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結婚できないわたしが、恋人の両親に何度も頭を下げに行ったら、渡された洋服のこと


「結婚させてください」

勢いをつけるでもなく、ひたすら丁寧に。


わたしは、古い考えだっただろうか。

誰に教わったわけでもなく、そういうものだと思っていた。きっとこれ以外にも染み込んでいるものがあるだろう。何の邪心も虚飾もない、そうは言い切れない。声に出して初めてわかる本音があったとして、巻き戻せないこの「世界」を、ひどく残酷だと思ってしまう。


「そんなに好きなら持っていきなさい」

忘れていた眠気を帯びる。瞼をこすり、背筋を伸ばす。

引っ込み思案で目立ちたがり。普段は消極性を全面に出しながら、愛する人への叫びは大気の鼓膜を破る。二面性があるわけでも、裏表があるわけでもない。どれも純粋に、「わたし」なのである。

先の見えない砂漠だ。とはいえ、一歩進むとすぐそばに顔を出すのは背の低い、未完成の花。もともと何もない景色から感じ取るために、人はものを創り、愛を育む。心を纏う、楽園の羅列。足跡はいつか消える、その理由は「前進」を促す誰かのいたずらなのかもしれない。


「おはようございます」

頬を撫でる仕草と、表情が重なる。口紅を厚く塗り、それをあなたの唇で描いていた。水滴が黄斑を伝おうと、「視界」を奪われたりはしなかった。


恋人の彼と、わたしは一つ屋根の下で暮らしている。

今年の二月にお付き合いを始める、そのもっと前から彼を愛していた。遠慮なんてしている暇はない。それはわたしが今年28歳になるからではなく、そう自分自身で決めていたから。

わたしの「好き」と、あなたの「好き」の意味が全く同じにはならない。たとえば、「結婚」「恋愛」「生活」「家族」。同じ言葉を使っていても、思い描くものはそれぞれ違っている。だからこそ"寄り添う"が、こんなにも日々、瑞々しい。



「父さんの子どもになった時点で、父さんに謝ることは一切ない」

そう言う父が、わたしにはいる。


「生きていてくれたら、それでいいのよ」

そう言う母が、わたしにはいる。


わたしの両親は、現在別居している。おそらく何年もふたりは会っていないだろう。それでも"離婚"していない理由をわたしは知っている。


「どこまでいっても、しをりは父さん(母さん)の子どもだから」

ふたりにとっての意味があった。離婚したからといって、ふたりの子どもでなくなるわけではない。情緒を手に、深く掘らずとも十分に熱を感じる。わたしは愛されて育ってきただろう。いやみなどではなく、そう想わせてくれる家族だった。

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数ヶ月くらい前から、彼がよく神妙な面持ちで電話をしている姿を目にしていた。それを見るたび、「あとどれくらい、こうしていられるだろう」と思っていた。寿命よりも、もっと手前の"最期"を泳がせては鑑賞している。


「大丈夫です……」

物悲しげに彼は微笑む。

平静を装うほど、人の声は震えるようにできているらしい。電話が終わったあと、顔だけをわたしの方へ向け、瞳は海へ向かう。穏やかそうなわたしたちの生活は、日々音を立てずに風化しそうだった。


そんなある日、彼が電話の途中にわたしの方を向く。どうやら相手が、わたしと話したがっているらしい。不安そうな彼の表情が、わたしの胸に流れる。


「もしもし」

声帯が冷える。電話の相手は、彼の母親だった。

ほんとうに少しだけ、電話する前から面識はあった。そして彼とお付き合いしていることも、その頃から知られている。それだけは彼の口から伝えたらしい。ただ、関係を無理やり引き裂かれたりはしなかった。

わたしの耳に届いた言葉は、遠回りのようで確実に突き刺さる、鋭い声色——



「息子には結婚してほしいから、そろそろ、ね」


全身に汗が流れ始める。

これはわたしの想像でしかないが、彼の母親が付き合う許可云々の話をしなかったのは、きっと近いうちに、放っておいても別れると思っていたのだろう。その"気"を、会話の節々から感じていた。もちろん、これは憶測の域を出ない。


