生がする。
四人横並びで歩くわけにもいかず、前二人、健吾と中村。後ろ二人香澄と美沙子で歩く。
不意に健吾が自分のポケットに手を入れ、小さな機械を取り出し、耳にあてる。
三人とは違う方向に体を向け、声を出す。

「はい。…おう。なんだよ。…は?!今どこだよ?!…はぁ?!なんで…早く言えよ!いいや、わかった。今から行くから待ってろ。」
機械をポケットに戻し、三人の方へ向き直る。

「どうしたの?」
香澄が聞く。
「悪い。俺ヤボ用できたから、先帰ってくれ。」
「ヤボ用、って何?」
美沙子がイヤらしい笑顔で尋ねると、健吾の声が急に小さくなる。
「なんか待ってるらしいんだよ。」
「待ってる…って、ユミ?」
「ああ。」
「へぇ、しっかりラブラブしてんじゃない。」
「ばか。頼んだ覚えねぇんだよ。」
「あら、よっぽど愛されてんのね。」
「そんな時間じゃねぇだろ。」
「…それもそうね。早く行ってあげなさいよ。」
「ああ。じゃあ、悪いな。じゃあな。」
返事を待たずに走って行ってしまう健吾。
「なに?」
「コレ待たしてるんだって。」
美沙子が右手の小指を立てて見せる。
「なに、健吾に恋人いるの?」
香澄が満面の笑みで身を乗り出す。

14 空を見上げる

学校の目の前にある小さな公園。
ただ一つ備え付けられた小さな外灯が公園内を照らしている。
その公園の奥にある、二つ並んだベンチ。
向かって右のベンチに、半そでのYシャツに白いベスト、短い紺のスカートをはいた、茶色い髪を肩まで伸ばした女の子が座っている。
健吾の足音に気付き、顔を上げ、笑顔を見せる。

「こんばんは。」
小さく手を振る。
「ばか。こんばんは、じゃねぇよ。こんな時間にこんな所で…襲われたらどうするんだ?」
「それはどういう意味で?」
「は?」
「ううん…なんでもない。」
冬未の隣に座る。
「て言うかもっと早く言えば早く来たのによ。」
「そんな、悪いもん。坂本君…楽しそうだったから。」
「部室来たのか?」
「うん…」
「もしかして新曲も聞いちまったのか?」
「え?…あ、ああ、うん。」
「なんだよ。当日まで隠しとこうと思ったのにな。」
少しバツの悪い笑顔を見せる。
冬未は下を向き、スカートのヒダをいじる。
「そっちの方が…問題なんだね。」
「…悪い。」

しばらく沈黙が流れる。

「…で、なんで部室に来たんだ?声かけりゃいいのに。」
「言ったでしょ。坂本君…すごいイキイキしてて…入りづらかったんだ。」
「そうか?それほどじゃねぇと思うんだけどな。」
「ううん。私には見せて…でも最近ゆっくり会ってないからね。」
「そうだな。俺もそれは気になってたんだけどな。なにぶん…」
「いいんだ。わかってるから。」

再びしばしの沈黙が流れる。

「なぁ?」
「なに?」
「こんな奴と付き合ってて幸せか?いや、幸せじゃないんだろ?」

残暑の生ぬるい風が、公園の木々を揺らす。
風に乗って、片岡の甘い香りが健吾の嗅覚を通り、脳を刺激した。

「勘違いするなよ?俺は別に冷めたとか嫌いになったとか言ってんじゃねぇんだ。ただ、このままだと…」
「私はね…」

言葉をさえぎる。

「大丈夫だよ。坂本君さえいいなら、いくらでも待つ自信はあるよ。」
「でもな…」
「でもね。坂本君が、私の事邪魔だ、って言うなら、諦める。」
「邪魔なんて…」
「文化祭に集中したい、って言うなら…」

作り笑顔のまま、目線が落ちていく。

「別れてもいいよ。」
「そんなに話進めるなよ。」
「だって…会える時間少ないし。私達の事誰も知らないから、確認できないし。」
「確認?」
「私が坂本君と付き合ってる、って確認。」
「そうか…ごめんな。」
「ううん。坂本君が謝る事じゃないわ。それじゃあ、部活、がんばってね。」

片岡がゆっくり立ち上がる。

「おい、なんかすげえサッパリしてねぇか?」
「うん。もうこんな時間だし。それに…」

空を見上げる。
晴れた夜空に、点々と星が浮かぶ。

「坂本君来るまでずっと…考えて…」
「本当にすまない。今は…今は片岡の事好きでいられない。」

片岡の大きな瞳から、大粒の涙が溢れ出す。
肩を抱く健吾。
それ以外に、何もしようがなかった。
ただ、涙が止まるのを待つだけ。
かける言葉もなく。

15 文化祭が始まる空気

1ヶ月前ともなると、生徒達の盛り上がりも一段と高くなる。何かというと文化祭の話題が出る。
文化祭と言うと、だいたい出し物は決まってくる。お化け屋敷に始まり、屋台、縁日、展示、ゲーム…