何もわたしは答えなかった。そのときの沈黙は、崖の下から昇る風のような不気味さ。何のために彼のそばにいるのか、わたしはわからなくなっていた。


恋人の家族に、反対されているだろう。

お付き合いが長くなったところで、結婚できるわけでも、子どもを授かれるわけでもない。だったら友達同士で暮らしている、それでいいじゃないか。身を隠しても手は繋げる。何をわたしは、こだわっているのだ、と。祝われたいとでも思っていたのだろうか。

浮かれた、秋色のマニキュアを除光液で落とす。会話よりも沈黙の多いその電話は、一週間に数回はかかってきていた。



散々、会ってもらっていた。

わたしには父、母、姉、祖母と、家族がいて、その四人全員と恋人は面識がある。それは"お付き合いをしている"のも含めたものだった。果てしない愛と共に暮らしてきたわたしですら、最初は体じゅうの血液が逆流するほどの恐怖と不安だった。とはいえ現在、わたしはわたしの家族に、彼との人生を尊重してもらえている。そのおかげで前進できた日は、両手足の指では足りないほどだ。


「しをりさん、あの、」

ある日、彼が頼みごとをするときの所作。そこには微かに、初めて感じた匂い。

いつものようにエッセイを書いていたわたしに顔を近づけ、彼の瞳が心の中に飛び込んできた。


「僕の母と、会ってくれませんか」

それはお願いではなく、覚悟に見える。ちょうど思っていた。わたしと混ざり合った色。そして寄り添うのは、「覚悟」の意味を考える時間。「あとどれくらい」と、天井を見つめている場合ではない。


誤魔化しながら、隠れながら、交際は続けられたかもしれない。

恋人の家族にきちんと認めてもらう。
伝えに行く、わたしは決意をした。

愛を濃くする。何か見本や参考にするものがあったわけでもなく、彼の、恋人の魂の"揺れ"が、わたしをそうさせたのである。



とびきりのスーツを着た。

そういうものだと、思っていたから。

誰かが見たら、わたしにこれがいちばん似合う服装だと言うかもしれない。ネクタイを結び、ジャケットにもパンツにもひとつのシワも見せない。どんな「自分」かなど、主張する場面ではない。彼の家族が心を許す、そのための服がスーツだと思った。


向かったのは、彼の実家。

電車に乗る間、彼との会話はほとんどない。

肌がそこにあればわかる。わかった気になっているだけかもしれない。彼の喜怒哀楽を包むのが、わたしの人生である。言葉はうつくしいが、言葉がなくとも、彼の心を掬いたい。


予定よりも早く着きそうになり、彼と一緒に実家の最寄り駅のベンチに腰掛ける。そのときの彼の表情を、わたしは初めて見たと思ったが、彼もわたしを見て似た想いを抱いていたかもしれない。そこでわたしは決意の内容を、少し渡す。


「わたしは、あなたと一緒にいたいです。もう今は特別『結婚』にこだわっているわけではありません。ただあなたの母親がそれを望むのであれば、わたしは『結婚』という言葉を今日使うつもりです


彼はちいさく頷く。たったその仕草だけから、わたしは思い出す。彼がわたしと付き合い始めの頃、書いてくれたエッセイがあった。それは、彼にとっての「結婚」について——



『結婚』
僕が君とできないもの。
でも君は、僕と「結婚したい」と言って泣いていた。多分だけどそれを考えて生きるのが僕の結婚なのだと思う。
君と朝。手を繋いで歩く道。
「ああ、たったこれだけでいい」と嘘偽りなく僕も思っていました。だからこれからもしてください。僕と君だからできることは結婚と、それ以外にもあふれている。



彼の母親が、わたしを呼んだ理由はわからなかった。

きっと、彼が考えてくれたのだと思う。そうでなければ、わたしとの会話からだけでは、きっかけの糸口はなかった。

長い文章を書く必要はない。会えるのであれば、会いに行く。それはわたしにとっての、「家族」の意味と色が似ていた。

そんな現実に近い想像をして、気づけば約束の時間が近づいていた。わたしは、人と人がすれ違うくらいの時間、彼の手を握る。「大丈夫です」の言葉は、宙を舞い、彼の胸で灯った。



インターホンは、わたしが押した。

すぐに玄関が開く。表情をすぐに捉え、わたしが言葉を発しようとする、それを遮るようにして彼の母親は「入りなさい」と言った。


苦味まじりに息を吸う。口から臓器が出る妄想が広がる。身体は動くが、初心者に操作されているゲームのキャラクターのような不器用な歩き方しかできなかった。その間、彼も言葉を発することはない。俯瞰で見る余裕などなかった。


とてもじゃないが、世間話などができる空気ではない。四人掛けのテーブルに三人、腰掛ける。わたしはすぐに本題に入ろうとした。


「いちとせしをりと申します。機会を設けてくださり、ありがとうございます」

とにかく、ゆっくりと言葉を渡した。平静を装う必要はむしろなかったと思う。震える全身のせいか、すぐにスーツにはシワができる。表情は変わらず硬いまま。両太ももの上に、粘土のような手汗が住みはじめる。


彼の母親は、わたしと目を合わせない。電話のときと同じ沈黙の気配。寄り道をしても仕方がない、そう思ったわたしはそのまま、わかりやすい言葉を続けた。


「〇〇さんと、結婚したいと思っています」


わたしの口から発せられる彼の名前が、人生でいちばん強張っていた。

彼との時間、母親に数ヶ月でわたしが追いつけるはずもない。そして想うその強弱があるとしたら、わたしは到底及ばない。そしてわたしが想像しきれないほど、母親は彼を見てきたのだろう。

そんなことを頭の中でぐるぐると考えていた。

納得のいかない表情をした彼の母親は、わたしではなく、彼に話しかける。



「どうなの?」


短いその言葉に隠れていたものはわかる。その空間の中で、巻き戻しが許されない世界が動き続ける。大きな唾を飲み干したあと、彼は言う。


「僕も、結婚したい…」


うつむくような姿か、それとも別の何かが触れたのだろうか。彼の母親は話を少しそらす。


「それと、なんで"家族"にうつ病になったの言わなかったの?」


彼はわかりやすく動揺していた。

三ヶ月ほど前に彼はパニック発作を起こし、救急車で運ばれ、うつ病と診断された。運ばれたときパートナーとして彼が呼んだのは、家族ではなく、わたしだった。何もこれは勝ち誇ったものではない。彼が"人に心配をかける"、それに怯える人だというのは知っていたから。それでも最近、自分の状態を母親に伝えてはいたらしい。ただそれが遅く感じたのだろう。肩を震えさせる彼の姿を量るようにして、彼の母親は続ける。


「うつ病だったら、こんなことをしてる場合ではないんじゃないの?ほんとうに、うつ病なの?」

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わたしは彼を支え続けてきた。

それを投げ出してしまおうかと、それも何度も思ってきた。

わたしも昔、数年間うつ病とともに歩いてきた。自分もなった経験から、うつ病の何が怖いかというと、改善するための、たとえば「散歩」や「趣味を楽しむ」がそもそもする気が起きないこと。その一歩が踏み出せたとしても「もう、うつ病じゃないじゃん」と言われたりすること。それが暗黒のようにして、のしかかる。そして見えない何かに擬態している。


下唇を噛んでいた。やさしく、まんまるで大きな、いつもわたしに向けてくれる瞳は萎む。何が正解かなど、誰もわからない。ただこれはわたしが答える問いだと思い、口を開いた。


「〇〇さんは、まだうつ病です。それも含めて、ふたりで会いにきました」


答えになっていなかったかもしれないし、あらゆるタイミングも間違えていたかもしれない。それでも目指す姿があるのであれば、心を優先するべきである。

うつ病は「外」を恐れることが多いが、うつ病を理由に「外」に出るのを渋る必要はない。全員、平等な一歩がある。無論、これはわたしが思い描くものである。


「話にならない」

そう言ってその日、彼の母親はわたしたちを家から追い出す。たった数分間の会話から得られたものは、指一本の腹に乗るくらい。無いわけではなかった。

そしてわたしはそこからどんな「光」を見たのか。今改めて考えると、冷静ではない。

わたしは、頻繁に彼の実家をひとりで訪ねるようになる。



「今日も行くんですか」

ベッドの上で体を横にしながら、彼がささやいている。

「ごめんなさい……」

その言葉を聴いて、わたしは彼の両頬を手で覆う。

「わたしの恋人になった時点で、わたしに謝ることは一切ありませんよ」と。家族に渡されたわたしの「教科書」の言葉。忘れないように、好きな色のマーカーを引いている。


繰り返し、スーツに袖を通す。

仕事がある日も、仕事がない日も、わたしは彼の実家をひとりで訪ねた。何をするにも、失敗ばかりを考えるわたしだが、「彼」については自分でも驚くほどの前向きさがある。そして若干、それはいつも暴走気味だ。