1年2組ではどうやらやきそばを売るらしい。
鉄板をどこに借りれば良いか、麺はどこから仕入れれば良いか。
クラスの中から選出された代表数名の生徒達の顔は真剣だ。
文化祭までの残り日数と反比例して放課後に残る生徒などの数は増える。
昼休みなども、廊下を走る生徒を見かける事も多くなる。
仕事によっては、前月よりも携帯電話の通話料が二倍から三倍に膨れ上がっている生徒もいるだろう。
ヘタをすると、毎日肉体労働に励む社会人よりも動き、働いている生徒もいるが、全く疲れを見せない。
むしろ、やればやるほど顔が輝いて見える。
これは、誰が仕掛けた罠なのか。
若者のパワーだけでここまでのエネルギーを発しているのだろうか。
1校の生徒達だけのパワーでこれだけのエネルギーが出るのだから、全国のモノを集めたら、国の1つや2つ動かせるだろう。

そして、この箱の中も、日を重ねるごとに高いエネルギーを発してくる。
指先を赤くして、肩を腫らせて、喉を枯らしてまでエネルギーを発散する。
おそらくこの中は酸素よりも二酸化炭素濃度の方が高い。
それくらい、熱い人間が詰まっている。

音が止む事のない箱の中。
隅の方の机を挟み、二人の男女が座っている。
机の上には何枚もの紙が散らばっている。
文字で埋まっているものもあれば、お玉じゃくしが無数泳いでいるものもある。
最終チェック、及び、最後の一曲の作成に取り込んでいる二人。
同バンドの残り二人は、二人で何かを話したり、お互いのパートで、合わせて練習をしたり。
美しい女性の方は非常に楽しそうだが、目の鋭い整った顔立ちの男性は、笑顔を作る事はない。
その二人の隣では、他のバンドが熱奏している。
ボーカルの声は幾分かすれはしているものの、音をハズさずにしっかり歌っている。

外はもう陽が落ちている。まだ蝉は絶えない。
風はいくらか涼しさを持ってきている。過ごしやすい季節になってきている。
帰り道を行く人影は、この時間にしては多い。
普段早く帰る人がこの時間帯になっているのだろうか。
校舎内、電気のついているクラスは多い。
九時になると校舎の閉鎖をしなければならないため、担当の職員と、委員会のメンバーが、追い出しを行う。

「早く帰れよ。俺らの帰りが遅くなるだろ。」と追い出す側は思い、
「これくらいやらせよろ。融通のきかねぇ連中だな。」と生徒は思う。
そんな情景も、1週間前を切るとなくなる。
学校の閉鎖は10時になり、さらに許可のある者はそれ以降も居残る事ができるようになる。

この頃から急激に授業で顔を伏せる生徒が増え出す。
常連の者は別として、めまぐるしく働く者にとっては、この時間が唯一の休息時間なのだ。
教員側も、当然良くは思わないが、目を伏せるしかなくなってしまう。

そしていよいよ文化祭二日前。
この日は、学校中が備品移動の仕事に忙しなく動き出す。
学校中の教室の机移動はもちろん、文化祭中に“余計な物”は全てどこか、関係のない部屋に追われる。
そして一斉に掃除をして、必要な備品を教室に入れ、いよいよ本格的な準備にかかる。

委員は最終的な準備と、生徒達の指揮。
教室で準備を進める生徒はそれまでに考えていた準備、設計をこなす。
部活に所属し、その部活で何か文化祭への参加がある場合は、自分のクラスを少し手伝った後、各々の部活の集合場所へと走る。
生徒達が一番楽しく感じる時間だ。
こうなると、どの生徒も「いよいよか」と感じざるをえない。
それまで準備には手もつけていなかった生徒も一斉に踊りだす。
このエネルギーは一体どこから来るのだろうか。
学校自体が1つの大きなエネルギーの塊に見える。
客として足を踏み入れた一般人まで引き込むほどに。

その一日が済むと、外から見て、何の色気もなかった教室の窓が装飾され、文字が張りつけられる。
「お化け屋敷」や「えんにち」などの大きな文字が外から見れるようになり、それを見た生徒はさらに胸を躍らせる。

ただ、軽音を始めとする、発表を主とした団体のする事は変わらない。
ひたすら練習を重ねる。最終チェックをする。
そうする事でコンセントレーションを高める。
そして、当日に最高のモノを見せる。
ある意味では彼らは皆プロだろう。
金こそ取りはしないが、楽しむ権利を守るために、楽しませる義務を果たす。
何かのプロへの第一歩。
それがこの文化祭なのではないだろうか。
何かのために自分を、皆を磨く。

そして、朝を迎える。

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