どこかの営業マンかの如く、日々わたしはインターホンを鳴らした。迷惑だっただろう、常識知らずだっただろう。平日は基本、母親は家にいるのを彼から聞いていた。それは全く理由になっていないが、わたしは真っ直ぐに太陽を見つめる。

そんなわたしが来るたび、当然彼の母親は眉をしかめて憂鬱そうな顔をしていたが、毎回すぐに家の中に入れてくれた。そしてこれは厚かましい考えだが、そうしてくれる気が初めて訪れた日から感じ取っていた。


そこで少しずつ、少しずつわたしは自分の想い、自分のしている仕事、自分と彼との生活、恋愛、結婚、家族の話をした。

彼を愛していることや、彼のうつ病とどう寄り添い、過ごしているか。会社員をしながら、エッセイを書く仕事をしていること。エッセイの活動がきっかけで彼と知り合えたこと。わたしも彼も、同性とのお付き合いは初めてであること。真剣に向き合っている日々と時間、記憶——

わたしの知っている彼を渡し、気づけば彼の母親もわたしの知らない彼を渡してくれるようになった。笑顔を見せたりはしなかったけれど、わたしと目が合う時間が日を重ねるごとに伸びていた気がした。



そんなある日、わたしはスーツを脱ぎ捨て、お気に入りのワンピースを着る決意をする。

わたしは、わたしが思う、自分にいちばん似合う洋服を選んだ。大好きなマニキュアを塗り、勇気を持って買った口紅を塗った。

その想い、その姿は27年間、わたしの中で眠っていたものだった。それを引き出し、"舞台"を支え続けてくれたのは何を隠そう、彼の存在だった。


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わたしが踵を浮かし、飛び跳ねる瞬間に合わせて彼は心をいつだって包んでくれた。「今日も似合っています」「とても綺麗です」。それが誰かの意味と違ってもよかった。彼の思い描く空で、わたしが羽を広げたかった。


髭は生えるし、ごつごつとした体。誰が見てもわたしは男性の見た目をしている。だが、それがなんだというのだ。これが自分の好きな姿だった。スーツがよくなかったわけではなく、わたしにとって、薄かった。

わたしを認めてほしいのであれば、「わたし」の姿で向かう。彼の母親と話している中で寄り添った、一粒の解釈である。



いつものようにまた、インターホンを押した。

すぐに出てきてくれる。彼の母親はワンピースを着た姿を見て目を丸くしていた。それを見てわたしは深呼吸をしたあと、丁寧に言葉を渡す。


「彼が愛してくれる、これがいちばんのわたしの姿です」


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その日も、たくさん話をした。

同じ話もしてしまっていただろう。
残る想いは虹のようにそれぞれで輝いていただろう。

そして昨日、再びわたしはワンピースを着て、マニキュアを塗り、口紅を塗って、彼と一緒に会いに行った。そこには彼の母親だけではなく、彼の父親の姿もあった。



後ろの方から、そろりとした動きで現れる。

「君が、いちとせさんか」

そう言って彼の父親は、わたしの腕を軽く撫でる。どこか、初めて会った気がしなかった。ふわりと鼻をなぞる香りから、沁みる高揚。言葉にするのを勿体無くさせるほどの、それはすでに幸福の味がした。


四人掛けのテーブルが、綺麗に埋まる。

沈黙はあっても、沈黙に見えなかった。流れるような時間にそのまま体と心を預けているような心地。「あのね、」と口ずさんでしまいそうなほど、その場所は、何の準備もせず入れる湖。


「ちょっと待ってて」

少し話をしたあと、彼の母親がリビングの奥にあった部屋に向かう。がさごそとわかりやすい音が響く。胸に手を当て、わたしは彼の方を見ていた。

そうして持ってきたのは、一着のワンピースだった。



「"もう、わたしは着ないから"、そんなに好きなら持っていきなさい」


偶然だろうか。

わたしは今度、黒いワンピースを買いに行きたいという話を、彼の母親にしていた。わたしが思い描いていたそれと、重なる——


「ありがとうございます」

戸惑いながらもそう言おうとした隙間に、彼の父親が言葉を挟む。


「そんなもう、強がる必要ないだろうが」


どういうことだ、と、わたしも彼も首をかしげる。そこから話を続けてくれた。


「この人とこの前、一緒に買い物に行ったんだ。そもそもふたりで出かけるなんて久しぶりだったよ。そこで、洋服が欲しいだなんて言うんだ。断る理由もないし、付いて行ったんだよ。そしたら試着もせずに、ずっと服を見ては悩んでいるんだ。『着てみればいいじゃないか』とわたしが言ったら、『わたしが着ても意味ないのよ』なんて返してくるから、おかしいとは思っていたんだよ。そしたら今日、いちとせさんが来てくれた。この人の目はやっぱり鋭い。透き通る色をしてる。君にいちばん、これは似合うワンピースだ


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その場でも、昨日家に帰ったあとも、わたしは何度も渡されたこのワンピースを抱きしめた。胸を突き上げてくる気持ちで闇雲に涙が溢れてくる。


「あなたにだけ最初、うつ病を話したのも、わかった気がするわ」


彼の母親は、少しだけ悔しそうに見えた。


「それに、電話でこの子が『愛している人だ』って、うるさかったのよ」


わたしは、彼を愛している。彼の家族を、愛したかった。結婚できずとも、わたしも彼の「家族」になりたかった。

ワンピースを抱え、呼吸を整える。

勢いをつけるでもなく、ひたすら丁寧にわたしは頭を下げた。






「結婚させてください」



大切に書き記す、一枚の紙にも程遠かっただろう。言葉に、何の法的効力もなかっただろう。それでもわたしは、「結婚」という言葉をもう一度使った。わたしたちにとっての「覚悟」を映す。そして「結婚したい」ではなく、「結婚させてください」を渡した。

彼の母親の瞳を見る。気づけばそこに、いつの間にか光の影がだんだんと溜まる。そうして零れた言葉を、わたしは大切に受け取る——





「息子を、どうかよろしくお願いします」




深々と、彼の両親の頭が下がる。


感謝で前が見えなかった。

それでも奪われることのない景色は、オーロラのような静けさ。

血が滲むほど力強く、わたしは「はい」と答えていた。




帰り道、わたしは彼と手を繋いだ。

歩幅はちいさく、吐く息は蝶々のように結ばれる。


「僕はこれから、しをりさんと一緒に…もっと……」と彼は表情に皺を作っていた。それに寄りかかるようにして、わたしは声を並べた。


「わたしの隣で生きていてくれたら、それでいいです」


言葉を聴いて、彼の手が力む。

「僕が、しをりさんを守ります。愛して…います…」


重い言葉だった。自分が言うよりも、聴く側の方がそれを感じる。ただ、それは「安心」と「望み」を混ぜたような風景。そして改めて、わたしは彼に言葉を渡した。


「わたしがいつもあなたに渡す言葉は『結婚』を、『家族』を思い描いたものです。子どもを授かれなかったとしても、わたしたちがこの世に、『言葉』を残せたらいいですね」


彼の顔が夕日に溶ける。

滴るほどに潤った目をしていた。もう一度、わたしは言葉を重ねる。


「わたしがあなたとの『結婚』を想うのは、覚悟もありますが、どこまでいっても、わたしはあなたを愛していたいんです」

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結婚したからといって、変わるものはあるか。

わたしたちの中での、意味がある。
人にはそれぞれ、大切にしているものが違う。

おこがましいけれど、わたしの文章が、誰かの「勇気」になるのを願って——


わたしは、彼が「好き」だ。

そして彼も、わたしを見て「好き」と言う。

「家族」で完成を目指す一輪の花があったとして、このエッセイは人生の花びら、一枚になる。

そしてこのエッセイが、わたしたちにとっての「結婚式」になった。「ウエディングドレス」を着ている。またいつかこれは繰り返し行われるほど、祝杯の色に染まるだろう。わたしは彼の手の甲にキスをした。そして、最期にならない言葉を渡す。



「これからも、よろしくね」





恋人のご両親から、このエッセイを公開する許可はいただいております。


書き続ける勇気になっています。